[Episode.2-ミスマッチなセカイ•E]

───数年経ったとはいえ、OBの楢崎はこの高校の構造をまだ覚えている。先発して飛び出したユピテとカイナに、楢崎は走りながら頭をフル回転させて伝える。

追い詰められた人間が最終的に向かうのは、恐らく───


「屋上です!」


と言っても、この高校に屋上に向かう階段は3つある。西棟と東棟、そして中央棟とそれぞれに独立して屋上が存在するからだ。


「屋上だと?それは何故だ?」

「追い詰められると、思考が極端になるし、視野も狭くなるんですよ、人間は。分かるんです、さっきのミノリは…私で最後・・・・と、言っていたから。自分の命を、終わらせようと、しているんです。それを突発的に、実行するには、屋上が手っ取り早いんです」

「だが、学校の屋上は原則鍵がかかっていると聞いて…」

「んなもん、あの気持ち悪いモヤモヤ見てたらなんだって無茶が通るように思えてくるぜ…ミノリを屋上から飛び降りさせるのがアレの目的なら、鍵なんて壊すぐらい平気でやるんじゃねえのか?」


そうこう話すうちに、3方向への分岐点に到達する。楢崎とユピテ、そしてカイナは半自動的にそれぞれもっとも近い方向へと分かれて走り続けた。この分岐点からだと、どの階段までの距離も大差はない。つまり、いずれかが「アタリ」という事になる。


───走りながら喋ったせいで息を切らしながら、楢崎はまず西棟屋上への階段を駆け上がる。当然、先程ユピテが言った通り、屋上への扉は鍵がかかっているから───壊された形跡がない時点で。


「っこっちじゃない!」


判断するや否や、素早く階段を折り返す。警察官は体力もなければ務まらない。しかし階段の昇降を含め、曲がり角の多い廊下を全力疾走していては限界も早い。うまく肺に息を吸い込めなくなり、それでも楢崎は死力を尽くして、今度は中央棟の屋上へと足を向けた。





───その一方で、やや出遅れた市松は…


───「屋上です!」


少し離れた廊下から聞こえた楢崎の声を、走りながらもしっかりと拾っていた。


「屋上か…クソッ!」


市松はこの高校の構造をそこまで詳しく覚えてはいない。出遅れたことを今更悔やんでも仕方がないと、各屋上に向かうために3方向に分かれた廊下の地点まで追いついた。が、当然もうそこに3人はいない。

此処で、市松は考えた。3人が各方向にひとりずつ散ったとして…


「(消去法だ…ユピテには加勢しなくていい・・・・・・・・・・・・・。あいつならパワーもあるし、何かあってもひとりで対処しちまうだろ。となると、非力なケンゴの方か、ミリでも疑いの残ってるカイナの方か…) 」


問題は、誰がどの方向に向かったか。その時…中央棟屋上へ向かう廊下の曲がり角から、昨日市松に忠告をしてきた女子生徒が再び姿を見せた。


「…またお前か」

「フフ、そんな睨まないでほしいっすね。ボクはただのか弱い女の子っすよ?」

───「騙されるな市松」


その声は、地を這う雷鳴のように低く。直後…女子生徒の背後から脇を抜け、市松の真横に届くまで、レーザービームのような電撃が貫いてきた。電撃は廊下の壁に命中すると、爆発音を立てて消散した。電撃が命中した壁の一部は、その影響で黒く焦げていた。


「うおっあっぶね…」

「気付かんか、その女は名持ちの悪魔・・・・・・。ここまで近づけば波長ではっきりと分かる、この女こそアンノウンの操り手・・・・・・・・・だ」


電撃の発射点、女子生徒が歩いてきた廊下のさらに奥には───背後に7つの雷鼓を浮かべ、片手をこちらに向けるユピテがいた。


「この女が、悪魔…しかもアンノウンの操り手…!?」

「酷いっすね、急に出てきて悪魔呼ばわりだなんて。ボクはただの女子生徒───」

「俺の雷霆が掠り、なおヘラヘラ笑っている奴が、人間を名乗れると?淫魔・・風情が調子に乗るな、ハニー・リッパー・・・・・・・・


そこで市松はハッとした。


「淫魔って…こいつ本人が!?このっ…何がカイナは淫魔だから気を付けろ、だ!ただの自己紹介か!」

「おい、既に遭遇していたのか?何故先程報告しなかった!」

「うええ…」


ユピテの表情は般若のように恐ろしく、怒声のたびに静電気が散っているように身体中がピリつく。


「フン、さすがに神族は騙せないか」

「黙れクズが。市松に当たる可能性を考慮して、威力を抑えたのが甘かったか。淫魔など、一撃で焼き殺すべきだった」

「おお怖い、勘の鈍い霊兵などとは一味違うっすね」


普段の優しさや厳格さが霞むほど、ユピテの怒りは煮えていた。市松はティールから聞かされたことがある。ユピテは淫魔を、というより…そういう行為・・・・・・をする者を心底から憎んでいる・・・・・と。



───神族は三大欲求が希薄だ・・・・・・・・

ユピテは天界・・東宮とうぐう地域という色街の出身ながら、神族故かそういったことに興味を持たず、ただ己の力のみを信じて鍛えていた。しかし、色街の人々はそれを嘲笑い、後ろ指を差し、「染まれない」と馬鹿にし続けた。倫理の境界が曖昧なこの色街では…魔界から淫魔も紛れ込んでいた、と噂されるほどだった。

…それが、祟った。

いつしかこの色街は、瘡毒・・が蔓延り崩壊していった。自分を嗤い続けた色街の人々は───呆れて去るユピテの背に追い縋った。だが、ユピテは彼らの手を取ることはなく。


───「因果応報だ」───


そう冷たく突き放し、東宮を出奔。そのあと中央…天界の政府に当たる機関でティールと出会った、という。ちなみに、フラウは同じく東宮出身でユピテの後輩に当たる、とも。



───それでも。


「(やっぱり、心のどこかでは引っ掛かってんだろうな。じゃなきゃ、故郷をメチャクチャにした淫魔にあれだけの恨みなんて持たねー。むしろ、本当に因果応報だと思ってるんなら、淫魔によくやった、ぐらい言いそうだし…こんなこと言ったら俺が無限電撃の刑だから言わねーけど)」


改めて市松は女子生徒…いや、淫魔ハニー・リッパーを睨むと、


「勘が鈍くて悪かったな。だがこうなった以上、お前の正体など関係ない。我ら・・に敵対するなら───潰すだけだ」


ポケットに隠し持っていたシルバーアクセサリー…に擬態・・させていた槍の穂先を等倍化させ、武具の槍へと変化させて構える。ただし…


「(つっても、廊下の幅や高さを考えると振り回しての大立ち回りは無理だ。かくなる上は、"突き"しかないが…)」


前後をユピテと市松に挟まれてもなお、リッパーは余裕を見せている。それもそのはず…


「可哀想に、こんな所じゃ実力のカケラすら出せっこないっすねぇ。雷神は出力を誤れば、この敷地内の人間が全員丸焦げ・・・・・。そこの槍兵は、この狭さでまともに武器を振るうことすらできない。そんな状態で、どうやってボクを始末しようと?」


再びユピテが電撃のビームを発射しようとした時…


───「な、何やってるんですか2人共!?」


市松のさらに背後に、分岐点まで戻ってきた楢崎が姿を見せた。それを見たユピテは即座に雷鼓を消し、攻撃をやめる。


「(ダメだ、あの位置では直撃しなくとも人間は死んでしまう)」


その隙を、リッパーは見逃さない。


「ま、あとはお楽しみ・・・・っす」


そう言うと───リッパーはピンク色の煙幕を伴って姿を消した。


「クッ、逃げられたか!おのれ…」

「腹立つけど、逃げたんだったらもう構ってる暇ねーよ!どうせこんな狭いとこじゃ叩きのめすのも無理だったしさぁ!ユピテが中央棟から戻ってきて、ケンゴが来たのが西棟だから…残るは東棟だよな!?」


リッパーを逃がしたのは悔しいが、市松の発言はもっともだ。市松も槍を縮小して穂先のアクセサリーの状態に戻し、ポケットに突っ込んだ。


東棟は言わずもがな、カイナが最初に向かった方角。嫌な予感を抱えながらも、3人は東棟の屋上へ急いだ。




───東棟へ向かう階段の途中で…ビンゴ。ミノリは俺が追った先にいたらしく、どうにか姿を捉えられる距離まで追いつくことができた。ミノリの足は思ったより早い…というより、半ば操られたようなものと考えると、"走っている"というより"引っ張られている"状態に近いのかもしれない。


「おい、ミノリ!止まれって!」

「うあぁぁぁぁぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ッッ!!!!」


ダメだ、俺の声なんか届いちゃいない。だが、屋上の扉は施錠されている。その鍵を壊そうとするなら、そこで手間取っている隙を突いて、羽交い締めなりなんなりにして落ち着かせるしかない!


───予想通り、ミノリは屋上へ繋がる扉の前に着いたはいいが、施錠されたドアノブをガチャガチャやって苛立っている。


「すまねぇ、ちょっと落ち着いてくれ!」


今だ、と俺がミノリに手を伸ばした瞬間

あの黒い靄が再び現れ、ドアノブに纏わりついたと思うと…ドアノブを撥ね飛ばして破壊し、その勢いで屋上への扉が開いてしまった。


「てめっ…こんな時まで、この野郎!」


靄はドアノブを破壊した後、俺が手で振り払う間もなく、屋外に飛び出して空に消えていった。腹立たしいが、今はそれよりミノリだ!


「待てってミノリ!」

「来ないで、来るな、来ないでよ!」


ミノリは屋上の隅まで行くと、フェンスに背をつけて俺を睨む。病的なまでに目を見開き、その目元には隈がはっきり見える。さっき教室にいた時には、ここまでの異常は見られなかった。あの黒い靄が、最後の仕上げとばかりにミノリの精神にトドメを刺したってところか。───ふざけやがって!


「ああ分かった、俺はこれ以上お前に近づかねえ!ただしミノリ、お前もそこから動くんじゃねえぞ!飛び降りなんてさせねえからな…!」


屋上のフェンスは俺の身長の倍程度はあるが、あの黒い靄が何をするか分かったもんじゃねえ。今の俺にできるのは、これ以上ミノリを刺激せず、落ち着かせることが第一だ。ケンゴはアンノウンについて俺よりは詳しいだろうし、ユピテって新任の先生も電撃とか結界とか…とにかく俺よりは何かしら対策ができるはずだ。


「…今更何?私が何をされてても、誰も助けてくれなかった!なのに、今更!なんなの!?私にもう居場所なんてない!こんな地獄が繰り返されるなら、死んだ方がマシなのよ!それを止めるだけ止めて、ああ自分は良いことをしたんだって酔うんでしょッ!!」


ミノリは…もう女子とは思えない程に怒りで顔を歪めて、俺を憎々しげに睨みつけている。ミノリの苦しみを吐き出すような言い分に、俺は反論する術は持たない。そう…反論・・はできない。


───少し・・思い出したから・・・・・・・


「…俺にも居場所なんてねえよ。ヒトの振りして・・・・・・・馴染もうとしても、自分だけ浮いてるの分かって。だからって別に、お前の気持ちが分かるだの言う気はねえ…俺の代わりに、ケンゴや市松のグループに入れてもらえよ。あいつらなら、あの黒い靄からも多少なら守ってもらえると思うから」



───痛くて、苦しくて、喋ることさえできなくなって。

───帰りたい、帰れない。意識が沈んでいく。

───ああ、何故、どうして俺が、こんな目に。



───それは、誰の記憶だ・・・・・



「タマキや美鈴も、あいつらと色々話してたしさ。男女グループなんて、今時珍しくもねえだろ?」


───俺は消えてもいい・・・・・・・・。そんな前提で話をしている。


「ミノリは被害者なんだ。被害者が消えていいことなんてひとつもねえ」


───だって、俺は


「ミノリは残れ。消えるべきなのは、俺だから」


───人間じゃない・・・・・・ってことを、思い出したから。


「…どうして、あなたが泣いているの・・・・・・───」


ミノリが僅かに正気を取り戻し、フェンスから離れようとした時


───あの靄が再び現れ、ミノリの背後のフェンスに絡むと…靄が触れた範囲のフェンスが溶けたように消えた・・・・・・・・・。そして…


「───えっ」


靄はミノリの襟首を引っ張るように、開いた空間からミノリを空中に放り出した───


「ふざっ…やめろォッッ!!!!」


手を伸ばしたって、この距離じゃもう届かない。

その時


───唱えろ・・・


頭の中で、そう響いたんだ。


───迷う暇も理由も、あるか!


サッダルマ・・・・・プンダリーカ・・・・・・スートラ・・・・───!」


ミノリが落とされた方へ走りながら唱えた瞬間…伸ばしたままの手から蓮の花のような形のオーラが現れ、落ちていくミノリの真下に展開された後、ミノリを包むように花弁を閉じ、その落下速度を急激に落として…最後は真下の植え込みに、ほとんど座らせるような形で着地させた。


───「きゃあーーーー!」

───「飛び降りだーーーー!」


ミノリが落下した側の教室から、目撃生徒達の悲鳴が上がる。だが、ミノリは恐らく傷ひとつなく、おまけに精神異常も落ち着いているらしい。やっと屋上の縁まで追いついた俺は、そのミノリの姿を真上から見て確信した。


「よかった、どうにか無事みたいだな」


しかし、何が起きたか呆然としていたミノリが…俺を見上げた瞬間、恐怖に顔を引きつらせる。


「…どうした?まだ何か…まさか、あの黒い靄がまだ…!」

「───あなた、あなたは…誰なの・・・?」


ミノリの震える声は、屋上にいる俺にどうにか届くほどだったが…その意味を、俺もすぐには理解できないでいた。が…気づいた・・・・。俺の目に映った、ミノリを救おうと伸ばした腕。それは…もう学生服ではない・・・・・・・。ややくすんだ肌の色、見慣れない服の袖。

イヤ…違う。


これは、俺が忘れたかったもの・・・・・・・・


「俺、は…」


ヒトの外殻・・が剥がれ落ちた、魔族・・としての俺の姿だ───。




───「きゃあーーーー!」

───「飛び降りだーーーー!」


東棟の方から、悲鳴がこだましてきた。


「───ッ、あ"ぁ"ッ"!!」


楢崎は最後の力を振り絞り、東棟屋上に向かって階段を駆け上がる。その先に見えたのは…


「うわ、なんだこれ!ドアノブ吹っ飛んでる!」


市松の驚く声を背後に聞きながら、壊された扉を蹴り開けて屋上に出ると───


悲鳴が聞こえた東棟の屋上の端で、見慣れない姿の男が虚空に向かって片手を伸ばしていた。


「───え?」


金髪を逆立て、黒い服に身を包み───耳には、カイナと同じ・・・・・・シルバーピアスが光っている。そして…その背には、烏のような漆黒の翼を顕現させていた。その男が振り向いた時


「───カイ、ナ?」


希望を失ったような、カイナと瓜二つの男がそこにいた。


「…どういう、事ですか」


言葉を失う楢崎に代わり、市松が苛立ちを隠せず男へと噛みつく。


「お前、その姿…どういうこった、やっぱり悪魔・・だったのか!いい奴のふりして、俺達の事騙してたのかよ!なんだよそのフェンスの穴、お前がやったのか!?そこからお前が、ミノリを突き落としたってのかよ!答えろよ、なあッ!!」


激昂する市松とは逆に、楢崎も…そして、カイナらしき男も信じられないものを見る顔でお互いを見ていた。

そして


「…ケンゴ・・・


消え入るような声で、男は呟いた。助けを求めているような…それすら諦めているような、寂しい表情で。


「自分の名前を…やっぱり、君は…カイナなんですね」


楢崎もまた、泣きそうになるのを堪えて呟いた。そして、楢崎の視線は一度市松の方へと向く。


「市松、彼が悪魔って…やっぱりって、どういうことですか」

「言い出したのもリッパーとかいう淫魔の女だったから、適当に流してたんだよ!でも…今の状況見たら、どう見たってあの女の言った通りじゃねーか!」

「そんな重要なこと、なんで言ってくれなかったんですか」

「ううっ…それはさっきユピテにも釘刺されたよ、でも…俺もそうだし、ケンゴもカイナのこと疑いたくなかっただろ…だって、あいつは殿の…イヤ、ただ単に言い出せなかったんだ、すまん」


市松の言葉を聞くと、ケンゴは改めて男の方を見た。先程までの信じたい思いが、少しずつ崩れていくのを感じた。


…それでも楢崎はまだ、男の事を見限ろうとは思えなかった。



───最初に自分が階段から落ちた時、咄嗟に抱き留めてくれた逞しさ。

その直後、怪我がないかと声をかけてくれた時の朗らかな態度。

自分が気分を悪くしたのにすぐ気づき、広い場所に連れ出してくれた気遣い。

女子生徒達に詰め寄られた時、自分を庇うように立ち塞がった勇敢さ。

祖母の死因について話した時、無理はするなと再三心配してくれた優しさ───


「…話してください、カイナ。何が起こったのか、君は何をしたのか」


───救急車の音が近づいてくる。屋上に吹き付ける風が、急に強くなった。


「───ごめんな、ケンゴ。まだ・・…話せねえんだ」

「え…?」


男は無表情のまま、風の流れにかき消される程の声で呟くと───突風と共に姿を消した。


救急車の到着で、東棟の悲鳴はざわめきに変わる。相変わらず吹き付ける強風を受けながら…楢崎は空を仰いで呟く。


「───これだけは分かる。君は…悪魔なんかじゃない」





───憑依型の試しは、今回はここまでか。だが…

───計画通り・・・・、だ。





───数日後、波来祖南署・署長室。


「…以上が、今回の高校生連続自殺未遂に関しての報告。憑依型と思われるアンノウンは逃走、ただしアンノウン本体の知能は低いと思われたため、使役していた高位の存在がいたと断定。ユピテ様と霊兵・安芸市松によると、その使役者と思われる悪魔…淫魔ハニーリッパーと接触。アンノウンを使役していた最終目的に関しては、何故被害が女性ばかりに集中したのかなども含め現在調査中」

「なるほど、ご苦労だった」


署長室で報告を行っているのは、タマキ。

もちろんセーラー服ではなく…いつもの濃い目の化粧に加え、肩や谷間の露出が多く、紫の地にスパンコールが煌めくワンピースドレスを纏っていた。高校生というより水商売を生業とする女性の出で立ちだが、むしろ彼女の本職はこちら・・・。神族でありながら水商売の傍らで情報収集を行う、特殊なメンバーだった。


「それで、憑依の被害に遭った在校生徒達は?」

「現在は後遺症などの明確な被害自体はなく、EDEN・・・・の心療内科を中心にカウンセリング対応中。ただし、アンノウンの逃走の影響か記憶が僅かに残ってしまっている模様。操られていた部分もあるとはいえ、やはり誹謗中傷や暴行に荷担したショックは大きいようで。憑依されなかった生徒も含め、長期的なケアが必要かと」



───同時刻、波来祖第三高校・体育館。


「波来祖中央ホスピタル、EDENエデン心療内科担当の命駆メイカル李一リイチです。このたびは、とても怖い思いをしたと思います。暫くはこちらに滞在し、皆さんの心のケアを中心にサポートを行う予定です。気になることがあったら、いつでもケアルームに来てくださいね。できる限りのアドバイスやケアを行えるよう、私も心を尽くします」


しずしずと話すのは、長い前髪を後ろでまとめ、長髪を風になびかせる白髪の初老男性医師。眼鏡の奥では、優しげな笑みを浮かべている。頼りがいのある、優しい医師…と思った、数秒後。


「はァ"ァ"ァ"ァ"い"ッ"ッ"!!!!」


白髪の医師…李一は突如マッスルポーズを取ると、着ていたポロシャツを筋力・・で弾き飛ばした。現れた生身の上半身は、逞しく鍛え上げられた筋肉の塊。先程の優しげな笑顔はそのままに…李一は次々にマッスルポーズを決め始めた。

───重々しい音楽と共に、李一の語りは続く。


「見てください、この鍛え上げられた筋肉!任せてください、皆さんの心は!この私が守りますからね!」


そんな李一の頭を、もうひとりの若い男性医師…先に高校の臨時校医として迎えられていた睦花が叩いた。


「やめなさい、高校生のコ達ドン引きしてるじゃないの!」

「アッひどい!私は皆さんを和ませようと…」

「自己紹介でシャツ弾け飛ばして筋肉見せつけてくる医者のどこを信頼するのよ!怖がられるだけじゃない、おバカ!」


悄気る李一を横目で見ながら、睦花はため息をついて自己紹介を始めた。


「改めて、アタシは薮幡ヤブハタ睦花ムツカ。このお間抜けさんと同じく、元々は波来祖中央ホスピタルのEDEN所属よ。本来は産婦人科と皮膚科の担当なんだけど、担当患者の割合として女性が多い分、あなた達の力にもなれると思うわ。でも、怖い思いをしたのは女のコだけじゃない。男のコだって不安だったコもいると思うの。だから、女のコも男のコも遠慮せずアタシのところにいらっしゃい。暫くは、この高校の保健室で臨時校医として在籍するから。もちろん心療内科程ではないけれど、相談相手ぐらいにはなれると思うわ」



───再び、波来祖南署・署長室。


「…現在できる報告は以上。以後も本件に関しては調査を続行」

「了解。ああ、高校在籍の件だが…」

「それに関しては、校長から。生徒の記憶自体が不安定なため、今抜ける必要はない。むしろ本件の経過観察の名目もあり、今後の在籍も許可する…とのこと」

「良かったじゃないか。私も一緒にタピオカ飲みに行きたい。高校生ってタピ活が好きなんだろう?」


終始無表情に報告していたタマキの広角が…ニヤリと上がった。


「っしょー!?ほんと良かった!シェーデル様も機会あったら一緒にタピ活しよ!ね!」

「こら、今は古岡タツヤと呼びなさい」

「あ、すみませーん。シェ…古岡署長も大変よね、この立場だと自由な外出ってあんまできないっしょ?」

「まあ、たまに楢崎がお菓子買ってきてくれるからな」

「楢崎って、こないだの増援の子でしょ?今日来てるの?」

「ああ。確か今日は昼で上がりのはずだがな」


古岡はそこで、視線を落として声を低めた。


「友人の妹の、月命日だそうだ」





───某所


特殊改造された地下室で、ランダムに動く人型の的。コンクリートを打ちっぱなしにした壁が、その的を一定のリズムで撃ち抜く発砲音をこだまさせる。

そうして人型の的を狙い撃つのは…両手にGO-YO銃を構えたひとりの男。タレ目がちなその視線は、厳しく銃の照準へと向けられている───なお、右目にかかる前髪の一部が白くなっているのが特徴だが…その理由を聞いた者は例外なく怒鳴られている。

エネルギー弾を撃ち出す数発の合間に、銃口を上に向けると錠前の落ちるような音が鳴り、威力が復活する。それを両腕で交互に行いながら、素早く的を撃ち抜いていく。そうして人型の的は次々に首なし・・・へと変わっていき…最後のひとつを撃ち抜いた時、タレ目の男のやや後方にいた、体格のいい短髪の男がストップウォッチを止めて声をかける。


「はいそこまで。前回より1.7秒ぐらい早くなったかな?」


ストップウォッチを止めた体格のいい男の報告に、タレ目の男は舌打ちをしながら耳を保護するヘッドホン状の耳当てを外した。それを見て、体格のいい男も同じように耳当てを外す。


「そんなもんかよ。風祭カザマツリテメー、タイム適当に押してねーだろうな?」

「ひどいなー水嶋ミズシマ、自分だって暇じゃないのに付き合ってるんだよ?」


そう言いながら、体格のいい男…風祭は笑顔を崩さない。それを見たタレ目の男…水嶋はさらに表情を険しくした。


「GO-YO銃の改良データ!さっさとまとめてJITTEの防衛課に提出しなきゃ話が進まねーだろうが!これはWAVE・・・・のプライドを懸けた一大プロジェクトなんだよ!俺だけじゃねー、テメーの評価にも響いてくんだよ分かってんのか!」

「はいはいレンジャー」

「しばくぞ?」


真面目に取り合わない風祭に付き合うのをやめ、"首なし"ばかりになった人型の的を見返りながら…水嶋は悔しげに呟く。


「まだだ…まだタイムは縮められる。威力、取り回し、チャージ頻度…次に強化するべきなのは、何処だ…?」


そう考えていると…


───「おーい、JITTEの防衛課から通信許可申請来てるぜ?受けていいか水嶋ぁ?」


耳の下辺りで髪を切り揃え僅かに鋤いている男が、地下室に入ってきた。


四御神シノゴゼテメー、直接来なくても内線で聞きゃいいって言ったろうが」

「それは覚えてたけどさぁ、お前ら銃使ってる間耳当てしてるじゃん?内線の呼び出しなんて聞こえないんじゃねーかなって思ったんだよ」

「んー、それはそう。実際、今までずっと耳当てしてたし。もしかして、それで呼び出しても応答がなかったから来たんじゃない?もしそうだったらごめん四御神」

「うっはっはー!気にすんな、そーいうこともあらぁな!で、どうすんだ水嶋?」


四御神と呼ばれた男は陽気に笑って水嶋に問うが、水嶋は不機嫌そうに大きく息を吐いた。


「すぐ行く。最終調整のデータ、マジでさっさと取らねーとな。どーせそれの催促だろうし」


そして───


「それでいいか?技術顧問のアウセン様・・・・・よ」


風祭の横で、片膝を立てて床に座ったまま黙って水嶋達の様子を見守っていた"青年"に声をかけた。褐色肌に銀の短髪、燃えるような赤い目をした"青年"は、水嶋を見返すと小さく頷き、先を行く四御神に追従しようと立ち上がった。


彼らはWarning生命 Arrives危機 and通達 Vital緊急 Emergency配備隊───通称WAVE。あらゆる災害や生命の危機に急行する、自衛隊のレンジャー部隊からもメンバーを選抜した精鋭揃いの組織で…アンノウン対処においても可能な限りの協力をJITTEから依頼されていた。

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