[Episode.2-ミスマッチなセカイ•C]

───翌日も、楢崎達は変わらず登校し、社会・歴史の授業を受けていた。


学期の序盤だからか、縄文時代から古墳時代まではやや駆け足で学んでいく。歴史は古ければ古いほど、遺された史跡や出土品も少なく、実態も不明瞭で曖昧になる。だから分かる部分だけを知識として学び、次の少しでも情報が多い時代へと教科書を進めていく。それは10年近く前もやったことで、楢崎にとっては懐かしいというより…些か退屈な時間でもあった。


ミノリは…少し遅れて来るらしい、と通達があった。全て忘れているはずなのに登校時刻が遅れているのは、やはり深層心理に何かしらの違和感を抱いているのだろうか。


その授業中


───楢崎の背に、軽く何かが当たった感覚がした。そして、女子生徒数人が小さく笑う声…。嫌な予感は、残念ながら的中した。カイナだけでなく、楢崎までもがいじめの標的にされてしまった。


その様子を…最後列の窓際席から市松も目撃していた。背の低い楢崎は最前列、教師が板書をするため生徒達に背を向けている隙を突いて、女子生徒達が丸めた紙屑のようなものや、輪ゴムを飛ばしている。

そしてその被害は、カイナも同じ。楢崎とは席も離れているが、女子生徒達は構わずカイナに対してもゴミや輪ゴムを飛ばしては小さな声で笑っていた。

そんな中、美鈴はもちろん、タマキも下手には動けない。タマキは女子生徒達を睨みながら、市松の方に音が聞こえそうなほど歯を噛み締めて耐えているようだった。


「…チッ」


不愉快だ。市松は心からそう思っていた。標的にすると宣言された時点でカイナは相当疲弊していたし、楢崎も過去に何か迫害などの辛い思いをしていることは明白だ。そんな2人を、いじめの標的にして嘲笑うなど…


「(───殿に怒られっかなぁ)」


今にも爆発しそうなほど、市松の怒りは膨れ上がっていた。

そして当然、そんな殺気を放つ市松には手を出そうなどと考える命知らずもいなかった。席の位置が窓際の最後列で、死角から物を投げつける隙がそもそもない、という問題もあっただろうが。


そう考えている間にも、再び楢崎の背に輪ゴムが飛ばされる。楢崎の体勢がやや前屈みになり、肩が僅かに震えているのが見えた。


「(あー、もう我慢できるかよ!)」


市松は支給されていた筆箱を乱雑に漁ると、シャープペンシルの芯が入った小型のケースを取り出す。そして、次に楢崎を狙う輪ゴムを手にしている女子生徒に───


「…痛っ!」


シャープペンシルの芯を指で弾き飛ばし、伸ばされた輪ゴムに向けて絡ませることで、女子生徒の手先で"暴発"させた。

女子生徒は何が起こったか分からない様子だったが、懲りずに再び輪ゴムを手にした。その隙を、市松は見逃さない。


「せーんせー!なぁんかこの教室、ゴミとか輪ゴムとかめっちゃ落ちてて汚くね?掃除しようぜ掃除!」


市松の唐突な大声の発言に、板書をしていた教師も何事かと振り返る。そこで、やたらとゴミの散らかった床を視認し、最前列の楢崎の様子がおかしいことにも気づいた。


「楢崎、具合悪いのか?」

「俺保健室連れてってくる!カイ…櫛本君も顔色悪いんで、一緒に連れてってきまーす!」


市松は立ち上がると、まずは近くの席だったカイナの腕を掴み、有無を言わさず引っ張り立たせた。


「お、おい市松…」

「いいから」


次いで、明らかに具合の悪そうな楢崎の元へと大股に歩み寄ると…その大雑把な動きのせいか、楢崎の机に腕が当たって教科書が床に落ちてしまった。


「あっ、悪い───」


その時、開かれていたページには



───『15■■年 郢皮伐■。髟■が莉■キ晉セゥ■を討った戦いを「譯カ迢ュ■縺ョ謌ヲ■」と呼ぶ』───



「これは…」

「──────」


楢崎は眉を潜め、市松は何も言わず、床に落ちた教科書を見下ろしていた。記載されていたのは、奇妙な文字列。しかも、目を離してもう一度視線を戻すと僅かに変化し、生き物のように揺らめいている。それなのに───


楢崎は、この文字列を正しくないとは思わなかった・・・・・・・・・・・・・


「(何かがおかしい…でも、10年前の授業でも、この文字列は見たはずだ。この文字列の意味は知っているはずなのに・・・・・・・・・・分からない・・・・・…この感覚は、なんなんだ…?)」


それに気づいた教師もまた床の教科書に気づいたが、開かれたページを覗いても何も言うことはせず…落ちた教科書を拾い上げて楢崎の机に戻した。


「ほら、保健室に連れていくんだろう?安芸、お前はサボらずすぐに戻るんだぞ」

「へぇーい、分かってるよーぅ」


市松はカイナと同じように楢崎の腕を引っ張り立たせ、楢崎の歩く速度に合わせて教室を後にする。


…楢崎は、一瞬だけ見ていた。


「(今の態度…何か知っているのか…?)」


教科書を見下ろしていた市松の視線が、驚くほど無感情・・・だったのを。





───保健室に向かう道中、教室の並ぶ棟から人気ひとけの少ない廊下まで来た時、楢崎は自分を支えている市松の腕から外れようとした。


「大丈夫です、ひとりで歩けます…すみません、何度もこんなことになって」


しかし、市松はその動きを改めて制止する。


「気にすんなよそんなん、体調悪いんだからもう少し掴まってな。にしても、その…学校で嫌な思いしたんだったら、潜入捜査なんて断ってもよかったんじゃねーの?」

「いえ…勘違いさせてすみません。高校の頃は友人もいましたし、部活もしていました。だから、学生生活そのものは嫌ではなく、むしろ楽しかったんです」


楢崎の言葉を聞いて、カイナが自然と市松の腕から逃れながら口を挟む。


「だからって、俺まで連れ出さなくてよかったんじゃねえか?」

「あんなヤベー教室にお前だけ残せるかよぅ、何されるか分かったもんじゃねーし」

「残すって…市松はすぐに教室に戻れって言われてたろ」

「へへーん、バックレ☆あんだけ静かな教室で、あれほど嫌な空気になってて気づかないなんて、教師も教師だ、ちったぁ頭冷やせっての」


軽々しく言ってのける市松に呆れつつも、カイナの視線は楢崎に向いた。


「そういやケンゴ…じゃねえや、楢崎…さん?」

「…違和感はあると思いますが、ここにいる間はケンゴと呼んでください…敬語もナシでお願いします」

「…じゃあ、ケンゴさぁ」

「…何でしょうか」


歩みを止めないまま、楢崎は先を促す。


「ああ…その、聞かれたくないかもしれねえんだけどすまん、何か嫌な思いしたのは見てて分かるんだ。だけど、それが学校でのいじめとかじゃねえんなら、一体どうしたんだ?何があったのか…聞くだけなら聞いてやれると思うんだ。勿論、言いたくなきゃ今の質問は忘れてくれ…ただ、心配でよ」


カイナの言葉を受けて、市松も小さく頷いてその続きを接ぐ。


「だよなぁ…思い出して何度も具合悪くなるぐらい嫌なことなんだろうし、あえて掘り返すのもなーとは思ったんだけどよぅ…原因聞いとけば、俺も対処できるとこあんじゃねーかなー…とか思ったり…あっもちろん無理に話せとは言わねーから!」


すると…楢崎は立ち止まり、市松から離れて、自らの袖を肘辺りまで捲りながら低い声で告げる。


「───母親です・・・・。もっと言うなら、自分の生まれた里ぐるみとでも言いましょうか。例えばこの腕、何度も火箸を当てられた痕があるんですが見えますか?この街の医師が、ここまで目立たなくなるまで治療してはくれていますが…記憶は消えない。あの里は女社会…男はいくらでも虐げていい・・・・・・・・・・・・という狂った風習が根付いていた。生まれるべきでなかったと、死ねばいいのにと、生きていることを否定されてきた」


楢崎の声が、細く早口になる。呼吸が浅い、目眩がする。嫌な汗が全身に染みるのが分かる。目眩がする、もう吐きそうだ。

そんな楢崎を…背後から市松が抱きしめる。


「ごめん、悪かった。もういい、もういいから。嫌なこと聞いたよな、本当にごめん」


市松の声は震え、今にも泣きそうだった。ああ、誰かに抱きしめられるなんて、何年ぶりだろう…そんなことを思ううち、楢崎の動悸と吐き気は少しずつ治まっていった。単純だな、と自分に呆れたような笑みが漏れる。


「…勝手に語り出したのは自分です。市松が謝ることではありませんよ。潜入してまだ2日なのに、自分のせいで何度も迷惑をかけてしまいましたし、理由ぐらいは話さないとフェアじゃありませんしね」

「そんなことでフェアだフェアじゃねえだ言わねえよ…でもケンゴさ、最初に自己紹介した時は祖母の仕事の関係って言ってたよな。さっき里ぐるみって言ってたけど、それって…」


カイナの問いに、楢崎はああ、と思い出したように呟いた。


「それは大丈夫です。あの里で、祖母は唯一自分の味方でした。厳密には姉も、でしたが…まあ、結論から言うとその転入理由は嘘です。高校での中途転入は余程の事がなければないので、理由付けにも少し悩みました」

「そ、そりゃそうだよな。孫まで引っ越さなきゃいけねえばーちゃんの仕事って何だろうって、ちょっと謎に思ってたんだよな」

「祖母は死にましたからね・・・・・・・・。自分の目の前で」


───沈黙。市松が短く息を吸い、楢崎を抱きしめる力を僅かに強めた。


「え………あ、その…悪い、俺」


カイナはそれ以上継ぐべき言葉が出てこず…息を飲み込んだ。少し離れた音楽室から、何故か流行り曲のユーロビートアレンジが微かに響いている。グラウンドからは、体育の授業中らしい生徒達のランニングの掛け声が聞こえてくる。


「いいんですよ。知らなかった事を察しろなんて、傲慢にも程があります。それに、さっきも言いましたが、話題にしたのは自分ですから」

「…だけどよ、死んだってなんで…あっ、すまん…無神経だったな…」


カイナは自ら悪化させた重い空気に耐えかね、なんとか会話を途切れさせまいと言葉を捻り出すが、さらに余計な質問だったと青ざめるが…楢崎はふむ、と小さく呟いて答える。


「それが…祖母の死因についてははっきりしていない・・・・・・・・・んです。自分の目の前で死んでいたはずの祖母が、どうして・・・・死んだのか。あの日の記憶に靄がかかったみたいに、思い出そうとしても思い出せないんです」


どれだけ思い出そうとしても、あの夜の記憶はカケラ程しかなく。



───「ばあちゃん!ばあちゃん!うぅ…うわああああああああん…」


瀕死の祖母に縋る自分。そのすぐ近くに───ナニカがいた・・・・・・。それだけが、強く記憶にこびりついている───



「…勿論、遺体の目の前にいたという状況的に、自分も疑われました。ですが当時7歳だった自分どころか、人間には不可能な方法・・・・・・・・・・で殺害されたという事で、疑いは晴れました…だからといって、あの時の事は何も終わっていない」

「人間には不可能な…そうか、アンノウン案件…」


市松の言葉に頷くと、楢崎はカイナの方に向き直り、真っ直ぐその目を見据えた。


「カイナ、君にはまだピンと来ないかもしれませんが。少なくとも自分が子供の頃から、アンノウンという未確認生命体がこの世の中に存在している。そいつらが何の目的で暴れているのかは知らない、分からない。ですが、まだ解明されていない祖母の死にアンノウンが関わっている可能性があるのなら、それを許すわけにはいきません。自分が警察官に、JITTEになったもうひとつの理由・・・・・・・・がこれなんです。何故祖母は死んだのか。何故、その部分だけ自分の記憶が欠けているのか。それを考えた時、もしかしたらアンノウンが関係しているかもしれないと思った。だから、その真実を明らかにするためなら危険な案件でも調べる事にしてるんです」


それを聞いたカイナは…一呼吸置いて答える。


「それは…それは、確かに大変かもしれねえ。でも…でもな、ケンゴ。人間ってのは、辛い記憶や思い出したくない記憶に脳が勝手にロックをかける事もあるって言うぜ。もし真実を知って、ケンゴ自身が耐えられないぐらい辛い事実があったら…」

「覚悟の上です。曖昧なまま、大切な事を知らないままで生きていたくない。言ったでしょう、祖母は…故郷での自分の支えだった。その死因も知らないで、墓前に手を合わせることはできない」

「───おま、イヤ…あんたさぁ」


カイナは一度、言い直そうと首を振った。


「あんたはきっと、自分の目的のためなら何だってするし、どんだけ辛いことがあっても耐えようって…そんな奴な気がする。けど…本当に辛くて倒れそうになったら、頼れる奴ってのをちゃんと見つけておいた方がいいぜ。一度壊れたら、簡単には直せないのが…心ってやつなんだろうし」


それだけ言うと、カイナは困ったように笑い、悪戯っぽく付け足す。


「あ、別に俺に頼れとかそういう意味じゃなくてな?無理すんなってこった」

「…ありがとうございます」


楢崎とカイナとの会話が一区切りすると…楢崎を抱きしめていた市松が爆発・・する。


「うわあぁぁぁ"ぁ"んなんだよぅそれ~、お前だけなんでそんな無理してんだよぅ~!」

「うわっうるさっ、頭の上でいきなり叫ばないでくださいよ」

「だぁっでぇ~、がわ"い"ぞう"な"ゲン"ゴ~!ヨシヨシしでやるがらなぁ"~!」

「ちょっちょっと、落ち着いてくださいって…別に同情を求めようとして話したわけじゃありません…うわっ!」


号泣する市松によってもみくちゃにされる楢崎を見て、カイナも思わず苦笑を漏らす。


「ははっ、いいじゃねえか。嫌なことは誰かと等分しちまうのが一番いいんだよ、ひとりで抱えて泣くこたぁねえさ」

「そういう問題じゃ…」

「そういうもんなんだよ。誰かと一緒の方がずっと楽だ。だからケンゴだって、高校生活は楽しかったんだろ?」

「…そうですね」


返す言葉もない、と、楢崎もつい苦笑を漏らした。


「やっぱり笑ってた方がいいな、あんた。本当の学生みたいだ」

「なっ…はぁ!?どういう意味ですか!」

「なんでもねえよ、可愛い可愛い」

「ああもう…なんなんですか!」


楢崎を茶化すようなカイナの態度に文句を言いながらも…学生時代もこんな下らない会話をしていたな、と少し懐かしい気持ちになっていた。その背後には妖怪子泣き坊主を引っ提げたまま、あまり行く意味のなくなった保健室へと再び足を向ける。

そこで、カイナが再び楢崎へと問う。


「…なあケンゴ、さっきばーちゃんの死因を突き止めるのは警察官になったもうひとつの理由・・・・・・・・って言ってたよな。じゃあ、警察官を目指した元々の理由・・・・・って何なんだよ?」

「それはもちろん…悪を許さない・・・・・・、という根本的な理由ですよ」

「…そうか、さすがだな」

「その言い方、なんだか含みがありません?」

「ねぇよ、純粋にすげぇなってだけだ」

「本当ですか?」

「ほんとほんと、大マジだよ」


そうしてとりとめのない会話をしながら、一行は漸く保健室へと辿り着いた。





───保健室に入ると、珍しく…と言うべきか、養護教諭らしき人物は白衣を着た若い優男だった。その顔を見た楢崎は…


「えっ、睦花ムツカ先生!?」


楢崎の意外な反応に、カイナも思わず楢崎へと視線を向ける。


「あん?なんだよケンゴ知り合いか?」

「さっき腕の傷を目立たなくしてくれたって言いましたが、それが睦花先生なんですよ。皮膚科専門なので…でも、どうして此処に?」


すると───楢崎に気がつき、こちらも驚いたらしい睦花と呼ばれた優男からは、カイナと市松を驚かせるような言葉が放たれる。


あら・・、ケンゴちゃん・・・!こんな所でどうしたの・・・・・?」

「はぇ?」

「なんだぁ?」


睦花の外見は若い優男、しかし、その姿から放たれたのはたおやかな女性言葉。そのちぐはぐさに、カイナも市松も目を丸くして呆けていた。


「ちゃん付けはやめてくださいよ…保健室、他に誰もいませんよね?ちょっと理由あって、潜入捜査させられてまして…」

「あらそうなの?大丈夫よ、深くは聞かないわ。男のコはちょっとぐらい秘密があった方がミステリアスだものね?」


睦花はにこやかに答えていたが、そこであら、と何かを思い出したように付け足す。


「そうそう、アタシ・・・が此処にいる理由も気になるって言ってたわね。本来の保健室の先生、体調悪くして暫く休職するって言い出したらしくって。それで最初は、卒業生のケンゴちゃんも知ってる通り、この高校の校医をずっとやってる父さんに声がかかったってわけ。でも父さんってば、今は手が離せないから、代わりにアタシに行けって言ってきたの。アタシに教員免許はないから、此処にいるための名目として父さんの代わりの校医ってことになってるけど、アタシの専攻は皮膚科と産婦人科よ?そりゃ、父さんより女のコの気持ちは分かるかもだけど?」

「それでも睦花先生は医師免許がありますから、保健室の先生より医療行為の幅は広いはずですよね。アンノウンが跋扈している状況では、医師免許を持つ人がいた方が心強いのは確かです。それを睦花先生の父親…院長・・も考えたのではないでしょうか。ともあれ、薮幡診療所・・・・・の皆さんもお元気そうで安心しました」


楢崎の言葉を聞いた睦花は、少し苦い顔でため息をついた。


「それが聞いてくれる?アタシ達の診療所、アンノウンだかなんだか知らないけどバケモノにメッチャクチャに壊されちゃったのよ!運良く入院患者さんはいなかったんだけど、診療所はまともに運営できる状況じゃなくなっちゃって。だから父さんと兄さんは少し前から、そこの大病院…波来祖中央ホスピタルで雇ってもらってるの。アタシもそこにいたんだけどね…雇ってもらってた立場で言いたくないけど、あの大病院、中々に闇が深くて。それもあって、アタシは此処に逃がされた・・・・・って感じ」

「…睦花先生も色々と大変な目に遭ってたんですね。あの診療所があった位置は…ああ、確かに少し前にアンノウンの暴動がありましたね。掃討に向かったのは自分とは別部隊でしたから、まさか診療所が巻き込まれていたとは知りませんでした。情報共有不足でした…すみません」

「いいのよぉ、気にしないで。アタシ達も当時のスタッフも軽傷で済んだし、ケンゴちゃんも忙しいんだから…」


そこで睦花は、楢崎の背後にいるカイナと市松に改めて気がついたらしい。


「あらいけない…今更だけどケンゴちゃんの後ろのおふたりさんも、ケンゴちゃんが潜入してるとかの事情は一通り知ってるってことでよかったわよね?アタシ、嬉しくて確認もしないでついつい喋りすぎちゃった…」

「お、おう…」

「まあ、かなりざっくりだけどな…そこで、話を聞いててひとつ気になったんだが」


始終呆けたままの市松と違い、カイナは途中から何事か難しい顔で考えていたようだった。


「どうしたの?あら、あなたもなかなか可愛い顔して…」

「そういうのは今はいい。確認だ…休職した養護教諭、で合っているか?───女だった・・・・、ということでいいんだな?」


カイナの指摘に、楢崎と市松もハッとして顔を見合わせる。


「また女性…」

「教師だから偶然…にしちゃタイミング良すぎだよな。女教師もおかしいことになってたって、f…波久礼も言ってたし」

「そうだけど…それがどうしたの?おかしいことって何?」


当たり前だが、睦花はこの高校で今起こっている異変については何も知らない。アンノウンについても一般市民達と同じく、正体の分からない恐れや不気味さ、破壊に対する怒りなどの印象しかないだろう。だからこそ今回の事を睦花に話すべきか、楢崎は悩んだが…


「(今は余計な不安を煽るような事を言うべきじゃない…睦花先生が男なら、今までの法則通りであれば被害に遭うことはないはず。ならばこのまま、保健室の番人の一般人、という立場でいてもらうのが安全だろう)」


その考えを偶然にも汲んだのか、カイナは怪訝な表情を浮かべたままの睦花にニヤリと笑いながら答える。


「いいや、先生が男でよかったってこった。逆に俺ら男子生徒の話も親身になって聞いてくれそうだしな?実はケンゴの奴、ちょーっと気分悪くなっちゃってさ。俺は大したことねえから、ケンゴの話だけでも聞いてくれたらな~って」

「そ、そうなの?ケンゴちゃん、大丈夫?」

「あ、ええ…はい。少しマシにはなりましたから」


うまく話を逸らしたな、と楢崎が感心していると、


「じゃ、2人の事は先生に任せていーか?めんどくせーけど、俺まで此処でずっと駄弁ってたら怪しまれそーだし、しゃーねーから俺は教室戻るわ」


堂々とサボりを公言していたはずの市松が、言を翻してあっさりと保健室を去ろうとした。


「え、市松…いえ、戻るのは構いませんが」

「ごめんな~ケンゴ、授業終わったら様子見に来るからさ」

「いえ、気にしないでください。自分は大丈夫ですから」

「やーだ絶対来る~!カイナも、ケンゴのこと頼んだぜ」

「分かった分かった、任せとけって」


カイナの答えを聞くと、市松は楢崎とカイナにニヤッと悪戯っぽい笑顔を向けてから、軽い足取りで保健室を後にした。


そして、保健室から声が聞こえない程度まで遠ざかると、延びをするように息を吸い…


「さぁて…」


笑みを消し、廊下の奥を睨む。


「───隠れきれているとでも・・・・・・・・・・?」


市松の声は、今までの比ではなく低く。

殺気を伴い、警戒に満ちていた。


すると…廊下の奥、曲がり角からひとりの女子生徒が現れた。髪色の暗いショートカットで、陰気で地味な印象すら受ける女子生徒を見ても、市松は一切の警戒を解かない。


「ふぅん、バレてたんっすね。いつから?」

「何を嗅ぎ回っている?女」


一切遊びなく唸るような市松の声に、女子生徒はそれでも怯む様子はない。


「嗅ぎ回っているなんて、そんな。ボクは忠告しに来ただけっすよ」

「忠告だと?」

「アンタ達が仲良くしてる櫛本カイナ、あいつは悪魔っす・・・・・・・・。あの男が、この学校の女子生徒を誑かしておかしくさせてるんッスよ」


女子生徒の言葉に、市松は一瞬固まったが…


「…そんな、そんなわけあるかよ。あいつは俺の"友達"だぜ?適当言ってんじゃねーよ」


消え入るような声で呟き、目を伏せて肩を震わせた。その様子に、女子生徒はさらに畳み掛けるように言う。


「あの男は淫魔・・、女を弄ぶ男悪魔インキュバスって種族っす。被害者は全て女、って事からも、筋は通るっすよね?」

「出鱈目言うんじゃねーよ!バカヤロー!もう知らねー!」


それだけ吐き捨てて、市松は女子生徒の前から逃げるように走り去る。女子生徒を追い越し、走って───保健室からはかなり離れた男子トイレの個室に駆け込んで鍵をかけた。そこで、深呼吸をすると


───市松の表情からは、笑みも怒りも消えていた。


そして、ポケットから半透明の札のようなものを取り出すとトイレの内扉に貼り、さらにハンズフリー通話に使われるインカムのようなものを取り出して耳に装着し…


「───『殿』、至急のご報告を」


冷静な口調で、通話相手に呼びかけた。


───『市松?どうかしたのか』


通話相手…『殿』は無感情に答えるが、その背後では騒々しく戦闘音が鳴っている。


「殿、もしや戦闘中なので?時を改めるべきならば、通信を切りまするが」

───『そう恭しくするな、『』よ───疾く終わらせる・・・・・・・、案ずる必要はない』


そう答えた直後…一際大きな爆発音が響き、ノイズが混ざり───


───『問題ない、終わらせた・・・・・。して、用件は?』

「流石は殿…ならば手短に。殿の悲願、我が竹馬の友───肥後虎之助・・・・・に瓜二つの男を見つけました。関わった限りではただの人間としか思えませぬが、さらに悪い報せも今しがた」


そこで市松は…声を低める。


「その男を悪魔などと呼ぶ狼藉者の女がひとり。俺の正体を勘ぐられる前に阿呆のふり・・・・・をして離れたが、あの女こそ警戒すべきと進言いたします」

───『成程。その旨、古岡にも伝えておこう。この話、聞かれてはいまいな?』

「恙無く。防音の符で結界を張っている故、心配は無用でございます」

───『承知した。にしても、普段通り・・・・でよかったのだが?』

「はは、往年の癖で。有事の報告ともなれば、つい畏まってしまいまする。次にお会いする時には、また普段調子ふだんぢょうしに戻しましょう。この態度で『友』を名乗るには無理がありますからな」

───『やれやれ、『友』同士は畏まったりしないと思うのだが?』

「それもそう、か。心に留め置くとしよう」


そう言うと、市松は通信を切り…インカムと札を外して再びポケットに押し込むと


「───あーあ、授業戻んのめんどくせーなぁ~!」


何事もなかったかのように男子トイレを出て、教室へと戻っていった。




───通話を終えた『殿』───ティール・・・・が対峙していたのは、身の丈の三倍はあるだろうムカデの姿をしたアンノウン。しかし…その身には既に多くの刀傷が刻まれ、さらに致命傷を受けて消散するところだった。


南泉流剣術・抜刀一閃…儚桜ゆめさくら


ティールが居合いの要領で振った刃は、大ムカデの巨体を横薙ぎに斬り分けた。真っ二つになり、爆散する大ムカデの合間から見えたティールの表情は…厳しく引き締まっていた。


「…怪我はないか」


周囲で怯え、物陰に隠れていた市民達にティールが問うと、どうやら重傷を負った人間はいないようだった。

しかし…ティールは違った・・・・・・・・


隠れていた市民の中から…ひとりの男児が、恐怖に震えながらもティールの元へと歩み寄る。母親らしき声が男児を呼び止めるが、男児は構わずティールの足元に辿り着いた。


「…どうかしたのか」

「お…おにいちゃ、けがしてる・・・・・

「…ああ、これか」


男児の指摘通り、ティールはアンノウンの反撃によってかなりの傷を負い、身体中から血を滲ませていた。しかしティール本人は、そんなもの一切気にならない、といったように平然としている。それが、男児の不安を煽ったのだろう。


「気にするな、早く行くといい。君の親が呼んでいるぞ」

「…おにいちゃん、これ」


男児が震える手で差し出したのは…特撮ヒーローがプリントされた子供用の絆創膏。男児にとっては宝物なのだろう、今の戦いを見ながら握りしめていたのか、汗でくしゃくしゃになっている。


「いたかったのに、ありがとう…おにいちゃん、ヒーローだね」


男児は…まだ恐怖が抜けきらないながら、ティールに向かって笑いかけた。


───この笑顔に応えられずして、何が『正義の軍神・・・・・』か。


ティールは自らの左手に血がついていないことを確認してから、男児の頭を軽く撫で───柔く微笑み返した。


「感謝する、君が無事で良かった。君の気持ち、受け取らねばなるまいな」


そして男児からくしゃくしゃの絆創膏を受け取ると、満足したらしい男児は、今度こそしっかりとした足取りで母親の元へと駆けていく。その後母親は慌ててティールに一礼し、男児を抱え上げて小走りに去っていった。

当然か、恐れられるのは慣れている。そう思いながら、ティールは受け取った絆創膏を懐にしまった。


「…ヒーロー、か」


しかし…そう呟いた直後、ティールの側頭部に鋭い痛みが走り、その場に膝をついた。


「…っ、く…おのれ…、何故、痛覚を失ってなお・・・・・・・・此処だけが・・・・・…」


それでも、ティールは再び立ち上がる。


「私は…止まれない」


命の灯が尽きるまで、1体でも多くのアンノウンを斬り…人間を、世界を救うために。

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