[Episode.2-ミスマッチなセカイ•B]

───波来祖第三高校・2年3組教室前


───「今日から転入生2人がこの教室の仲間になる。入って」


担任からの呼びかけに、ややざわめく教室へと足を踏み入れた。


「じゃ、自己紹介を」

「…楢崎ケンゴです。祖母の仕事の関係でこの街に来ました。今学期からの中途転入ですがよろしくお願いします」

「安芸市松だ!仲良くしてくれよな~!」


市松は相変わらず朗らかな笑顔を浮かべ、元気よく手まで振ってアピールしている。





───潜入して早速の移動教室に当たったものの、元卒業生の楢崎にとっては迷う心配はなく、そこまでの問題ではなかった。家庭科室への移動中、今更ながら"配役"への文句が沸々と浮かんでくる。


「(なんっで生徒役………)」


楢崎自身、身長がそこまで高くない事はコンプレックスだった。故に、それを利用して生徒役に当てられた事自体には未だに納得はしていなかった。

そんな思考の中でふて腐れ、意識を集中させないまま歩いていると


「あっ」


眼前に迫っていた下り階段を踏み外し、おまけに足同士を引っかけた結果───楢崎の体が宙を舞う。スローモーションになる視界に、自身のダメージを予想し絶望していると


───その体は予想に反して、階段下にいた男子生徒が抱き止めてくれた事により惨事を回避できた。


「おっとと…大丈夫かよ転校生!」

「す、すみません…考え事をしていて」

「それより怪我ねえか?結構な高さから降ってきたぞお前」


その男子生徒は明るい茶髪で、両耳には銀のピアスが光る。目つきもやや鋭く、見た目だけならいわゆる「不良」に見えなくもない。だが…楢崎には、彼の本質が単なる不良であるようには思えなかった。弱みを握って金銭を奪ったり、暴力の的にする…警察官として見聞きしたそういう事案と、今の彼が見せた優しさと気遣いは、少なくとも結びつくには遠いように思えた。


「その…ありがとうございます…君は?」

櫛本クシモトカイナ。カイナでいいぜ、転校生…ああ、ケンゴだったっけ?本当に捻挫とかしてねえんだな?」


男子生徒…カイナは楢崎を支えるように体勢を整えさせながら、なおも心配そうに楢崎の様子を窺っている。


「ええ、大丈夫です。君のお陰で事なきを得ましたので」

「そっか、ならよかった。他にもなんか困ったら言えよ、できることなら助けてやるからさ」

「ありがとうございます、何かあれば頼らせてもらいます」


そう答えながら、視線を元いた階段の方にやると…迷っていたのか少し遅れて市松が階段を降りてくる所だった。


「ん、どうしたんだよケンゴ、なんかあったのか?」

「いや、ちょっと階段から落ちてしまって」

「えーっ!?おい、大丈夫なのかよぅ!?」


市松はまた半泣きになりながら、階段を一気に飛び降りるようにして2人の元へと着地した。


「おいおい、お前危ねえぞ…そういうのやめな。足挫いたらどうすんだ」

「だってよぉ~…」


そう反論しかけていた市松が…カイナの方を改めて見つめる。


「あ?どうかしたのか」

「いや…お前さ、何処かで会ったことないか・・・・・・・・・・・・?」


市松は珍しく神妙な面持ちで聞いたが…カイナは小さく首を振った。


「悪いが俺に覚えはねぇな。人違いじゃねえか?」

「………そっか。悪いな、変なこと聞いて」

「気にすんな、それより次は家庭科室だろ?早く行かねえと間に合わないぜ。お前ら転校生だから近道分かんねえだろうし、俺についてきなよ」

「ああ、中庭の花壇脇通ると近いんでしたよね」


思わず口を滑らせた楢崎を、カイナも驚いて見返る。


「へぇ、よく知ってんじゃん。オープンスクールとかで発見した感じか?なかなかの冒険者だな~」


楢崎もまずい、と息を飲んだが、カイナがそれ以上に感づく様子はない。発言は慎重にしなくては、と思い直したが…


そこで3人は、チャイムが鳴る前特有の低音に気づいた。


「やっべ、死刑宣告チャイム来るぞ!細かいことは後だ、走れ!」


カイナの指示に、楢崎と市松も従わざるを得ず小走りになる。


「ああもう、廊下を走ったら怒られますよ!」

「中庭出たら廊下じゃねえしノーカンだ!行け行け!」

「わぁ、待ってくれよぅ~!」


チャイムが鳴る中、3人はギリギリのところで家庭科室に滑り込むことができた。





───漸くの昼休みになり、早速カイナと市松は楢崎の元に集って昼食を広げていた。本当なら、教室外で市松と調査内容を確認する時間に充てたかったが…現状さしておかしな点が見当たらない以上は、わざわざこの状況を抜け出す必要もないかと楢崎は判断していた。


「ケンゴ、カイナ、お前ら昼何持ってきた?俺めっちゃコンビニで気になるおにぎり買ってきてさぁ~」

「量多くね?食いきれるのかよ、お前さっき菓子まで食ってたろ」

「いけるいける!うまいもんは無限に食える!」

「本当ですかね…」


楢崎の机の半分を占領する市松のおにぎり群に、カイナと楢崎は顔を見合わせて苦笑を漏らす。


「俺は購買で焼きそばパンってやつ買ってきたんだよ。人気だからなかなか買えなくてな~、ってケンゴお前なんだそりゃ?」

「カ○リーメイトですけど」

「おいおい、学生のうちからそういうのに頼るのやめとけよ…非常食としてはいいだろうけど、普段からそれじゃ食の楽しみも何もなくなっちまうぞ?」


カイナの小言に、今度は市松が楢崎と視線を合わせて悪戯っぽく笑い合う番だった…楢崎の方は諦観の笑みとも言えたが。


「なんだぁお前ら、その笑みはよ」

「カイナだってさっきケンゴとニコニコしてたじゃんよぅ」

「ニコニコじゃねえよ、お前が人様の机で───」


カイナが再び小言を言っていると…教室の何処かから、何かが倒れるような鈍い音が響いた。


「えっ何、何だよ?」


市松は眉を潜め、辺りを見回して異変の種を探している。しかし…市松と向かい合う形で座っていた楢崎には、何が起こったのかが見えていた。



───数秒前、楢崎がちょうど諦観の笑みを市松に向けた直後。


そのきっかけは、教室の端で群れていた女子生徒のグループ。

息を殺すように席についたまま動かない、ひとりの女子生徒。他の生徒は彼女に目もくれず…イヤ、正確には数名、チラチラと彼女の様子を面白がるように見ていた。


そして次の瞬間、彼女は群れていた女子生徒のひとりに突き飛ばされ、机と共に床に倒れ伏した。何かが倒れる音は、この時彼女が机ごと倒れた音だった。



───そして、今。


「ちょっ…」

「よせ!」


反射で立ち上がった楢崎を、カイナが慌てて咎めた。


「どうして…」

「(お前が標的にされるぞ)」


カイナは耳元で、早口に囁いた。


彼女を突き飛ばした女子生徒達は…まるで汚いものでも見るかのように恐ろしく冷たい視線を彼女に向けていた。


「(なになに、どういうことなんだよぅカイナ…)」

「(今下手に動くなってこった、あとで説明するから)」


カイナは不安そうな市松を小声で窘めていたが…

楢崎の背筋が、凍った。



───「お前は出来損ないだ、クズが!」───

───「あんたなんて生まなきゃよかった!」───

───「穀潰しが、早く死んでしまえ!」───



思い出さなくていいことを、思い出してしまう。

うるさい。うるさい。少し、黙れ。

目眩がする。動悸が早くなる。何も───


「ちょっ…ケンゴお前、ちょっとこっち来い!」


楢崎の様子に気づいたカイナが、慌ててその腕を掴んで教室から連れ出した。





───中庭の脇に置かれたベンチで、楢崎の動悸と吐き気が落ち着くまで、カイナは楢崎の背中を擦ったり「大丈夫」と声をかけたりと甲斐甲斐しく面倒を見てくれていた。

その2人の元に、自動販売機で飲み物を買ってきた市松も合流する。


「大丈夫かよケンゴ…水とお茶どっちがいい?」

「…すみません、ありがとうございます」

「気にすんなよ、吐かねえようにゆっくり飲みな」


楢崎がなんとか水分補給できる程度に落ち着いたのを見て、カイナは声を低めた。


「…転校初日から嫌なとこ見せちまったな。春休み挟めばマシになるかと思ったが…甘かった」

「………明らかに、いじめ…ですよね。あの子がいじめられているのは、いつ頃から…?」

「お前…自分がそんなんなってんのに無理すんなよ、って言いたいとこだが…こんなタイミングで転校ってのも気にかかってたんだ。お前…何か知ってるのか?この嫌な流れについて」


カイナは一呼吸ついてから…ゆっくりと、他の誰にも聞こえないような小声で語った。


「あの女子の名前はミノリ。あいつが標的になったのは…前にいじめられてた奴と仲が良かったからだ。その生徒も同じように嫌がらせを受けてて…だんだんエスカレートしていった。ミノリは何度もやめるように言ったが、聞くわけない。そいつが…追い詰められて、自殺未遂して、学校に来られなくなって。標的がミノリの奴に変わった。…その自殺未遂した奴も、その前に自殺未遂した奴と仲が良かった。そうやって、いなくなるたび標的が変わって、少しずつクラスメイトが減ってきてんだ。しかも、奇妙なことに女子ばっかりがな」

「そこまでの事になって…何故高校側は何も対策を取らないんですか?」

「分かんねえよ!…すまん。お前に当たっても仕方ねえよな…だが、学校が隠蔽してるってわけじゃねえ。本当に知られてない・・・・・・んだ。俺も…こっそり相談したことがある。でも、その時はちゃんと話を聞いてくれてるのに、次の日になったらまるで嘘みたいに忘れてる・・・・・・・・・んだ!嘘みたいに………ッ」


そこまで言って、カイナは口をつぐんだ。

アンノウンの中に、記憶や精神に干渉する型がいるとすれば筋は通る。だが…それが真実だとするなら。校長はどうやってその異変を知り、JITTEに通報してきたのか?

もしや…通報してきたのは、校長ではない・・・・・・


その時


───「櫛本さぁ~」

「ッ!」


現れたのは、先程ミノリを突き飛ばした女子生徒達。その視線は…ミノリに向けたものと同じように、恐ろしく冷ややかだった。


「転校生に余計な事教えてんじゃねーよ。次はお前の番だからな」

「…ッ余計ってなんだよ、てめーらのやってる事が正しいって言うのかよ!やんならやってみろよ!」


カイナは強がるが…自分がいじめの標的になると宣言されて、平常心を保てているはずはない。それでも…カイナは両腕を広げて楢崎と市松を庇うように立ち塞がった。せめて楢崎達だけは…というささやかな抵抗の現れだった。

しかし、市松と楢崎も…もう黙ってなどいられない。


「なんだよ!お前らが寄ってたかっていじめとかダッセェことやってるのが悪いんじゃねーか!なぁんでカイナが悪いみたいな流れにしようとしてんだよ!意味分かんねーよ、バッカじゃね!?」

「そうですよ、いじめとは些か甘い言い方で、本来その行いは暴行や傷害、名誉毀損など罪状は多岐にわたります。さらに今の行為は暴行をちらつかせた脅迫とも取れます。君達の行いに、正当性は見られない───」

「無理すんなケンゴ、俺が代わりに言ってやる!群れて他人をボコるなんて弱いやつのやることだぞ!ばーかばーか!」


再び気分を悪くした楢崎に代わり、市松が好き勝手に言い返していたが…


───「ちょっとあんた達、邪魔!」


女子生徒達の間を掻き分けるように、また別の女子生徒が現れた。

柿色の髪をアップでひとつにまとめ、軽くウェーブをかけている。睫毛などの化粧は他の生徒より一回りもふた回りも濃いめで、カイナとは別の意味で怖い印象を受ける。

彼女は女子生徒達の間を抜けると、そのまま自動販売機でジュースを買い、楢崎達3人を一瞥してから…女子生徒達に声をかけた。


「馬鹿な事やってないで教室戻ったら?そろそろ準備しないと、次も移動教室でしょ?」

「え、あ………」

「ほら早く、ここに集まってたら邪魔だし!退いた退いた!」


彼女は女子生徒達を追い立て、校舎内に追いやってから…改めてこちらを振り返ると、ニヤリと笑いながらウインクしてから立ち去った。


「へへーん、ざまあ味噌漬け~!結局バカって言われてやんの」

「市松、煽らない…今のは」

「…波久礼ハグレタマキ。そういや…クラスの女子がおかしくなっても、あいつは誰かをいじめたりしてねえな」


一難去ったとはいえ、カイナの顔は真っ青だ。それもそう、彼女…タマキがいても、ミノリへのいじめは止まっていない。たとえ本当に彼女が一切荷担していないとしても…問題の根本は解決していない。次の標的は、間違いなくカイナになる。同性へのいじめであのザマなのだ、異性に対してどれだけの憎悪が向けられるのか───楢崎は、身をもって知っている・・・・・から。


「…自分がなんとかします。正しくは、自分…か」

「っやめとけお前、さっきの見ただけで気分悪そうにしてたろ?お前もそういう嫌な思いした事があるんじゃ…」

「ありますよ。あるから、言うんです」


悩んだ。少しの間とはいえ、悩んだのだ。

だが…


「君はさっき、パニックになりかけた自分を咄嗟に連れ出してくれた。それだけじゃない、最初に階段から落ちた自分を助けてもくれた。そのぶんの働きは、返さなければフェアじゃない」


楢崎は───学ランの内側、他の誰にも見られないように。

警察手帳を・・・・・カイナに見せた・・・・・・・


「自分は警察官です。校長からの申し出で、この異変の調査に生徒として潜入しています。だから…協力者として、加害を予告された者として、君を守ると約束します」

「ケンゴ…ッ、お前───」


その宣言に安堵したのか…カイナは泣きそうな顔でその場に膝をついた。その様子を見ていた市松は…


「あー、言っちゃった。ま、こんなことになったら仕方ないよなぁ」

「市松…お前もなのか…?」

「俺は警察じゃないぜ。けど…きっと役に立つ・・・・・・・。そのための協力者、なんだからな」


そう言った市松は…今までの言動が嘘のように大人びて見えた。





───同時刻


───「…合流を確認・・・・・。これより事態の収拾に向かうものと推測。各自警戒を」


女子生徒達を追い立てたタマキは、彼女達とは別ルートで、素早く教室に戻っていた。


「ごめん遅くなって。大丈夫?」


教室には…タマキの他に2人。

突き飛ばされたまま、さらなる追撃を受けないようじっとしていたミノリ。そして…


「ごめん、ミノリ…本当にごめん…!」


泣きながら、ミノリを抱き起こすひとりの女子生徒。その様子を見て、タマキも彼女に声をかける。


美鈴みすず…無理しないで、あなたのせいじゃない」


黒髪をふたつのお団子にまとめた女子生徒…美鈴は涙を拭い、他に教室に誰か近づいてこないか警戒している。しかし、タマキも同じく周囲を警戒すると、短く首を横に振った。


「大丈夫、今は誰も近くにいないよ」


タマキの言葉を聞いて、美鈴は涙声で呟く。


「…どうして、こんなことになっちゃったんだろ…どうして誰にも止められないんだろ。私…もう嫌だよ、こんなのもうやめてほしいのに…私の力じゃ何も変わらない。このままじゃミノリまで…どうしたらいいの…」


タマキは2人に見えないように唇を噛みしめ…倒れた机と椅子を起こして教室を元の状態に戻しながら、そろそろ他の生徒達が戻ってくるだろうと廊下の方を睨んでいた。


すると…今まで静かにしていたミノリがポツリと呟いた。


「…美鈴、離れて」

「えっ…」

「じゃないと、次は美鈴ちゃんが標的になっちゃう…そんなの嫌だよ、こんなの…私で、私で終わりにしたい…!」

「ミノリ………っ」

「早く離れて!」


ミノリが泣きながら美鈴を振り払うと、ちょうどその時…廊下からざわめきが近づいてきた。先程追いやった女子生徒達が、のろのろと教室に戻ってきたらしい。


「…戻ってきたみたいね。次はまた移動教室だから、ウチらも準備しないと。…立てる?」


タマキは…歯噛みした。


「(ウチだけじゃ…何もできない)」





───放課後


「なんなんだよぅあいつら!ムカつくムカつくムカつく~!」


ファストフード店の一角で、ドリンクのストローを噛み潰しながら市松が吠えていた。同じテーブルには、当然というべきか楢崎と…青い顔をしたカイナがいる。


「ちょっと、声が大きいです…あまり注目を浴びないでください」

「だってよぅ!ムカつくじゃん、あんなことして平気とか…あいつら正気じゃねーよ」

「そうですね、正気ではないでしょう・・・・・・・・・・


楢崎の冷静な返しに、言い始めの市松も目を丸くして楢崎を見つめる。


「え、どーいうことだよ…」

「言ったままです。あのミノリという生徒を突き飛ばした時の彼女達の"目"…冷ややかというか、まるで操られているか・・・・・・・のように虚ろだった」

「操る…もしかしてケンゴ、フラ・・…じゃねーや、あの波久礼って奴が操ってるとか疑ってるのかよ?」


市松はそう言うと、飲みづらくなったストローでドリンクを一気に飲み干す。


「そういうわけでは…」

「俺もそれはナシだと思う。だってあいつ、───」

───「はいそこまで!まったく、誰が操ってるって?」


市松の言葉を遮るように現れたのは…今まさに話に出ていたタマキと、もうひとり。


「君は、確か同じクラスにいた…」

カケイ美鈴…美鈴でいいよ。初日から色々ごめんね…びっくりしたよね」

「まあ…平静ではいられませんね。ちょうど今、その話をしていたところです。隣のテーブル空いてますし、そこ使ったらいいと思いますよ。何か話があるならいい機会です」

「ありがと、楢崎センパイ・・・・


タマキの含みのある言い方に、落ち込んで黙っていたカイナもどういうことかと楢崎に視線を向けるが…楢崎本人も驚きと不審に眉を潜めている。さらに、タマキが現れてから何故か市松は居心地が悪そうに怪訝な表情を浮かべている。その状況を飲み込みきれない美鈴は、妙に悪くなった空気をどうにかしようと苦笑混じりに声をかける。


「あ、あはは…皆どうしたの?実は知り合いとか…?」

「いや、自分は全く…」

「ウチの方が一方的に知ってる感じだから。それも多分、今からする話で分かるよ」


タマキも軽い調子で言いながら、自らを睨む市松を一度横目で睨み返す。


「さて、単刀直入に言った方がいいよね、用件。ミノリの…いじめについて。楢崎センパイ達もその話をしてたんでしょ?」


タマキの言葉に、楢崎と市松も小さく頷く。それを見た美鈴が、周囲を警戒してから小声で語り始めた。


「…少し前から、このクラスはおかしくなったの。最初は、友達同士がちょっとからかい合うとか…そんな感じで。今みたいに突き飛ばしたり、無視したり…そんなんじゃなかった。でも…」


口を閉じてしまった美鈴の言葉を、タマキが継いだ。


「急に流れが変わった感じ。ひとりを標的にして、集団で追い詰めるの。ウチも何度も止めたけど、ウチひとりの言葉じゃかき消される。証拠を集めようとしても、いつの間にか揉み消されて何も掴めない。悔しかった…でも」


タマキは語調を強めた。


「ただエスカレートしたんじゃないって気づいた。おかしくなったのは女子だけ。他のクラスでも同じような事が起こってたっぽいけど、それも女子のグループだけだった。話を聞いても翌日には忘れてたって教師も、みんな女の教師だけだった。標的にされてるのはクラスの誰かじゃない、この学校の女子全員なんだって。今なんともない女子も、きっとそのうちおかしくなっていく。だから───ウチが呼んだんだ・・・・・・・・、あんた達を。校長に言ったんだ、これはアンノウン案件だ、JITTEの協力を仰いでくれ…って」

「成程…報告経路が途中で止まっていたのは、そもそもその経路上にいる全員が術中だったと。そして校長は男性、そこまで伝わればあとは外界に助けも求められる…と」


そして、その助けを受けた古岡がJITTEとして楢崎に潜入捜査を命じた…そこまでは分かった。だが、不自然な点がまだある。

何故タマキは、標的にならず校長に進言ができたのか。そもそも、一般生徒の進言を校長もすぐ真に受けるものなのか。


「波久礼さん…でしたね。君も標的と同じく女性のはず、なのにその異変の影響を受けることなく、校長に進言ができている。ならば…君はなんだ・・・・・?」

「そ、そういえばそうだよタマキちゃん…どういうことなの…?」


謎といえば…この美鈴も、ミノリが突き飛ばされた時は青い顔をしていたのを楢崎も確認している。つまり、仮に女子生徒のみがいじめに荷担する精神操作が何者かによってなされていたとして、美鈴もタマキと同じようにその影響から外れていたことになる。そんな楢崎の視線に気づいたのか、タマキも半分諦めたようなため息をつく。


「そうだね…その話も必要だよね。美鈴についてもそう…美鈴が今のところおかしくなってないのは、多分ウチと仲が良かったからだ。ギリギリ…守れてた・・・・んだ。おかしいよね…ウチはただ、普通に女子高生やってたかった・・・・・・・・・・・だけなのに」

「守れてた…とは、どういうことですか?」


ますます怪訝な表情を深める楢崎の横で、市松は今にも何か言いたそうに口元を歪め、その言葉をどうにか飲み込んでいる。何か知っているのは間違いなさそうだったが…タマキ本人が話そうとしているのは市松も、楢崎の方も分かっているからこそ口を挟まず、タマキの次の言葉を待っていた。


「…黙っててごめん。ウチは本当の女子高生じゃない・・・・・・・・・・・んだ。年齢も、本当はもっと上でさ」


タマキはセーラー服のリボンを持ち上げ…その裏に縫い止められたものを見せた。それは…


「JITTEの金バッジ…」


楢崎が呟くと、タマキも小さく頷いた。


「ウチは波久礼タマキ、JITTE京都支部・・・・から出向中の通信士。波来祖とは結構離れてるから、楢崎センパイもさすがに知らなかったよね」

「えっ、えっ待って、それでセンパイって…楢崎くん、じゃなくて楢崎さんもJITTE、つまり警察!?」

「(シーッ!声が大きい!)」

「(ご、ごめんなさい…)」


美鈴が驚くのも無理はなかったが、楢崎に咎められてからは再び落ち着きを取り戻し、改めてタマキを見やる。


「でも、タマキちゃんは私と同じ1年前に入学して………」

「そう、高校1年生としてスタートしたんだ。に無理言って、本当の高校生として学生生活を楽しもうって。だからウチが美鈴やみんなと楽しくやってたのは嘘じゃない。演技なんかじゃない。こんなことが起こってからも、なんとかして皆の高校生活を取り戻したかったんだ。結局、ウチひとりじゃどうしようもなくて、増援頼んじゃったけど…ここまで来たら、もう隠しきれないよね。散々ワガママ許してもらったんだ…分かってる、もう潮時なんだって」


なんと、タマキもまた協力者、JITTEからの潜入捜査員だった。ただしそれは、異変が起こったからこその結果論ではあるため、楢崎が知らなかったのも無理はないが。


「…話通りなら、最初はこんな異変なんてなく、単に学生生活を楽しみたかっただけ…ということですか」

「呑気なもんだよな」


そこで、市松が刺々しく呟いた。


「市松…そんな言い方よくないですよ」

「お気楽なんだよ、その間に『殿』がどんな目に遭ってたか」


市松は声を低め、唸るようにタマキを威嚇する。それを受けて、タマキは悲しそうに目を伏せる。市松の怒りも、市松の言った『殿』という単語も、楢崎にはなんのことかさっぱりだったが、分からないからこそ口を挟まずタマキの様子を見守ることにした。


「…分かってるよ、あの御方の容態・・は。それでも…ウチは通信士、あなた達みたいな兵隊・・じゃない。アンノウンを前にしても、戦う力はほとんどない。だから…JITTEに増援を呼んだんだよ」

「兵隊か、そりゃいいや。俺は『殿』のめいでしか動かねーかんな」

「ちょっとちょっと、そこまでにしてください!君達の関係はよく分かりませんが、今はアンノウンの起こした異変についての話でしょう?」


険悪な空気に耐えられず、楢崎はいがみ合うようなタマキと市松を引き離し、視線を美鈴へと向ける。


「それで、筧さん」

「あ、美鈴でいいですよ…」

「ん…美鈴さん。件のミノリさんは何処に…」


その答えは、タマキが。


「ウチの管轄で一応護衛をつけて帰らせたよ。学校から離れれば、何故かアンノウンの影響もなくなるみたいで…ミノリも、他の生徒も、学校を出たら何も覚えてない。だから、外から見たら何が起こってるのか調査もできなかったんだ」

「しかし、その姿は未だ見えず…と。総合すると範囲結界型の精神干渉タイプ、しかも目に見えて分かる姿をしてはいない…厄介ですね、大型であっても視認できるアンノウンの方がまだやりやすい」

「うん…でも、絶対に叩くチャンスはある。これ以上、被害者を増やしちゃいけない」


そこで、タマキの視線がカイナへと移る。


「…俺のことは気にすんな、男なんだし多少は耐えてみせるって」

「そういうの時代錯誤だから。男も女も関係ない、もう…ウチの力不足で傷つく人間・・は見たくないんだ」


タマキの言い方は気になったが、そこを追及したところで今回の話には結びつきそうにない。楢崎は一呼吸置いて、改めて全員に告げる。


「ひとまず数日はミノリさん、及びカイナの周囲を警戒して様子見ですかね。身内の作戦会議に巻き込んでしまいましたが、美鈴さんは一般人ですので、どうか無理はせず危険を感じたら逃げるようにしてください」

「はい…分かりました」

「敬語はナシでいいですよ。自分はこれが性分なだけで、学校にいる時に自分に対してだけ敬語だと怪しまれかねません」

「じゃあ…分かった」

「ありがとうございます」


そして楢崎の視線は、再びカイナへと向く。


「カイナも。現時点の情報では、影響は校内のみということですが、登下校が不安なら護衛をつけますよ」

「いや…それは大丈夫だ。手間かけて悪いな」


カイナは苦笑混じりに、しかし疲れを隠しきれない様子で答えた。


「そうですか…君も無理はしないように。連絡アプリで自分の連絡先を教えておきますから、何かあればすぐ連絡してください」

「…それもいい・・・・・


ますます力なく答えたカイナに、今度は楢崎も疑問を抱く。


「本当に大丈夫なんです?」

「スマホ持ってねえんだ、俺。だから連絡手段がねえの」

「…では、緊急連絡先として波来祖南署の番号を教えておきます。必要であれば自分の連絡先も伝えます。スマホがないなら公衆電話でもフリー携帯でも構いません、危険が迫っていたら110番してもいいですから、何かあれば迷いなく連絡をお願いします。これはあなただけでなく、地域全体のためでもありますから」

「…ありがとな」


そう答えたカイナは、今までで一番疲れて見えた。


そのやり取りを、市松は黙って見ていたが…


「(───嘘つき・・・。なーにが女子高生を楽しみたかった、だよ。俺が口滑らさなくたって、自分からボロ出しまくってんじゃねーか。そう、そりゃあ守れるだろうよ…あんたの出力・・なら、人間・・を)」


それでもまだ、納得しきらないようにタマキを睨んでいた。

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