第10話「最終決戦、決して最後にせずのこと」

 時は来た。

 それは今、この瞬間だ。

 美貌の国母こくぼが命を賭けてつむいだ時間も、あっという間に過ぎ去ってゆく。

 西方諸国連合せいほうしょこくれんごう条約軍じょうやくぐんは、どうやらフェイルが思ってた以上に早く罠を見破ったらしい。そう、『』という一種の奇策、計略である。

 見破られたのは、相手が賢明なる勇将だったからである。


「ウチの見立てでは、もう数刻すうこくは稼げたんやけどなあ」


 テンテンが配下の商人たちを通して得た情報では、条約軍はすで関所せきしょに迫っている。

 それで今、わずか一万にも満たぬ敗軍の兵たちが出撃してゆく。

 フェイルも焦りをシャンホアにだけは見せたが、今は馬上で先頭を進んでいた。

 その姿をシャンホアは、ミーリンやテンテンたちと見送る。


「その、アルトとかいう男……やっかいやでぇ?」

「テンテン、その後なにか情報は?」

「アルトはんは単身、一人で幽谷関ゆうこくかんに現れたとか? 降伏勧告の使者を大将自らやると同時に、罠がないことを我が身で確かめたんやなあ」

「じゃあ、その時捕まえちゃえば!」

「アカンアカン、アカンでシャンホア。いくさにもおきてちゅうもんがあんねん。くっそ面倒臭いんやけど、礼儀としきたりの世界やで?」


 城壁を渡る風はゆるやかで、どこまでも青い空が続いている。

 快晴の中、大地を血に染める男たちがどんどん宮廷を出ていった。

 それを見下ろすミーリンが、胸に手を当て深呼吸を一つ。そして、小さく一歩を踏み出した。小さなつぶやきと同時に、彼女は引きずるいにしえ戦衣せんいを風にひるがえす。


「大丈夫、わたしが自分で言う……だから、まだわたしの中で眠ってて。大丈夫、大丈夫だから」


 小さなつぶやきは、まるで自分に言い聞かせるよう。

 母の死によって覇道を歩み始めたミーリンは、己の中の誰かと言葉を交わしていた。

 そして、次の瞬間には城壁の先端へと飛び乗る。

 シャンホアはその小さな背中を、祈るような視線で見守った。


「我がエンの兵たちよ! これは最後の戦いではない! おぬしたち一人一人が生きる限り、この我が死なぬ限り! この焔は決して滅びぬ!」


 誰もが振り返り、城壁のミーリンを見上げていた。

 まだ絶望感にとらわれた者もいるだろうし、瞳に生気のない者もいた。

 だが、そんな兵士たちにミーリンは精一杯の虚勢で声を張り上げた。


「第52代焔皇帝より、勅命ちょくめいを言い渡すっ! これより焔は、迎撃……否っ、反撃に出る! お主たち、死ぬことは許さん! 生きて生き延び、我が覇業を見届けよ! 我は――」


 狂気、そして狂奔きょうほん

 酔いしれ入り浸るような夢が必要だった。

 それを今、小さな少女が叫ぶ。


「我は大陸統一帝たいりくとういつてい! この世の全てを平定する女帝じょていミーリンである!」


 はるか未来の歴史において、燦然さんぜんとその名をとどろかす大陸の統一者。

 この小さな少女が後に、魔王ノインの再来として西方諸国をことごと併呑へいどんするのは、まだ少し先の話である。

 そして、その伝説は今こうして始まった。

 神話へと向かう壮大な叙事詩じょじしの旅である。

 フェイルが馬首を翻すなり、手にした槍を天に掲げる。


「ミーリン陛下、万歳! 我が焔帝国に栄光あれ!」


 歓呼かんこの声が蒼天を揺るがす。

 わずか一万に満たぬ敗残兵の、その心に巣食う病魔をミーリンが一掃した。

 その病の名は、

 まして、一度負けた人間にこびりついた恐怖と挫折感は大きい。

 それをミーリンは、大陸制覇という狂気じみた夢で塗り潰した。

 いざ、夢見て走れ、疾走はしれ、はしれ。

 その先に何が待つかは、シャンホアにはわからない。

 だが、結末が滅亡ではないことだけは不思議な実感となって身を熱くしていた。

 そして、すとんと目の前に降りてきたミーリンを抱き締める。


「ミーリン! 立派だったよ……でも、いいの?」

「はい。母様が命をして守ろうとした国と民です。ならばわたしも、命以上のものを賭けねばなりません。……わたしは前線に出ます。シャンホア、あなたは」

勿論もちろん、側にいるよ! ボクがミーリン、キミを守るっ!」


 それに、シャンホアだけではない。

 側に控えていたテンテンも、改めて臣下の礼で身を屈める。

 しかし、慇懃に下げた顔を上げれば、いつもの強欲な笑顔があった。


「せやけど、陛下。その格好で御出陣は……どうやろなあ。まあ、今の陛下が着れるよろいはなかなか……かといって、そないボロボロな」

「この戦衣は、すでふるびてほつれたただの布……しかし、この焔の祖皇帝そこうていまとっていたものと聞いています。わたしの鎧は皆様方一人一人……羽織はおるのはこれで十分ですから」


 ミーリンは身なりこそ綺麗だが、酷く古びたボロ布を纏っている。

 かつては空のように澄んだ青色だったろうに、今は薄汚れて濁ったような色だ。曇天どんてんのようなその戦衣は、すそも千切れて既に着衣の用をなしていない。

 それを西方のマントのように羽織って、ミーリンは一同を見渡した。

 そこには、男たちの見送りを終えて今……出陣を控えた女たちがいた。


「よいよい! なかなかさまになってるではないか。亡き陛下にも見せたかったものよなあ」


 相変わらずキリヒメは、故郷である環国わこくの甲冑に身を固めている。

 真っ赤ないでたちは、かぶとの角も相まってまるで鬼神だ。ちょっぴり小さくて素顔は可憐だが、そこには間違いなく修羅しゅらの国の鬼姫おにひめたたずんでいた。

 彼女とは打ち合わせも済ませている。

 シャンホアの考案した素人しろうと考えの戦術を、彼女は真面目に修正してくれたのだ。

 シャンホアの常識にとらわれぬ発想は、キリヒメによって一点突破の奇襲作戦に変貌していたのだ。


「アルテパもがんばる! おっさんのかたき、取る。ミーリンに天下、取らせる!」


 相変わらず下着姿のようないでたちだが、アルテパはドン! と拳で豊満な胸を叩く。そこに刻まれた古傷こそが、彼女を奮い立たせる勇気の源なのかもしれない。

 蛮族の娘と揶揄やゆする者たちもいるらしいが、その姿は獰猛な肉食獣の美しさがあった。半裸でも、その全身の筋肉が無敵の防具なのだ。

 ただ、シャンホアが少し申し訳ないと思ったのは、その鉄弓てっきゅうだ。

 アルテパは、自分の長身を遥かに超える巨大な鉄弓を背負っている。つるも鋼線でできており、並みの男なら数人がかりでも引けぬという代物しろものだ。

 それを自在に操るというが、肝心の矢がない。

 残った矢は全て、フェイルたち本隊が持って行ってしまったのである。

 だが、そこはテンテンがなんとかするというが、無いものは無いのだ。

 ただし、それを補ってあまりある戦力が寵姫ちょうきたちにも増えている。


「戦いの始まりは私……なら、最後を見届けるまでですわ。ふふ、本当の魔女にくらい、なってみせましてよ?」


 ヘリヤグリーズは、男装に身を固めて銃を持っていた。

 彼女の背後には、志願した寵姫や女官にょかんたちが並んでいる。皆、簡素な作業用の服装で銃を握り締めていた。

 その数、ざっと百人前後。

 テンテンが用意できる銃は、百丁ほどが限界だったのだ。

 だが、因果を背負った魔女と呼ばれる貴婦人は優雅に微笑ほほえむ。


「シャンホア、だったかしら? あなた」

「は、はいっ!」

「たいしたものね。条約軍でこんな作戦立てたら、首が飛びましてよ?」

「ひっ、ひええ……でも、ヘリヤグリーズさんも詳しいですよね」

「あの子がね、立派な跡取りになるからって。軍略や兵法をよく勉強してたわ。狩りも好きで……ああ、西方では鹿狩りとかは軍事訓練みたいなものでしてよ?」

「あの子、ってやっぱり」

「わたくしも若かったけど、あの子は幼すぎましたわ。この年で未亡人なんて、まったく」


 苦笑しつつ、ヘリヤグリーズは準備が万端である旨を伝えてくる。

 彼女の生まれた小さな国はもう、大陸の地図のどこにもない。

 政略結婚でやってきた小さな王子と共に、戦乱の策謀へと消えたのだ。

 そして、この大戦争が始まった。

 始まりがヘリヤグリーズだとしても、シャンホアは彼女に終わりを迎えさせるわけにはいかなかった。何故なぜなら、彼女自身の本当の人生は、始まってすらいないのだから。


「よしっ、みんな! 打ち合わせ通りいこうっ! ボクたちでフェイルを、全軍を援護する!」


 シャンホアの声に、誰もが頷く。

 テンテンだけが思い出したように、小声を潜めて身を寄せてきた。


「せやかてなあ、シャンホア。ウチ、ちょっと不安やねん……一応、みやこの商人には全員に声かけとるけどなあ」

「ボクは逆だよっ、テンテン」

「逆やて?」

「敵将アルト……ボク、難しいことはわからないけど、

「なんや自分、なに言うてはるの?」

「ふふ、実はね……思ったより大きな成果が得られそうだなって」


 まだ、それは小さな希望でしかない。

 だが、追い詰められている今は「よかれ」と思う全てを試す。

 その上で、シャンホアは初めて自分の生まれと育ちに感謝した。ド田舎いなかの農村に生まれ、畑で汗を流しながら酒家しょくどうでも働いた。嫌になるくらいの健康な肉体に、多少の聞きかじった拳法、そして酒家での人柄を見抜く眼力……それは全て、彼女の持てる力の全てだ。


「じゃあ、行こう! ボクたち女は山に陣取る。あとは各々、手はず通りに」

「このわたしからもお願い申し上げます。ここの者はほぼ大半が、無理矢理父様があちこちから集めた方々。それが、こうして協力していただけるなんて」


 ミーリンのまなじりに光が輝く。

 だが、それは溢れて落ちる流星の光ではなかった。

 これから彼女は、沈まぬ太陽になる。

 獄炎の女皇帝エンプレス・インフェルノミーリンが最初に歴史に名を残した、記念すべき一日が正午を折り返そうとしていた。

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