第9話「公主、豹変して伝説を再現するのこと」

 宮廷に、いっときの活況かっきょうが戻ってきた。

 そのみなもとは、傷付いた兵士を出迎えた寵姫ちょうきたちである。

 皇帝の愛を受けるうつわとして、なんの不自由もなく暮らしていた数百人の女たち……その半数近くが、残ってみやこを守ることを決断していた。

 逃げた者は責めない。

 それより先に、やることがある。

 なれぬ手付きで飯をき、血も恐れず手当に励む。

 そういう寵姫たちを中心に、都の活力は息を吹き返していた。


「よかった……街の方も、逃げる人たちが減ってる。これなら」


 これは、姉のシャンリンがテンテンに頼んだ噂話うわさばなしの効果だ。

 病床からでもシャンリンは、テキパキと次々に指示を出してゆく。去りたい者の相談にも乗り、残る者たちには勇気を持って働くように説いていた。

 テンテンには、エンに反撃能力があること、かなり勝算が高いことを吹き込む。

 心得たとばかりに、テンテンは商人上がりの人脈を使ってこの話を流布るふしたのだ。


「姉さんも頑張ってる。みんなも。なら、ボクだって」


 宮廷の中を今、シャンホアは小走りに駆ける。

 正直、特別な才のないシャンホアには、できることは少ない。

 だが、今のこの状況を一人で過ごしている女の子のことは忘れていなかった。だから、誰もが最後の戦いに備える中、ミーリンを探す。

 苦しいが、誰かがミーリンに伝えねばならない。

 彼女の母、太后たいこうメイランの死を。

 そのミーリンは、かつての玉座の間にいた。

 静まり返った空気の中、父である皇帝の椅子に身をもたげている。


公主様こうしゅさま? ……ミーリン? 寝てる、のかな」


 ここにはもう、ミーリン以外誰もいない。

 かつては皇帝が腰を据えて国を見守り、多くの宦官かんがんや役人が行き来していた国の中枢だった。それがもう、今は見る影もない。

 あるじを失い、国母こくぼも今は亡く、残された遺児だけが亡き眠る焔の姿がこれだ。

 そっと静かに、シャンホアは足音を潜めて近寄る。

 異変が起きたのは、まさにその瞬間だった。


「……あれ? なに、ミーリンの身体が……光って」


 不可思議なことが起きた。

 ふわりと小さな光が舞い降り、ミーリンの中に吸い込まれる。次の瞬間、泣き濡れて涙の乾いた顔に双眸そうぼうまたたいた。

 まぶたを開いたミーリンの目に、妖しい光が炎と燃えていた。

 ゆらゆらと揺らぐその輝きに、思わずシャンホアは立ちすくむ。

 身を起こして玉座に座り直したミーリンは、脚を組んでニヤリと笑う。


「ミ、ミーリン?」

「……ふむ。やはり我が血の末裔まつえい馴染なじむ……ああ、シャンホアだったな。どうか? 此度こたびいくさ、勝てそうか?」

「えっと、それは……わからない。でも、絶対に負けない。負けても、諦めない」

「ほう?」


 雰囲気が変わった。

 ミーリンはもっと、物静かで少しおどおどとおびえていて……でも、その芯の強さは、こうしたまぶしいまでの力ではなかった。どこか、ゆっくりと全てを温める炭火のような存在感。それが今は、ギラついた一種異様な覇気に覆い尽くされていた。

 先程の光が中に入ってから、ミーリンは人が変わったようだった。


「して、どう戦う? すでに焔の兵は万を割っておる。相手は五十万……また舞でも披露して足止めしてみせるか? ……あの男にはまあ、同じ手は通じぬと思うが」

「えっと、アルトとかって人? し、知ってるの?」

「あやつは我を東に追いやった張本人、黒衣こくい救世主きゅうせいしゅの仲間よ。そのすえよな。何百年経とうとも、同じ顔が同じ血で向かって来おる。人間というやつは、まったく」


 話がわからない。

 フェイルたちの話で、聖騎士アルトが稀代きだいの名将だという話は伝わっていた。だが、それとミーリンの言葉が繋がらないのだ。彼女はまるで、突然老婆のように全てを達観たっかんしてしまった。見てきたことのように過去を語り、それは歴史の一部で遙かな太古の伝説だった。


「フェイル、そこにおるな? 我も出陣する。……覚悟の舞、しかと受け取ったゆえな」

「えっ? あ、あれ」


 振り向くと、そこには鎧姿のフェイルが立っていた。

 彼は片膝を突いてこうべを垂れると、そのまま床を割るように声を張り上げた。


「公主様、それはなりませぬ! 此度の戦、そやつの言う通り……勝つに難しくとも、決して負けませぬ故!」

「どういう意味かや?」

「公主様には必ず、生きて逃げ延びて頂きます。……そこのシャンホアと、その仲間たちが守ってくれましょう。どうか、戦は我ら男たちにお任せを」


 例え負けても、それで終わらなければ負けではない。

 それを人は負け惜しみというが、その心の意味をシャンホアはエフィルと共有していた。今これからの戦い、焔は負けるかもしれない。この都に、西方諸国連合の条約軍が雪崩なだれとなって押し寄せよう。

 略奪、鏖殺おうさつ凌辱りょうじょく……ありとあらゆる悪徳で焔の国は滅ぶのだ。

 だが、ミーリンさえ生き延びれば、そこに小さな希望が残る。

 それは、ミーリンに再び国をおこせという意味ではなかった。

 だから、シャンホアも言葉を選んで静かに歩み寄る。


「ミーリン、生きて……あなたが生きて、生き延びて、そして生を全うするの。別に、女帝になんてならなくていい。一人の平凡な女でもいい。生きて、そして覚えてあげてて」

「ふむ……まあ、案ずるな。記憶力には自信がある、テンテンにとて遅れは取らぬわ。よし、覚えておこう。そして、やはり我が出る。……面白おもしろいコマも揃っておるしのう」


 フェイルは立ち上がって、ずかずかと玉座に歩み出た。

 だが、それを片手で制してミーリンもまた立ち上がる。


「男として産まれておればと言われ続けた、この娘の無念……しかと我が受け止めた」

「公主様? ……あんた、誰だ? ミーリン様じゃないな。何者っ!」


 フェイルが腰の剣に手をかける。

 だが、シャンホアは逆に両手を広げて背にミーリンをかばった。

 そして、自分の考えを今度こそ打ち明ける。


「フェイル、あのっ! ボクがミーリンを守る! だから……お願い、ボクたちを……姉さんたち寵姫のみんなを、一緒に戦わせて!」

田舎娘いなかむすめ、お前……」

「お飾りだけでも、皇帝の子が戦場に立てば空気は変わるよ。そして……ボクたち女にもまだ、できることがある。みんなもう、そのために動いてるから!」


 呆気あっけに取られたフェイルは、僅かに緊張感を和らげた。

 そして、剣の柄を放した手で、ワシャワシャとシャンホアの頭を撫でてくる。


「ちょ、ちょっと! ボク、真面目な話をしてるんだから!」

「田舎娘、お前の考えはわかってる。さっき、それとなくキリヒメから聞いた。……やれるのか? 素人しろうとにしちゃよく考えたもんだが、命がけだぞ?」

「命がけなのはフェイルたち男も一緒。し、死なないでよね、フェイル。絶対、死なないで」

「ハッ! 俺がか? 死なねえよ、死ねるもんか。お守りもあるしな」


 フェイルは突然、ふところから包を取り出した。丁寧にその布を開くと、中には黒い一房……それは、人間の髪の毛のようだった。


「あっ、これボクの! 昨日、バッサリいったやつ! ちょ、ちょっとフェイル!」

「お前が焔のため……姉と民のために捨てたものだ。俺に拾わせてくれ、こいつは幸運のお守りかもしれないからな」

「は、恥ずかしいよっ! なんでさ」

「……古い古い言い伝えだ。武人ってやつは皆、げんかつぐのが好きなんだぜ?」


 遙か太古の昔、大陸の東部は荒れに荒れていた。

 無数の国が群雄割拠ぐんゆうかっきょし、戦に次ぐ戦で民は困窮こんきゅうしていたのである。

 そんな中、とある小国の皇子が立ち上がった。並み居る列強各国を平定し、大陸の東に真の楽土……民の安寧あんねいを保証するための巨大な帝国を作ると。

 そんな彼が出会った、運命の伴侶はんりょがいた。

 仙女とも女神とも言われるし、西方風に言うなら天使かも知れない。

 西から現れたその少女と共に、少年は王へと成長して、そして大陸の半分を統一した。

 それが焔の初代皇帝、祖皇帝そこうてい逸話いつわである。

 生涯その横には、謎の美女が連れ添い、子をなして育てたという。


「お前がどこの田舎から出てきた馬の骨かは知らねえけどよ……もしかしたら、俺には幸運の天女様てんにょさまかもしれない。ただまあ、こんなチンチクリンだし、もしかしたらの話な」

「な、なんだよもぉ! ……今の話って」

「この焔帝国に伝わる伝説、それとも神話かな? だが、それがあるから今があるんだ」


 そう言うと、フェイルはシャンホアの髪を大事そうにまた包んでしまった。

 そして、改めてシャンホアの背後に立つミーリンに一礼する。拳を手で包んで差し出し、臣下の礼を持って毅然と声を張り上げた。


「公主様の御出陣、お待ちしております! その命、多くの寵姫たちと、このシャンホアがお守りするでしょう」

「うむ、我もそう思う。なに、焔は滅びぬよ。我が愛したあの男の国は、決して滅びぬ」


 フェイルは顔をあげると、再度ポンとシャンホアの頭を撫でた。


「公主様を頼む。お前はお前の大切なものを、守ると決めたものを守り抜け」

「え、あ、うん……お、おうっ!」

「そんなお前を、俺が守るからよ。頼んだぜ、ド田舎娘っ!」


 それだけ言うと、フェイルは行ってしまった。

 男たちが出陣するのだ。

 既に時は正午に近く、決戦の場は最後の関所せきしょ……幽谷関ゆうこくかん。天然の要害とはいえ、平凡なとりでの一つに過ぎない。左右の崖は険しいものの、谷は広く街道は整備されたものだ。

 そこに陣取り、戦うしかない。

 そう誰もが思うからこそ、シャンホアに勝機がかすかに見える。

 突然ぐったりと崩れ落ちたミーリンを抱きとめながら、シャンホアもまた覚悟を決めて出発の準備を始めるのだった。

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