第8話「好漢集いて、起死回生をはかるのこと」
犠牲と献身が
もう
それが少しだけ、ほんの少しだけゆるやかに留められる。
一人の女性が命を燃やした、奇蹟にも近い時間だった。
「わわっ……兵隊さんが、こんなに」
都から逃げ出す民に逆らい、フェイルの馬で宮廷へと直行する。
門をくぐった広場には、煮炊きの煙が無数に満ちていた。
そして、無数の兵士たちがそこかしこで
その様子をぐるりと見渡し、シャンホアを乗せたままフェイルが叫ぶ。
「皆、
誰もが
そして、うつろな目にかすかな希望の光を灯し始めていた。
あちこちでフラフラと、兵士たちは立ち上がるなり集まり始める。
皆、傷ついていた。
それでも、この都に戻ってきてくれたのだ。
シャンホアが見る限りでは、ざっと数千人はいる。
これならと思って自分を奮い立たせていると、フェイルは突然の声を発した。
「
すぐに「ここに!」と、インウが駆け寄ってくる。
彼も夜を寝ずに明かしたのか、どこか表情に陰りがある。だが、逆にその目は奇妙な熱に燃えていた。まるで、尽きる寸前の
馬を降りたフェイルは、ヒョイとまたシャンホアを荷物のように抱えて下ろす。
「インウ、脱出を希望する者たちに金品を。宝物庫を開けりゃ、なにかしらあるだろうよ」
「よろしいのですか?」
「全部は駄目だぜ? 適度に、公平に分配してやれ。……一緒に死ねなんて言えるかよ」
「貴方のそういう甘さがいけません。実にいけませんね。私は嫌いではありませんが」
「それと、インウ」
「よもや、私にまで逃げろとは言わないでしょうね?」
「……すまん。宮中は任せる」
それだけ言ってインうと別れると、フェイルは歩き出す。その歩調はしっかりとしたもので、動揺や混乱を全く伝えてこない。もとからそんなものを知らぬかのような足取りだった。彼は時々立ち止まって、兵たちに声をかけながら状況を整理し始めた。
あとをついて歩くシャンホアも、自分にできることを必死で探す。
猛獣の
「ガッハッハ! そこにおったか、フェイル! この馬鹿弟子が、まだ逃げ出さんとはな! あのアルトが、聖騎士が攻めてくるというのに、だ!」
空気がビリビリ震えて、地鳴りが広がるかのような錯覚。
驚きにシャンホアが振り返ると、朝日を背に巨漢が腕組み笑っていた。まるで山脈のような巨体で、長い長い
野生の
手当に巻いた包帯は血に染まり、ほつれて
「……師匠。いや、チョウゼン将軍。よくご無事で」
「それはこっちの
「兵の統制は万全に。皆、逃げたい気持ちに必死で耐えてくれています」
「お
「さあ? 生きるだけ生きて、そして死ぬまで。そのためにも俺は戦います」
シャンホアが
それは、兵の手当を手伝ってまわるキリヒメだった。
彼女はそれとなく、目の前の豪胆な老将のことを教えてくれた。
「あれなるはチョウゼン、
「そ、そんな人がまだ」
「ああ、よくぞ生きて帰ったものよな。例の戦では最前線におったくせにのう」
「フェイルの先生なんですか?」
「うむ。……先の皇帝も幼き頃は、あのチョウゼンに全てを学んだと聞いておる」
キリヒメの目が、切なげに細められる。
シャンホアも改めて、山のような大男を振り返った。
フェイルもまるで、チョウゼンにかかれば子供のようである。ワシワシと頭を撫でられ、嫌がっているが心底という顔ではない。
そして、そんな時のフェイルがようやく年並みの青年に見えた。
張り詰めた表情はいつも、彼を性別不明の美しき武人に飾っていた。
だが、今の顔は師との再会に喜ぶただの弟子でしかない。
さらに、頼もしき援軍はチョウゼンだけではなかった。
「お久しゅうございます、フェイル殿。立派になられましたな」
今度は、若く覇気に満ち溢れた声だった。
見れば、フェイルよりやや
そう、騎士だ。
「
「ミ、ミハエル……あんた、どうして」
「はは、愚問でありましょう。北方辺境領は古来より、焔帝国あっての土地。無論、十ヶ国同盟とて義だけでは動きませんぞ。……半数以上が西方諸国連合につきました」
男の名は、ミハエル。
輝かしい金髪の
北方辺境領とは、大陸北部の氷に閉ざされた土地である。小さな自治領や
そういうこともキリヒメは詳しく、ミハエルがフェイルの
「おう、北の
「チョウゼン将軍、お久しゅうございます。本来は、全軍を率いて来たかったのですが」
「……西方についたか、大半が」
「北方辺境料は小国の寄せ集め、拠り所となる大樹を選び間違えば……滅びます
「では
「友を見捨てて恩義を裏切るなど、ハナから生きていないも同然。我ら北方の騎士は、一部ではありますが都の防衛に加勢致します」
学はないが、利発で理解の早い娘だった。
一年の大半を冬に閉ざされた、北方辺境領……その
先日の決戦でも、多くの騎士たちが散っていった筈だ。
そして、今は
だが、キリヒメの解釈はまた少し違うようだ。
「
「ほへ? な、なんで……あっ!」
「うむ、気付きよるか。西方諸国連合と焔、両方に加勢しておけば」
「勝った方についた国だけは、生き残る。えっと、北方辺境料は十個の国だから」
「まあ、ミハエル以外は全てあっちに
両陣営に兵を出し、勝者側から働きかけて敗者側を
これもまた、小国の寄り集まった北方辺境領の生存戦略なのだろう。
そして、それを承知でミハエルはただ一人、配下の騎士たちと来てくれたのだ。
「チョウゼン将軍、フェイルも。時間がありません、至急軍議を」
「カカカッ! まあ、話せることなぞ多くはないがな。……フェイル、あの女の
「……はい、師匠」
フェイルが端的に経緯を説明すると、ミハエルは胸に手を当て祈るように俯いた。
逆に、身を揺すって笑うチョウゼンは天を仰ぐ。まるで、溢れる涙を
今この瞬間の命を、誰もが
そして今、その全てを投じて今度は都と国を守るのだ。
三者は三様に
どこか皆、いたずらを目論む
「して、どうするフェイル。ミハエルの兵を含めても、もはや焔の兵は一万に満たぬぞ」
「地の利を活かして守り、先発隊の数万だけでも退けるしかない。五十万全部がいっぺんに襲ってくる訳じゃないし、五万殺せば一割の損失、実質向こうの負けみたいなもんだ」
「して、フェイル殿。いかように守るか……
――幽谷関。
大陸中央の平原より続く、街道に設置された関所の一つである。
この
早い話が、幽谷関を抜かれた時こそが、本当の帝国滅亡の始まりだった。
シャンホアは、三人の男たちの話に
小さな
だが、その少し北にもう一つ……不自然な直線で都に向かう道があることも知っている。そのことを再度考え、ついにシャンホアは自分なりの答えを脳裏に描いた。
答え合わせとばかりに一歩踏み出すが、それを隣のキリヒメが止める。
「キリヒメ、ボク……ちょっとフェイルに話が」
「やめておけい。ククク、面白い娘よな。敵を
「で、でも」
「ワシらに話せ。若く才ある近衛の将が奇策で勝つより、どこぞの無名の
狂気すら感じるほどの
驚きに目を丸めながら、シャンホアは
小さなキリヒメの背中は、なにも言わずに熟考を
腕組み唸るシャンホアの頭上を、小さな光が
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