第8話「好漢集いて、起死回生をはかるのこと」

 犠牲と献身がつむいだ、朝。

 もうすでに、運命の砂時計は全てのときが零れ落ちそうだった。

 それが少しだけ、ほんの少しだけゆるやかに留められる。

 一人の女性が命を燃やした、奇蹟にも近い時間だった。

 みやこに戻ったシャンホアは、それをすぐに目で見て実感した。


「わわっ……兵隊さんが、こんなに」


 都から逃げ出す民に逆らい、フェイルの馬で宮廷へと直行する。

 門をくぐった広場には、煮炊きの煙が無数に満ちていた。

 そして、無数の兵士たちがそこかしこで朝餉あさげを待っている。皆、やつれて疲れた表情に怪我を負っていた。だが、率直に言って驚く。敗残の兵がまさか、こんなにも一夜で戻ってきてくれるとは思わなかったのだ。

 その様子をぐるりと見渡し、シャンホアを乗せたままフェイルが叫ぶ。


「皆、御苦労ごくろうだった! まずはゆっくり休んでくれ! 重傷者から優先して治療を!」


 誰もがうつむいていたが、顔をあげる。

 そして、うつろな目にかすかな希望の光を灯し始めていた。

 あちこちでフラフラと、兵士たちは立ち上がるなり集まり始める。

 皆、傷ついていた。

 それでも、この都に戻ってきてくれたのだ。

 シャンホアが見る限りでは、ざっと数千人はいる。

 これならと思って自分を奮い立たせていると、フェイルは突然の声を発した。


此度こたびいくさエンの負けだ! そして今、もうすぐこの都に条約軍が大挙して押し寄せる。……生き延びたい者は逃げよ。せきは問わぬ、逃げるんだ! ――インウ、いるな?」


 すぐに「ここに!」と、インウが駆け寄ってくる。

 彼も夜を寝ずに明かしたのか、どこか表情に陰りがある。だが、逆にその目は奇妙な熱に燃えていた。まるで、尽きる寸前の蝋燭ろうそくが燃えぜるがごとくだ。

 馬を降りたフェイルは、ヒョイとまたシャンホアを荷物のように抱えて下ろす。


「インウ、脱出を希望する者たちに金品を。宝物庫を開けりゃ、なにかしらあるだろうよ」

「よろしいのですか?」

「全部は駄目だぜ? 適度に、公平に分配してやれ。……一緒に死ねなんて言えるかよ」

「貴方のそういう甘さがいけません。実にいけませんね。私は嫌いではありませんが」

「それと、インウ」

「よもや、私にまで逃げろとは言わないでしょうね?」

「……すまん。宮中は任せる」


 それだけ言ってインうと別れると、フェイルは歩き出す。その歩調はしっかりとしたもので、動揺や混乱を全く伝えてこない。もとからそんなものを知らぬかのような足取りだった。彼は時々立ち止まって、兵たちに声をかけながら状況を整理し始めた。

 あとをついて歩くシャンホアも、自分にできることを必死で探す。

 猛獣の咆哮ほうこうにも似た声が響いたのは、そんな時だった。


「ガッハッハ! そこにおったか、フェイル! この馬鹿弟子が、まだ逃げ出さんとはな! あのアルトが、聖騎士が攻めてくるというのに、だ!」


 空気がビリビリ震えて、地鳴りが広がるかのような錯覚。

 驚きにシャンホアが振り返ると、朝日を背に巨漢が腕組み笑っていた。まるで山脈のような巨体で、長い長い口髭くちひげの白さが全く老いを伝えてこない。

 野生の猛虎もうこにも似た老将が、傷だらけで歩み寄ってくる。

 手当に巻いた包帯は血に染まり、ほつれて悠々ゆうゆうと風にたなびいていた。


「……師匠。いや、チョウゼン将軍。よくご無事で」

「それはこっちの台詞せりふよ! 近衛このえの兵たちはよくやっておる。宮中に混乱はない」

「兵の統制は万全に。皆、逃げたい気持ちに必死で耐えてくれています」

「おぬしはどうじゃ? フェイル」

「さあ? 生きるだけ生きて、そして死ぬまで。そのためにも俺は戦います」


 シャンホアが呆気あっけに取られていると、そこかしこを駆け回っていた影が駆け寄ってくる。

 それは、兵の手当を手伝ってまわるキリヒメだった。

 彼女はそれとなく、目の前の豪胆な老将のことを教えてくれた。


「あれなるはチョウゼン、猛虎将軍もうこしょうぐんの名で恐れられた名将よ。老獪ろうかいにして大胆、知略に長けて勇猛果敢な死に損ないじゃ」

「そ、そんな人がまだ」

「ああ、よくぞ生きて帰ったものよな。例の戦では最前線におったくせにのう」

「フェイルの先生なんですか?」

「うむ。……先の皇帝も幼き頃は、あのチョウゼンに全てを学んだと聞いておる」


 キリヒメの目が、切なげに細められる。

 シャンホアも改めて、山のような大男を振り返った。

 フェイルもまるで、チョウゼンにかかれば子供のようである。ワシワシと頭を撫でられ、嫌がっているが心底という顔ではない。

 そして、そんな時のフェイルがようやく年並みの青年に見えた。

 張り詰めた表情はいつも、彼を性別不明の美しき武人に飾っていた。

 だが、今の顔は師との再会に喜ぶただの弟子でしかない。

 さらに、頼もしき援軍はチョウゼンだけではなかった。


「お久しゅうございます、フェイル殿。立派になられましたな」


 今度は、若く覇気に満ち溢れた声だった。

 見れば、フェイルよりやや年嵩としかさの青年が歩み寄ってくる。ガシャガシャと鳴る甲冑はピカピカに磨き上げられ、彼が屈強な騎士であることを無言で語っていた。

 そう、騎士だ。

 絵草紙えぞうしや物語に出てくる、異国の王子様のようにマントをひるがえしている。


北方辺境領ほっぽうへんきょうりょう十ヶ国同盟じゅっかこくどうめい! 総勢1,248名、古き盟約めいやくに従い参陣いたす!」

「ミ、ミハエル……あんた、どうして」

「はは、愚問でありましょう。北方辺境領は古来より、焔帝国あっての土地。無論、十ヶ国同盟とて義だけでは動きませんぞ。……半数以上が西方諸国連合につきました」


 男の名は、ミハエル。

 輝かしい金髪の美丈夫びじょうぶである。

 北方辺境領とは、大陸北部の氷に閉ざされた土地である。小さな自治領や荘園しょうえんなどがひしめき、十ヶ国同盟と呼ばれる一つの共同体を築いている。シャンホアは名前しか知らないので、御伽噺おとぎばなしの中の国だと思っていた。

 そういうこともキリヒメは詳しく、ミハエルがフェイルの知己ちきだとも教えてくれた。


「おう、北の金髪坊主きんぱつぼうずではないか! よく来たのう、こんな負け戦に」

「チョウゼン将軍、お久しゅうございます。本来は、全軍を率いて来たかったのですが」

「……西方についたか、大半が」

「北方辺境料は小国の寄せ集め、拠り所となる大樹を選び間違えば……滅びますゆえ

「では何故なぜ、お主はここにおる」

「友を見捨てて恩義を裏切るなど、ハナから生きていないも同然。我ら北方の騎士は、一部ではありますが都の防衛に加勢致します」


 咄嗟とっさにシャンホアは理解した。

 学はないが、利発で理解の早い娘だった。

 一年の大半を冬に閉ざされた、北方辺境領……そのいとなみは、多くを焔との交易に頼らざるを得なかった。故に、有事の際は兵を出すことを盟約にて取り決めていたのだろう。

 先日の決戦でも、多くの騎士たちが散っていった筈だ。

 そして、今はあるじを焔から西方諸国連合せいほうしょこくれんごうに乗り換えようという勢力も存在する。国を割ってまで、ミハエルはこの場にせ参じてくれたのだった。

 だが、キリヒメの解釈はまた少し違うようだ。


さとい奴じゃのう、ミハエル……のう、シャンホア。そうは思わんか?」

「ほへ? な、なんで……あっ!」

「うむ、気付きよるか。西方諸国連合と焔、両方に加勢しておけば」

「勝った方についた国だけは、生き残る。えっと、北方辺境料は十個の国だから」

「まあ、ミハエル以外は全てあっちにけた。そして、ミハエルの徳と仁を利用しておる。万が一、焔が逆転勝利したあかつきには……ミハエルを通して北方辺境領全土を許してもらう算段じゃろうなあ」


 両陣営に兵を出し、勝者側から働きかけて敗者側を助命嘆願じょめいたんがんする。

 これもまた、小国の寄り集まった北方辺境領の生存戦略なのだろう。

 そして、それを承知でミハエルはただ一人、配下の騎士たちと来てくれたのだ。


「チョウゼン将軍、フェイルも。時間がありません、至急軍議を」

「カカカッ! まあ、話せることなぞ多くはないがな。……フェイル、あの女の最期さいごを見届けたか?」

「……はい、師匠」


 フェイルが端的に経緯を説明すると、ミハエルは胸に手を当て祈るように俯いた。

 逆に、身を揺すって笑うチョウゼンは天を仰ぐ。まるで、溢れる涙をこらえるような笑い声が響いた。

 今この瞬間の命を、誰もが太后たいこうメイランに救われた。

 そして今、その全てを投じて今度は都と国を守るのだ。

 三者は三様にとむらい祈って、そして男の顔に瞳を輝かせる。

 どこか皆、いたずらを目論む悪童ワルガキのような表情だった。


「して、どうするフェイル。ミハエルの兵を含めても、もはや焔の兵は一万に満たぬぞ」

「地の利を活かして守り、先発隊の数万だけでも退けるしかない。五十万全部がいっぺんに襲ってくる訳じゃないし、五万殺せば一割の損失、実質向こうの負けみたいなもんだ」

「して、フェイル殿。いかように守るか……関所せきしょとりでを、幽谷関ゆうこくかんに陣取るが肝要かんようかと」


 ――

 大陸中央の平原より続く、街道に設置された関所の一つである。

 この関塞かんさいをくぐれば、あとは都までは目と鼻の先だ。この関所は焔の中央にあり、ほんの僅かな西との貿易を支えていた。同時に、最後の防衛拠点でもある。

 早い話が、幽谷関を抜かれた時こそが、本当の帝国滅亡の始まりだった。

 シャンホアは、三人の男たちの話にうなずき、ない知恵を絞り出すように思考を回す。

 小さな渓谷けいこくの要塞が、まさに最後の砦なのだ。

 だが、その少し北にもう一つ……不自然な直線で都に向かう道があることも知っている。そのことを再度考え、ついにシャンホアは自分なりの答えを脳裏に描いた。

 答え合わせとばかりに一歩踏み出すが、それを隣のキリヒメが止める。


「キリヒメ、ボク……ちょっとフェイルに話が」

「やめておけい。ククク、面白い娘よな。敵をだますにはまず、味方からじゃ」

「で、でも」

「ワシらに話せ。若く才ある近衛の将が奇策で勝つより、どこぞの無名の田舎娘いなかむすめがそれをなす……そっちのほうがおもしろかろうが」


 狂気すら感じるほどの清々すがすがしい笑いで、キリヒメは去っていった。

 驚きに目を丸めながら、シャンホアはまばたきを繰り返す。

 小さなキリヒメの背中は、なにも言わずに熟考をうながしているようだ。ならば、もう一度考えて考え抜き、ド素人故の蛮行に信憑性を肉付けしてゆく。

 腕組み唸るシャンホアの頭上を、小さな光が後宮こうきゅうへ向かったのは、まさにそんな時だった。

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