第5話「追悼の酒、未来の美酒のこと」

 夕闇が今、落日らくじつの帝国を包んだ。

 そんな中で、しめやかにうたげが始まる。

 シャンホアもテンテンを手伝ったが、まだ後宮こうきゅうには百人以上の寵姫ちょうきたちが残っていた。その大半が、これからの身の振り方を迷っている者ばかりである。選べないのではない……ここでの生き方以外わからないのだ。

 彼女たちは皆、後宮という庭園に咲く花だ。

 皇帝の寵愛ちょうあいを受けて咲き誇る以外に、生き方を知らない。

 そして、花は自分では動くことができないのだ。


「みんな、湿っぽいのは駄目だぞ! おっさんはそういうのが一番嫌いだったんだぞ!」

「おぬし、相変わらず不敬じゃのう……ワシでも陛下はうやまってるというのに」


 驚いたことに、アルテパとキリヒメが寝台をまるごと二人で大広間に持ち込んできた。

 無論、姉のシャンリンが身を横たえるものである。

 すでに歩けぬ彼女のためにと、力自慢の二人が連れてきてくれたのだ。

 寝台の上ではいを受け取り、シャンリンが上体を起こして皆を見渡す。


「……皇帝陛下へ鎮魂ちんこんの祈りを。そして、皆でこれからのことを考えましょう。まずは自分のことを、ね」


 静かに献杯けんぱいさかずきが掲げられる。

 それはとても静かでおごそかな宴だった。

 皆、不安な顔を涙で濡らしている。

 中には、泣き叫んでシャンリンにすがる者たちも大勢いた。

 その一人一人に優しく微笑ほほえみ、誰の話も分け隔てなく聞いて助言する。昔からシャンホアの姉は、相手を選ばず親身に寄り添う人だった。

 それは、持って生まれた美貌を一際眩しく輝かせる。

 皇帝が姉を召し上げたのも、そういうところにかれたのだとシャンホアは思った。

 一方で、無邪気に大盛りの料理にパクつく笑顔もあった。


「みんな、元気出すんだぞ! アルテパがおっさんのかたきは討ってやる、みんなのことも多分絶対に守るんだぞ!」


 自分では大きな焼串やきぐしの肉を手に、アルテパが次々と酒を皆に注いでゆく。そんな時、悲観にくれて絶望する者たちに一瞬の笑顔が戻った。

 寵姫というにはあまりに無邪気、そして肉食獣のような野性味にあふれる美貌。

 シャンリンが皆の姉ならば、アルテパはまるで誰にとっても妹のように振る舞っていた。

 そして、気付けばシャンホアの隣で鎧姿の麗人が微笑んでいる。

 キリヒメはシャンホアの視線に気付くと、静かに茶を進めてくれた。


「あやつはいつもああよな。空気が読めんし、実のところ字の読み書きもできん。じゃが、あの愛嬌には誰もがほだされてしまうのじゃ」

「キリヒメもですか?」

「ワシはちと、違うな。ワシは強き者にしか興味がないのじゃ。……見よ、あれを」


 アルテパは相変わらずの薄着で、下着姿も同然だ。

 そして、褐色の肌は豊満な胸の真ん中に大きな傷跡がある。

 そこだけが白くて、アルテパは古傷を隠そうともしない。


「陛下が南方へおもむいた折に、とある部族の娘が襲いかかったのじゃ。それがアルテパよ」

「……は? え、あ、いや、アステア地方って……まあ、そういう土地だとは」

蛮族ばんぞくの秘境じゃよ。ワシの環国わこくを修羅の国などというが、あそここそ本物の魔境じゃな」


 驚いたことに、アルテパは部族を襲う外敵と見て、皇帝に戦いを挑んだ。そこで一騎打ちに応じた皇帝も皇帝である。

 結果、互角の勝負を演じてみせたものの、アルテパは負けて瀕死の重傷を負ったという。

 胸の傷は、その時に皇帝の剣が突き立ったあかしなのだ。


「ワシが言うのもなんじゃが、陛下も酔狂な男じゃったよ。本当に……バカな奴じゃ。ワシを置いていくさに行くのも、そこで死ぬのも愚かなことじゃよ」


 まるで、自分がいれば皇帝は死ななかったような口ぶりだ。

 だが、そこにはおごりも過信もない。

 ありえたかもしれない真実を語るキリヒメは、静かに前髪をそっと手で上げた。白い髪に覆われていた顔半分には、真っ赤な血の色がうるんでいた。


「ワシはな、シャンホア。環国が差し出した人質ひとじちよ。この目を持って生まれたゆえ、呪いのみ子じゃったからな。まあ、ていのいい厄介払いだったんじゃろうよ」


 キリヒメの右目は、深紅しんくに輝いていた。

 黒髪に黒い瞳が環国の民だが、キリヒメは左目しか黒くない。

 そして、まるで紅玉のような瞳が静かに細められる。


「ここにいる者は皆、美しいだけではない……陛下はなによりも、強い女を愛したのじゃ」

「……確かに、シャンリン姉さんも」

「あれは病弱、もう何年ももたんじゃろう。じゃが、あのせた身一つで、この後宮の全てを支えておる。心の強い女じゃ、あれのためなら……ワシも死んでやるくらいはしてみせねばのう」


 物騒なと思ったが、改めて姉の人望を知る。

 今もシャンリンは、なげ戸惑とまどう寵姫たちの相談に乗ってやっている。

 村にいたころよりも、一層やつれて痩せてしまった姉。

 それがシャンホアには、以前より何倍も大きく見えた。

 そして、その側に付き添っていた金髪の寵姫が、そっと離れて部屋を出てゆく。いくつか料理を小皿に取り分けると、その人は庭園を望む外へと消えた。


「あれ……ヘリヤグリーズさん、どしたんだろ」

「……あの女も、居心地が悪かろうな」

西方人せいほうじんだから、ですか? でも、姉さんはそんなことは」

「シャンリンは誰にでもそうじゃからな。さりとて、多くの寵姫はあれを魔女だと嫌っておる。……故にのう」


 先程初めて会った時から、不思議だった。

 まるでシャンリンを実の妹のように気遣い、常に寄り添う金髪の西方人。まばゆい美貌はしかし、どこかかげりがあって常に無表情だ。

 そんな彼女が気になって、シャンホアも席を立つ。

 キリヒメの言葉も気になったが、自ら孤立を選ぶような人間をシャンホアは放っておけない。それは、実の姉シャンリンがそうだったから躊躇ちゅうちょがなかった。


「あ、あのっ、ヘリヤグリーズさんっ! ……あ、あれ? インウさんと……誰だろ」


 ヘリヤグリーズが向かう先に、一組の男女が杯を酌み交わしていた。

 その片方は宦官かんがんのインウだが、彼に酒を注ぐ美女は初めて見る。

 どこかで見かけたような印象もあったが、他の寵姫たちに負けず劣らずの美人だった。すらりと背が高く、長い黒髪が月の光につやめいていた。

 ヘリヤグリーズに振り返ったその美女は、シャンホアにも気付いてくれる。

 そして、以外な事実が発覚した。


「なんだ、田舎娘いなかむすめも一緒か。こっちこいよ、俺は泣いてる女が苦手でな」


 なんと、くだんの女は……女装したフェイルだった。

 その証拠に、ニカッと白い歯を見せて笑った彼は、長い髪を掴んで頭に結って見せる。確かに、普段はそうして髪を束ねていたのをシャンホアは思い出した。

 どうしてまた、女の格好をと思ったが、混乱するシャンホアに彼は盃を向けてくる。


「俺はここで産まれて育ったのさ。おふくろが寵姫で……いつもいつも、泣いてばかりの人だったんだよ」

「えっ? そ、そそっ、それって!?」


 先程の、太后たいこうメイランの言葉を思い出す。

 フェイルが帝国を引き継ぐ、それはつまり次の皇帝になれという意味だった。

 その理由がわかったようにも思えたが、フェイルは鼻で笑って肩をすくめる。


「後宮に召し上げられた時に、おふくろはもう身ごもってたのさ。俺には皇家の血なんて流れちゃいない」

「そ、そうなんだ」

「とはいえ、皇帝陛下以外の男が後宮に出入りするのは禁忌きんきでよ。俺はこうして女の格好で育てられたんだ。周囲の寵姫の手前、なるべくこうして目立たないようにしてるのさ」


 逆に大目立ち、悪目立ちである。

 だが、悪びれた様子もなくフェイルはシャンホアに杯を握らせ、酒を注ぐ。


「さっきのは良かったよなあ、お前。久々に痺れたぜ……面白いことになってきやがった」

「なっ、なにが面白いんですか!」


 見れば、インウやヘリヤグリーズも小さく笑っている。

 そして、フェイルの不敵な笑みは瞳がギラついていた。


「あのババァにあそこまで言って、髪をバッサリ! ……お前なあ、勿体ないことしちまったよなあ。でも、大したもんだぜ」

「ちょ、ちょっと! 軽々しく撫でないでください! こ、子供じゃないんだから!」

「わはは、ザックリやったなあ。まあ、飲め飲め」

「ボク、お酒は」


 ヘリヤグリーズが肘で小突いたが、フェイルはただ笑っていた。

 なんだか、その笑みが盃の酒に映って輝く。

 からかわれていると思うと、ええいとシャンホアは杯をあおった。


「……不味まずい。なにこれ、みんなこんなの飲んで喜んでるの?」

「フッ、その髪がまた伸びる頃にはわかるさ。酒の味ってやつがな。それに」


 インウにたしなめられつつも、フェイルは自分でも酒をあおる。

 そして、手の甲で口元をグイと拭うと……信じられない一言を放った。


「それに、すぐに味あわせてやる。勝利の美酒ってやつをな」


 シャンホアは耳を疑った。

 インウは苦笑に顔を覆い、ヘリヤグリーズも大きな溜息をこぼす。

 明日にも敵が攻め込んでくるというのに、フェイルは全く絶望していなかった。

 やれやれとヘリヤグリーズが愚痴ぐちるように呟く。


あきれた男ね、フェイル。わかってまして? 五十万の大軍よ? しかも、勝ち戦の勢いに乗ってる……戦う前から負けじゃなくて?」

「負けたあとだからこそ、戦わなきゃいけねえんだよ。負けて終わるな、ってのが陛下の口癖でな。戦い続ける限り、何回負けたっていい。最後の最後に勝てばいいのさ」

「……あなた、もう少し賢い男だと思ってましたのに。わかってませんのね、条約軍の恐ろしさが」

「銃と大砲、統制の取れた兵。……それを率いる、がいる。あなどっちゃいないさ」


 耳慣れない言葉と、フェイルが一目置く謎の男の存在。

 シャンホアは正直チンプンカンプンだったが、不思議と心の不安が消え去ってゆく。フェイルを見ていると何故か、根拠のない自信が妙に頼もしく思えるのだった。

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