第4話「守るに難あり、山に谷ありのこと」

 シャンホアはすぐに仕事にとりかかった。

 ミーリンに頼んで、エンとその周辺の地図をありったけ集める。それを、大広間の宴会場にある卓の上に広げた。尺度の近いものを繋ぎ合わせて、一枚の大きな世界地図にする。

 この大陸は、広い。

 そして、その約半分を支配する帝国が、この焔だ。

 もう半分、西方は無数の小国が乱立する群雄割拠ぐんゆうかっきょ……だったのは、どうやら昔の話らしい。今は連合の名のもとに団結し、条約軍を組織して攻めてくる。

 東西での大規模な戦争は、数百年ぶりだった。


「うーん、でももう一度負けてるんだよねえ。平野での決戦で」


 シャンホアには兵法ひょうほうや軍学の経験はない。

 ただ、働いている酒家しょくどうの常連である老人に、拳法を習ったことがある。大軍同士のぶつかり合いを、敢えて小さく自分が理解できる1対1の一騎打ち、手合わせに落とし込んだ。

 そうして見えてくるのは、

 つまり、みやこの防衛を考える前提として、まずは負けているということだった。


「でも、1人と1人で戦って、片方が負けた訳じゃない。100人と100人とか、えっと、何十万人同士で戦ったんだ。生き残った焔の兵士がまだ、どこかを逃げてるはず……」


 ふと、背後を振り返る。

 何人かの寵姫ちょうきが、こちらへと深々とこうべを垂れていた。

 ひょっとしたら、太后様たいこうさまことメイランに虚勢混じりの啖呵たんかを切った話が広がったのだろうか? ちょっと照れるし、へらへらと妙な笑顔でシャンホアも礼を返すしかできない。

 皆、大きな荷物を従者に持たせている。

 それでシャンホアは思い出した……姉のシャンリンが、メイランの言質げんちを得て宝物庫を開け放ったのだ。この都を去る寵姫には、旅路と今後に困らぬだけの金品が配られている。

 ほぼ大半の寵姫が、後宮こうきゅうを出て故郷へ逃げることを選んだのだった。


「な、なんか恥ずかしいな……ボク、まだなにもしてないのに」


 ばりぼりと髪を掻きむしれば、つやめく長髪はもうない。

 ばっさり切ったし、その後で姉が切りそろえてくれた。

 まるで男児のような髪型になってしまったが、気にしなかった。

 ただ、どうしても顔が緩むシャンホアに冷たい声が投げかけられる。


「あほうが、おぬしではないぞよ? たわけめ……ワシじゃ、ワシらに別れを告げておるのだ」


 ふと見れば、長い卓の横に二人の少女が座っている。

 そう、自分とそう歳も変わらぬ用に見えたが、奇妙な二人組だった。

 甲冑に身を固めた片方は、酷く華奢きゃしゃ矮躯わいくなのに老婆のような口ぶりだ。逆に、その隣のもう片方は長身で、童女どうじょのような笑顔が褐色かっしょくに輝いていた。

 シャンホアは思い出した。

 二人は、この後宮に来た時にすれ違った寵姫たちである。


「あっ、あの! えっと、ボクはシャンホア、シャンリン姉さんの妹です」

「ほう? あのシャンリン殿のか。ワシはキリヒメ、この後宮に囲われていた人質ひとじちじゃよ」

「アルテパ、アルテパだぞ! よろしくだぞ、シャンホア。キリヒメはわたしの友達なんだぞ!」


 この凸凹デコボココンビ、何から何まで正反対である。

 キリヒメのいでたちは、先に会った時にも強烈な印象を残している。極東の島国、環国わこくの鎧だ。かの地は、モノノフと呼ばれる戦闘民族が治める修羅しゅらの国とも聞いている。

 対して、アルテパは相変わらず半裸も同然で、背には巨大な鉄弓てっきゅうを背負っていた。

 小さな美貌の老婆と、大きく可憐な幼女といった感じである。

 その二人が、茶を手にやってきて、シャンホアのうつわに足してくれた。


「見よ、シャンホアとやら。中央平原で敗北し、焔の兵は散り散りに逃げておる」

「そう、ですよね……でも、生き残った人を集めれば、どうにか」

「どうにもならんのう。逃げた兵は戻らぬ。……戻る理由がなくてはの」

「詳しいんですか? えっと、キリヒメ様」

「様は余計じゃ。いいか? 西方の条約軍は勝利の勢いに任せて、まもなく都に雪崩なだれを打って群がってくるじゃろう。まずは、それを食い止めてみせねばならん」


 すぐ間近に、シャンホアは異邦人の横顔を見やる。

 同じ東方の人間でも、随分と顔立ちや雰囲気が違った印象だ。特に、色の抜けた髪は真っ白で、顔の半分を覆い隠している。

 だが、片方だけあらわな瞳は目元も鋭く、ツギハギだらけの地図をにらんでいた。


「都を、守ります。それがまず、ボクのやりたいことで」

「なら、アルテパ手伝うぞ! 都を守れば、兵たちも半分くらいは帰ってくるんだぞ!」

「そうなんですか? えっと、アルテパ様」

「うむ、アルテパ様はそう思う! 帰る場所があるとわかれば、帰る理由のある者は帰ってくるんだぞ。それが人間ってもんなんだぞ。……アステアでは、そうだぞ」


 アステアとは、焔の南方に広がる未開の土地である。

 先の皇帝の代になって国交が生まれ、今は各部族と帝国には交易や人材の行き来があった。また、西方諸国の中にはアステア地方の原生林を切り開き、民を奴隷にして植民地とする国々も少なからずある。

 なにより、太古の樹海は魔の領域。

 既に滅んだ古代の魔物たちが棲むとも言われていた。

 褐色の肌に銀髪のアルテパは、まさにそんな土地の民族の出に思えた。


「……わかりました、お二人共ありがとうございます! ちょっとだけ、わかりました」

「ほう? 左様さようか」

「はいっ! まず、ボクたちで都を守ってみせます。そして、皆に焔が健在であることを示すんです。そうすれば、一緒に戦ってくれる人が戻ってきたり、集まってきたり!」

「敗残の兵は心が折れておる。全員は戻らぬし、一度負けた兵は弱い」

「それでもです、キリヒメ様! じゃない、ええと」

「キリヒメでよいと言うとる……ふむ、シャンホアじゃったか? して、どうする」


 再び三人で地図を見渡す。

 東西をわかつ広大な平原は、既に条約軍の支配下にあった。そして、そこから都は目と鼻の先である。早ければ今日にも大軍が押し寄せてくることは明白だった。


「何十万という軍団じゃ、大戦おおいくさのあとですぐには動けん。が……時間もなかろう」

「アルテパ、見てくるか? ひとっ走り、山を超えてすぐだぞ」

「一人で行っても危なかろうて。それに、馬でもお主には追いつけぬわい」


 そう、かろうじて地の利があるとすれば、山岳地帯だ。

 平原から都に入るには、山を一つ超えなければならない。街道が整理されているとはいえ、昔から国防の要衝とされる天然の城壁で関所もある。

 ふと、シャンホアは地図に自分の村を探した。

 そして、村があるあたりの空白地帯をそっと指で撫でる。

 名もなき村だったし、貧しかった。だからだろうか、帝国からの税の取り立てもゆるかったし、役人たちも見知った仲で親切だった。

 地図にはないふるさともまた、都を守れなければ滅ぶ。

 アルテパが不意に首を傾げたのは、まさにそんな時だった。


「ん? んんんー? ここ、変だぞ。不自然! この、谷? 道? おかしいんだぞ!」


 アルテパが指差す先、地図の端っこに奇妙な地形が広がっていた。

 都の背後にそびえる山脈の、その山並みがそこだけ不自然に途切れている。まるで、神が引いたような直線で山が割れているのだ。

 そう、異様に思えるほどに真っ直ぐな道が山々を貫いている。

 キリヒメも「うん?」と覗き込んで、腕組み黙ってしまった。


「なんじゃ、これ……ワシも後宮に来てそこそこ長いがのう。大陸全土の地図を見るのは初めてじゃから」

「ね、ねっ? 絶対これ、変だぞ! 多分、凄く狭い! けど、ここを通れば」


 南北に走る山脈の、北側に存在する奇妙な渓谷けいこく

 丁度、北方辺境領ほっぽうへんきょうりょうの南側を貫く真っ直ぐな道があった。

 そして、シャンホアもひらめく。

 かつて、拳法を教えてくれた老人の言葉が思い出されたのだ。


「ここに条約軍をおびき出して、戦いましょう! この谷なら、数の不利もある程度は」

「たわけ、そうはならんぞ? よく見てみい、シャンホア。平原からわざわざ遠回りしてまで、この谷を通ると思うかや?」

「あー、そっか……でも、なんだろう。本当にへんてこな……人が掘ったのかな、これ」


 街道を迂回うかいして、北側に回り込まねば件の谷は通れない。

 勝ち戦で勢いに乗った大軍が、わざわざ遠回りをする必要もないだろう。しかも、露骨に奇妙な地形は、さも罠がありますとでも言わんばかりに地図に刻まれているのだ。

 圧倒的に不利な少数で、五十万の大軍を撃退する。

 そんな難題にシャンホアが向き合っていた、その時だった。

 そっと卓の上に温かい饅頭まんじゅゆの皿が置かれた。


「なんや、白狐峡びゃっこきょうやないの。知らへん? 有名な観光地やのになあ」


 酷くなまった言葉に振り返れば、笑顔の少女が立っていた。左右のそでと袖を合わせて、両手を組んだまま慇懃いんぎんにお辞儀をしてくれる。

 初めて見る女性だが、どうやら彼女も寵姫の一人のようだった。


「ウチはテンテンいいます。どうか、よろしゅう……キリヒメ様にアルテパ様、あと……なんや、自分は誰やの? 見ぃへん顔やなあ」

「あ、ボクはシャンホアです。えっと、シャンリン姉さんの妹で、その」

「ああ! さっきから話題のド田舎娘いなかて、自分のことなんねえ」


 テンテンは自分を、寵姫の一人にして料理人と名乗った。とある豪商の娘で、親の商売のために自ら進んで後宮に招かれたという。

 そのテンテンが言うには、例の谷は白狐峡というらしい。


「昔、昔、その昔……途方もない大昔や。まだこの地に統一された帝国はなく、それは西方も同じやったんよ。でも、西は荒れてってん。……


 歴史というよりも、それは神話だ。

 西方諸国は魔王ノインが率いる闇の軍勢と戦い、滅びの危機にひんしていた。しかし、異世界より神が招いた勇者、黒衣こくい救世主メシアミカグラの出現により平和を取り戻したという。それで西方では、ミカグラ聖教せいきょうなる宗教が起こり、その価値観を共有することで地域紛争は減ったという。


「でな、魔王ノインの正体は九尾きゅうび白狐しろぎつねやってん。で、東へ逃げた……その通り道がここや」

「はあ……えっ? 山をくり抜いちゃったんですか!?」

「そういう御伽噺おとぎばなしやん? 言い伝えやな。まあ、魔王いうたら何でもできるんとちゃいます?」


 テンテンはそれだけ言うと、次々と運ばれてくる料理を並べ始めた。

 そして今、うたげが始まる……悲観にくれていた寵姫たちも、一人、また一人と集まり出した。

 まずはご飯を食べること、これを提案したのはシャンホアだ。

 当然、ただの会食では終わらない……逃げる寵姫は逃げ出し、残るのをためらう者たちが大半な中、一人の男の愛を分け合った女たちの集いが開かれるのだった。

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