第2話「寵姫たち、立ち上がるのこと」

 後宮こうきゅうの中は、まるで楽園のようにきらびやかだった。

 そして、墓所ぼしょのように静まり返っている。

 当然だ、あるじである皇帝が戦死したのだ。今や、百をくだらぬ寵姫ちょうきが所有者を失ったのである。

 廊下をフェイルに続いて歩くシャンホアは、周囲をキョロキョロと落ち着かない。天井は高く、柱は白亜に輝いている。飾ってあるつぼ一つとっても、恐らく村で何年も遊んで暮らせるような値段だろう。


「ま、田舎いなかだから遊ぶ場所なんてないけどね。ボク、お酒も飲まないし」


 おのぼりさんな自分に自分で答えて、苦笑を浮かべる。

 そして、まだ自分にしがみついている女の子に優しく笑いかけた。


「ねね、えっと、公主様こうしゅさま? お名前はなんていうの? ボク、シャンホア」

「……ミーリン」

「そっか、いい名前だね。歳はいくつ?」

「10歳」

「まだ10歳かあ。さっきは怖かったね、もう大丈夫だぞっ」


 ふと見れば、前を歩くフェイルが肩を震わせている。

 なんだか小馬鹿にされてるみたいで、ちょっとムッとした。さっき会ったばかりだが、命の恩人である。だからといって、あきれたような笑みは失礼だ。


「ちょっと、フェイル、だっけ? なにを笑ってるのさ。この子、死ぬとこだったんだよ?」

「お前もな、シャンホア」

「う……それは、うん。助けてくれて、ありがと」

「なに、お前を助けた訳じゃない。公主様を守っただけのこと。……お前と一緒にな」

「ボクと、一緒?」

「どこの田舎娘かは知らないが、助かったぜ? にしても、お前もついてないな」


 肩越しに振り返って、今度は堂々とフェイルが笑う。

 その笑みは清々すがすがしくて、なんだかやっぱり可憐な貴婦人きふじんのようでおかしい。そう思うと、今の危機さえも忘れてしまいそうになる。

 だが、現実には皇帝が戦死し、エンは滅びつつある。

 そんな中でも、フェイルが堂々としているから、シャンホアも怖くはなかった。


「お前の姉さんって、あのシャンリン様なのか。なら、えっと、こっちだな」


 広大な後宮の中を、迷わずフェイルは歩いて進む。

 まるで、通い慣れてるようだ。

 だが、そんな彼が「この先だ」と曲がり角に向かった時……不意に二つの影が飛び出した。大小、極端に身長の違う二人組の少女たちだった。

 自分とそう歳も変わらぬとシャンホアが思ったのは、その顔立ちだ。

 皇帝の好みでもあるだろうが、双方とも絶世の美少女という言葉がふさわしい。


いくさじゃ、戦! 大戦おおいくさじゃあ!」

「おうさー、がんばろー!」


 小さい方は、見慣れぬ鎧を身に着けていた。腰には大小の太刀をさげている。昔、働いてる酒家しょくどうに来た学者さんが書物を見せてくれたが、あれは確か極東の海に浮かぶ島国のいでたちだ。確か、サムライとかモノノフとかいう戦闘民族である。

 もう一人、大きい方は逆に半裸だ。酷く薄着で、上下の下着しかつけていないような格好である。だが、褐色の肌を盛り上げる筋肉美は、まるで肉食獣を思わせるようだ。そして、自分よりもデカい鉄の弓を背負っている。胸には巨大な古傷がそこだけ白かった。


「っと、おいおい! なにをやってるんだ、お前たち」

「む、フェイルかや? なに、これから修羅しゅらへ入るところよ! 西方諸国なにするものぞ、ワシが時間を稼いでやる」

「その間にみんなで逃げるといいんだぞー? アタシも頑張る!」


 それだけ言うと、二人はガシャガシャと行ってしまった。

 思わずシャンホアは呆気あっけにとられてしまって、ただただ黙って見送るしかできない。

 だが、胸の中のミーリンがぎゅむと着物を掴んで呟いた。


「駄目、死んじゃう……皇帝陛下が、父様が悲しむ」


 すぐにフェイルが追いかけようとしたが、先んじてその役を引き受けるものが駆けてきた。意外なことに、この後宮に皇帝以外の男性がいるなんて驚きである。

 そしてすぐにシャンホアは思い出した。

 見るも流麗なる美貌の持ち主だが、フェイルもまた男だった。

 そして、文官のころもを引きずる男はフェイルを見て破顔一笑はがんいっしょうで溜息。


「ああ、フェイル! 生きていましたか……よかった、ホッとしましたよ」

「なんだよインウ、俺が死ぬかよ。お前も無事でなによりだ」

「ええ、ええ、そうでしょう。殺したって死なないような男です、貴方あなたは」

「それ、褒めてるのか? ああ、紹介しとく。シャンリン様の妹君いもうとぎみだそうだ。シャンホア、こっちは宦官かんがんのインウ。俺の知己ちき……朋友ポンヨウだ」


 朋友、つまり親友という意味である。

 その言葉にインウは、一瞬さびしげに目を細め、続いて照れたようにほお紅潮こうちょうさせた。その複雑な感情の起伏をシャンホアは見逃さなかったが、言葉にはしない。

 ただ、二人が旧知の仲で信頼を結んでいることは疑いない。


「はじめまして、シャンホアです」

「ようこそみやこへ、シャンホア。シャンリン様はこの奥です。フェイル、私は二人を追う。この命にかけても止めてみせるつもりだ。お前は他の寵姫たちを頼む」


 それだけ言うと、足早にインウは去ってしまった。

 なんだかちょっと、頼りない。

 それに、気になる言葉が耳慣れなくて、問えばフェイルが教えてくれる。


「ああ、インウか? 宦官だ。つまり、去勢きょせいして男を捨てた人間なんだよ」

「えっ、そ、そそそ、それって、あのぉ」

「だが、奴は男を捨てても……おとこだ。俺の知る限り、インウに勝る忠節の持ち主はいない。皇帝陛下もインウは特別にもちいていたからな」

「そなんだ。……ちなみに、フェイルは?」

「俺か? 俺は俺にしかつかえんさ。俺の意志に従うまで、俺を自由にできるのは俺だけだ」


 そうまで言っても、この国と民を守ると彼は先程口にした。

 歩き出すその背を追えば、徐々に複数の声が耳に入ってくる。

 すすり泣きや悲鳴、なげき、そしていきどおり。

 沢山の女が、一人の男を想って悲喜こもごもだった。

 そして、フェイルは一番奥の部屋の扉を叩く。小さく「どうぞ」と響く声に、思わずシャンホアのなつかしさが爆発した。

 フェイルを押しのけるようにして扉を開け放つ。

 ミーリンを抱えたまま、シャンホアは目の前の部屋へと駆け込んだ。


「姉さんっ! シャンリン姉さん!」

「まあ……シャンホア。あなた、どうして……それに、公主様も」

「会いたかった、姉さん! あのね、助けに来たの」

「助けに、来た? 私を?」

「そうだよ! 誘拐同然に皇帝にさらわれて、いなくなっちゃうんだもん! ボク、すっごく心配したんだぞ? 何年もお金を少しずつ貯めて、一人でここまで来たの」

「シャンホア、あなた……ッ、グ! ゲホ、ゲホッ!」


 瞳をうるませたまま、姉のシャンリンは床の上で咳き込んだ。

 生来せいらい身体が弱く、シャンリンは病弱だった。村では労働力にはなれず、誰かの世話にならねば生きてゆけない身体だったのだ。両親を早くに亡くした姉妹だったので、シャンホアは必死に働いた。シャンリンも村の子供たちに、読み書きや算術を教えたのである。

 そんな折、狩りの休憩に皇帝一行が村に立ち寄った。

 そこでシャンリンは見初みそめられたのである。

 シャンホアは慌てて詰め寄ったが、両手がミーリンで塞がっている。

 そして、意外な人物がそっと寄り添いシャンリンの背をさすった。


「あまり興奮しないで頂戴ちょうだい、シャンリン。妹さんも公主様も驚くわ。さ、いい子だから」

「ごめんなさい、私うれしくて……ありがとう、ヘリヤ」


 金髪の女性がいた。

 西方人せいほうじんである。

 つまり、今は敵国の人間ということだ。

 シャンホアは直接見るのは初めてだった。西方人は金色の髪を持ち、白い肌だという。正しく西方人そのものが姉の肩を抱いていた。

 彼女も後宮の寵姫なのだろうか?

 そう想ってると、あとから入ってきたフェイルがゴホン! と咳払せきばらい。


「失礼を、シャンリン様。それと、ヘリヤグリーズ様ですか? あの二人をき付けたのは」


 あの二人とは無論、先程意気軒昂いきけんこうの意気で出ていった少女たちである。

 金髪の美女は絶対零度の視線で、フェイルをすがめて鼻を鳴らす。


「あら、わたくしにアレをどうこうできると思って?」

「まあ、普通に考えればそうだがな。今は非常事態だ、もう知れてることだろう?」

「ええ。あの男は……皇帝は死んだらしいわね。フフ、アハハハ! ザマァ見ろったらないわ」


 空虚な笑みが高らかに響く。

 ヘリヤグリーズは皇帝の寵姫にも関わらず、その死を嘲笑わらった。悲しみを隠して取り繕うような笑みではない。心底、本音の本心でさげすんでいた。

 だが、すぐに彼女は真顔になる。


「敵が来るわよ、フェイル」

「あんた、西方諸国連合の出身だったよな?」

「ええ、隅っこの小さな皇国ですけれど」

「数は? 条約軍の戦力が知りたい」

「……少なくても、50万。あるいはそれ以上ですわ」


 50万人、それは大軍という規模の軍隊ではない。

 もはや、武装した殺意の雪崩なだれそのものだ。津波といってもいい。

 それが今、平原の決戦で帝国軍を打ち破り、この都に迫っている。

 シャンホワはすぐに叫んだ。


「逃げよう、姉さん! みんなも、逃げなきゃ! ……あっ」


 ふと、周囲を見渡しフェイルに視線を止めた。とどめた、見詰めざるを得なかった。目が、放せない。絶望を数字で叩きつけられてなお、その男は諦めを顔に出さなかった。

 あたかも、絶望を知らぬ勇者のように、黙って表情を引き締めている。

 そして、シャンリンからも驚きの言葉が漏れ出る。


「ごめんなさい、シャンホア。姉さんは行けない……もう、動けないの」

「姉さん!」

「皆には、逃げられる者は逃げるように言ったわ。フフ、村では役立たずの私も、ここではちょっとした顔なのよ? みんな、私の第二第三の妹。あと、姉のような人もね」


 むすっと腕組み黙るヘリヤグリーズを見上げて、シャンリンは微笑ほほえむ。

 彼女は、自分がすでに死期が近いと告白し、病ゆえに立って歩けぬと告げてきた。

 だが、シャンホアは諦めない。

 かたわらの青年のように、絶望にあらがう。

 背負ってでも逃げるし、這ってでも生き延びるべきだ。

 そう思っていると、意外な人物が口を開くのだった。

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