寵姫大戦 ~ ド田舎娘かく戦えり ~

ながやん

第1話「天下泰平、乱れるのこと」

 シャンホアにとって、初めての旅が終わった。

 17歳になって初めて、村を出ての一人旅だった。

 そして先程まで、熱狂で沸騰したみやこの大通りを駆け抜けたのだった。

 超大国、エン……花の都は今、数多あまたの民で溢れかえっていた。

 まるで祭だ。

 笑顔と歌がない以外は、祝祭だとシャンホアは思った。


「何か変だ……おかしいよ。だって、だって……こんなに簡単なはず、ないもの」


 都についてすぐ、シャンホアは宮廷へと直行した。

 衛兵が沢山いるだろうし、事情を話して駄目なら強行突破も考えていた。

 我ながら浅はかな娘だと思うが、がれるような衝動は抑えられない。

 けど、そんな覚悟は全くの無駄になった。

 宮廷の周辺は閑散としていて、すんなりと忍び込むことができた。


「それにしても広いお城だな。流石さすがは皇帝陛下のお屋敷……後宮こうきゅうはあっちかな」


 おかしい。

 妙だ、変である。

 人の気配がほとんどないのだ。

 物陰から木陰こかげへと、身を小さく低くしてシャンホアは走る。途中、役人や軍人が近くを通ったが、急ぎ足でとても焦っているように見えた。

 いったいなにが……だが、好機とも思えた。

 目指す後宮を、敷地内の奥深くにとうとう見つける。

 絢爛けんらんたるその建物は、見上げれば呼吸も忘れる程だった。

 だが、不意に怒号が響いてシャンホアは身を隠す。


「お、おいっ! どこに逃げる!?」

「とりあえず都を出よう。どこか田舎いなかでしばらく息を潜めて」

「これで焔王朝も終わりだ……天下泰平てんかたいへいの世はもう、終わりだなあ」


 数人の兵士たちが、大きな袋を沢山背負って駆けてゆく。

 植木に身を細めて、ガシャガシャと金属がなる音をシャンホアは見送った。息を止めて気配を殺したが、そこまで用心しなくても見つからないような雰囲気だ。

 兵士たちはなにかポロポロと袋からこぼしつつ、行ってしまった。

 あれは本来、この宮廷を守っている警備の兵ではないのだろうか?


「まるで逃げてるみたい……なんだろ」


 シャンホアは、吹く風に寒々しさを感じた。

 背筋を泡立てる、これは悪寒おかんだ。

 状況が全くわからないし、目的の後宮は目の前だが静まり返っている。

 改めて周囲を見渡すと、先程の兵士たちの落とし物が散らばっていた。


「なにこれ、指輪? わわっ、光る石がついてる! こっちは金ピカ!」


 貴金属で飾られた装飾品の数々だ。他にも銀のうつわや精巧な彫像、巻物や掛け軸なども大量にある。シャンホアにとっては見たこともない宝物の数々で、村に持ち帰れば一攫千金いっかくせんきんどころの騒ぎではない。

 だが、興味はなかった。

 シャンホアが欲しいもの……取り戻したい者は今、後宮の中にいる筈である。

 その気持ちを改めて強く自分に言い聞かせた、その時だった。


「ええい、泣くなわめくな! いいから黙ってついてくるんだ!」


 しゃがれた怒号が、幼子の泣き声を連れてきた。

 振り向くと、身なりのよい老人が女の子を抱えている。周囲には鎧を着込んだ兵士たちが数人……どうやら警護の人間のようだが、酷く疲れた顔をしているように見えた。

 なにより、老いた男の目が血走りギラついている。

 息も荒く、なにかとても急いでいるように見えた。


「このガキさえ抑えれば、あとはどうとでも……む? なんだ小娘、お前は!」

「お下がりください、丞相閣下じょうしょうかっか! 貴様、宮廷の女官ではないな。怪しい奴め!」


 確かにシャンホアは侵入者、狼藉者ろうぜきものという自覚がある。

 だが、ここまで誰もとがめなかったし、数人にしか会わなかったのも事実だ。

 槍を向けられたが、ひるまない。

 こんなことで逃げるようなら、そもそも村を出たりしなかった。

 それに、泣きじゃくる女の子と目が合った。

 それだけでもう、生来持って生まれたド根性が燃え上がる。


「ちょっと、キミたち! その子、泣いてる……放してあげて!」

「ぐぬぬ、小娘がぁ! ワシを誰と心得る!」

「知らないわよ! だいたいキミね、いい大人が人さらい? 恥を知りなさい!」

「ワ、ワシは丞相じゃぞ! この国で二番目に……今は一番偉いんじゃ!」


 シャンホアは決して学のある娘ではなかった。

 三年前まで姉に読み書きと算術を習い、村の酒家しょくどうで働ける程度である。

 だけれども、不義と暴力に対しては人一倍敏感だった。

 だからこそ、誰にも言わずここまで一人で来た。

 今更いまさら小さな女の子一人助けるくらい、なんとも思わない。


「ええい、無礼者め! 斬って捨てよ! お前たちっ、ワシを守れぇ!」


 兵士たちが襲ってきた。

 正直、恐ろしい。

 あの槍で貫かれれば、一撃で絶命してしまうだろう。

 だが、シャンホアはおびえなかった。根性には自身があったし、勇気の出し方を心得ていた。敬愛する姉に学んで、姉を守るためにつちかってきた技がうなりを上げる。

 殺気を帯びた一突きを、ギリギリで避ける。

 長旅のための男装の着衣が裂け、総髪ポニーテイルに結った長髪が棚引たなびく。

 一歩踏み込み、槍を掴んで宙に舞う。

 孤を描く蹴りが空気を切り裂き、兵士の顔面に炸裂した。その直後にはもう、もう片方の脚で見えない大地を踏み締める。一人目の兵士を踏み台に、次の飛び蹴りを放っていた。

 最後には、着地と同時に立ちすくむ兵士たちに身構える。


「なっ、ななな、なんだお前……今、なにを」

功夫クンフーだぞっ! さあ、終わり? いくらでもかかってこいっ!」


 幼少期よりシャンホアは、拳法を習っていた。

 美人で評判の姉を守るため、何度か男たちとこぶしを交えたこともある。負けたのは生涯、一度だけ……戦いにすらならず、戦わずに負けた過去が彼女を強くしたのだ。

 ドン! と石畳を震脚しんきゃくで踏み鳴らす。

 バキバキと割れて波立つ地面に、兵士たちは悲鳴を上げて逃げ出した。


「あっ、こら! お前たち! ワシを置いて逃げるでないっ! ……くっ、かくなるうえは!」


 丞相とか名乗った男は、腰の剣を抜いた。

 その刃を、小脇に抱えた少女に向ける。

 あまりにも卑劣で無様なその姿に、シャンホアの怒りは沸点に達した。

 だが、一歩下がって拳を下げる。


「どうじゃ、手出しできまい! さては貴様、連中の手先だな? ワシより先に公主こうしゅを抑えるつもりであろう!」

「えっと、公主? なにそれ……丞相さん、だっけ? ゴメン、ボクそういうの詳しくないんだ」

「……は? ワシは丞相、皇帝陛下のしんじゃ。……そう、だったんじゃ。公主というのは」

「とにかくっ! 知ったことじゃないわ! その子を放してあげて!」


 その時だった。

 不意に、老人の背後に影が舞い降りた。

 一瞬のことで、シャンホアは気配さえ感じたなかった。武道をおさめた身として、鋭敏な感覚は自慢だったが……その男は突然雲かかすみのように湧いて出たのだ。

 そう、男だ。

 若い男、かなりの美青年である。

 女性かと見紛みまがう中性的な顔立ちは美しく、強い意志を宿した瞳はあかく燃えていた。

 彼は腰の剣を抜くと、トントンと丞相の肩を叩く。


「な、なんじゃ、ワシは今いそがし……ひ、ひえっ! お前は」

「公主様を渡していただけますか、丞相閣下。それに、逃げるなら早いほうがいいでしょう。すでにもう、敵はすぐそこまで迫っています」


 酷く落ち着いた声に、怒りがにじんでいた。

 その青年も鎧を着込んでいたが、防具で膨らんで見えることもない。逆に、甲冑の装飾が華美な光で青年の美貌びぼうを際立てているようだった。

 その人を一目見て、シャンホアは味方だと思った。

 先程なら、背後から不意打ちで斬れた筈である。

 それをしないのは、卑劣漢ではないということだった。


「くっ、フェイル! 貴様は近衛隊長このえたいちょうであろう! ワシを守れ!」

「お断りします、丞相閣下。……っていうかよ、ジジイ。俺がつかえるのはただ一人、皇帝陛下だけだ。いいから公主様を置いてせろ。でなきゃ」


 ヒュン! と風が歌った。

 シャンホアにも、フェイルと呼ばれた男の剣筋けんすじは見えなかった。

 疾風迅雷、神速の斬撃。

 丞相の身にまとう着衣が、あっという間に細切れになった。それは風に舞い散り、老人を丸裸におとしめる。

 勿論もちろん、女の子には傷ひとつない。

 もはや丞相は、震えて立ち尽くすしかできなかった。


「くっ、フェイル! 覚えておれ! 貴様とて今に逃げ出すであろうに!」

「ハッ! 俺がか? ……めるなよ、三下の奸臣かんしんが。誰が逃げようとも、俺は逃げねえ! 公主様もこの都も、民も国も俺が守る!」


 丞相は抱えていた少女を放り出して逃げ去った。

 年寄とは思えぬ速さで、なかなかに達者な逃げ足である。

 シャンホアは慌てて両手を広げ、落下する女の子を受け止めた。

 そして、その場にへたり込む。

 今になって恐怖が震えを呼び、腰が抜けてしまったのだ。

 そんな彼女の前で、剣をさやに修めてフェイルが笑う。


「ん、なんだお前。後宮の寵姫じゃねえな……こんなイモ臭いなりじゃ、な」

「むっ! ちょ、ちょっと! 失礼じゃないかな。ボクはシャンホア! 姉さんを……シャンリン姉さんを返してもらいに来た!」


 シャンホアの姉、シャンリン。今や皇帝陛下の覚えもめでたい、この国で一番の寵姫ちょうきだ。絶世の美女で、皇帝に見初みそめられて田舎の村から後宮に入ったのである。

 その名を聞いて、フェイルは端正な表情をピクリと震わせた。


「……なるほど、シャンリン様の妹君なのか。とりあえず、ありがとよ。公主様を守ってくれたんだよな。改めて礼を言う。本当に助かった」

「あ、うん……そんな、お礼なんて。で、公主様って? この子は」

「公主様、すなわちだ。親子なんだよ、皇帝の娘なんだ」

「ああ、そういうこと……え、えええーっ!?」


 泣きじゃくる少女は、ひっしとシャンホアの胸に顔を埋めてくる。年の頃は10歳かそこらか。しっかりと抱き締めてやると、シャンホアの鼻先にフェイルが手を差し出してくれた。その手を握れば、やはり見た目に反して男性のたくましさが感じられた。

 立ち上がるシャンホアはしかし、さらなる驚きに目の前が真っ暗になった。


「今日、なんか変……都っていつもこうなの? お祭りじゃないし、これって」

「ああ、その話か。この国は……。皇帝陛下も戦死された。もうすぐ、西方諸国の条約軍がやってくる。略奪と虐殺が始まるかもしれない」


 シャンホアは耳を疑った。

 同時に、改めて少女を優しく抱き直す。

 姉を連れ出し村に帰る筈の大冒険は、突如絶体絶命の絶望に塗り潰されたのだった。

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