26話 殺意

 辺りはすでに陽が落ち始めていた。

『索敵魔法』を全開にして『浮遊魔法』を使用し魔王を追っていた私は、ある山奥のだだっ広い開けた場所に着く。そこには――


「あら? 案外早かったじゃない」


 そう言ったのは椅子に座るようにして腰を折り、宙に浮いている少女――魔王スイレンだった。


「……魔王ッ……!」

「まあそう怒らないで。あなたの愛しの人間なら、ほら」


 魔王の傍には、『防御魔法』かなにかで作られたらしい球体の中に、横に倒れている露草の姿があった。


「つ、露草!」

「心配しなくても、あの人間は無事よ。少し眠ってもらっているだけ」


 たしかに露草の胸は、遠目からでも上下に起伏しているのが分かり、外傷もなさそうだ。私はひとまず胸をなでおろす。けれど根本的な問題はそこじゃない。


「なぜ露草を攫った! 何が目的だ、答えろッ!」

「目的? そうね。前にも言ったけれど、あなたと手を組むためかしら。あなたと一緒に、未だ人間が我が物顔で蔓延っているこの世界も壊してしまいたいのよ」


「……私が、お前なんかと手を組むわけが――」

「というのもあるけれど」

「……は?」


 魔王の真紅の瞳が妖しく光る。にやりと心底愉快そうに表情を歪めると、魔王は言う。


「ワタシはね、あなたの闇が見たいのよ……!」

「……闇?」


 ……は? 闇、だ?


「闇が見たいのよ! あなたのあの、深い深い底なし穴のような。あの狂気に満ちた、絶望と復讐の炎を纏ったあの昏い闇を……!」


 ……理解ができない。こいつは一体、何を言っているのだろうか。


「意味が、わからない。……そんなことのために、お前は、時空を超えて、私を追ってきたとでもいうのか……?」


「そうよ! ワタシはあなたのあの闇の正体が知りたい! どうしたらあんなにも深く、強大な力を内に秘めることができるのかが知りたい! どうしても知りたかったのよ!」


 恍惚とした表情の魔王。その姿はまさしく、魔を統べた王そのものであり。

 ――人知の及ばぬ、化け物そのものだった。


「……そんなイカれた理由が本当だとして。なんで露草を攫った!? 目的は私なんでしょ!」


「それはまあ。今のアイリスにはあの時ワタシが恐怖した闇を感じないからよ。だからアイリス、あなたには、もう一度。あの時の闇を取り戻してもらう必要があるわ。――こんな風に、ね?」


 魔王は何もなかったはずの空間から、『異空間収納』を用いて大鎌を取り出す。魔王は宙に立ち上がると、その出現した大鎌を構える。


「……な、なにを!」

「見てればわかるわ――よッ!」


 そうして、魔王は横なぎに大鎌を大きく振り払う。音速に達しているその一閃は、私があらかじめ魔力で身体強化を施していなければ視認することすら困難だったであろうもの。かの世界で暴虐の限りを尽くし、世界を破滅の一歩手前まで陥らせた最恐の魔王の渾身の斬撃。

 その凶刃の矛先には――。


「――ッ!」


 すやすやと穏やかな寝息を立てる露草の姿があった。露草を覆っていた球体はいつの間にかなくなっている。露草を守るものは何一つとしてない。このままではっ……!


 刹那、私の脳裏には、ある一幕がフラッシュバックしていた。


 それは、忌々しき、忘れ去ってしまい記憶。紫色の魔力の旋風。

 動かない自分の身体。かろうじて見えたのは、〝あいつ〟の、流した涙だけで――


「――ッ」


 瞬間。

 ――キイイイイイィン、と。甲高い金属音が大気を揺らす。


「……よく防いだわね」


 私は、間一髪のところで固有魔法『武器錬成』にて生み出した銀色の大盾を露草の前に展開し、魔王の斬撃から露草を守ることに成功していた。


 魔王は、防がれるとは思わなかったのだろう。一瞬できた奴の隙を、私は見逃さない。


 魔力で身体強化した右足で、グッと地面を蹴って駆ける。


 同時に『武器錬成』を発動。魔法陣から生み出されるは、処女雪のように白く、美しい白刃の西洋剣。――『聖剣ロベリア』。


 私は今しがた生み出した『聖剣ロベリア』を固く両手で握ると、力任せに魔王目掛けて袈裟切りに振るう。


 固い感触。魔王は私の斬撃を刹那のうちに展開した『防御魔法』で防ぐがしかし。

 魔王は目を見開く。


「はああぁああああああ!」


 そのまま振り切り、残身。魔王はその勢いまでは殺すことが出来ずに、後方へ大きく吹っ飛んでいく。


「……ッ!」


 ザザザッ、と、魔王は踏ん張りを利かせると、膝をついてその場に蹲っていた。

 私は、眠っている露草を守るようにして一歩前へと出る。


「……ははっ。やるじゃないアイリス」

「……」


 ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐると。胸中になにかが渦巻いているのを、私は感じていた。


「いいわいいわ! その目! その目よ! その瞳を待っていたのよっ、アイリスっ!!」


 魔王がなにか言っているが、今の私の耳には奴の狂言など、一言たりとも届かない。


 再び『武器錬成』を発動させる。宙に浮く魔法陣から姿を現したのは、真紅の血を凝縮したように紅黒く、美しい黒刃の西洋剣。――『魔剣リコリス』。


 私は『聖剣ロベリア』を右手に、『魔剣リコリス』を左手に、それぞれ構える。



 ――アイリス。泣かないで? アイリスには、笑顔が良く似合うから。わたしは、笑ったアイリスが、世界で一番、大好きだよ。



「……」


 もう、あんなに苦しい思いはしたくないのだ。


 もう、あんなに辛い思いはしたくないのだ。


 もう二度と、あんなにも悲しい表情を、悲しい言葉を、聞きたくないのだ。


 私は、もう二度と、大切なものを、取りこぼすわけには、いかないのだ――


「……」


 ゴオォッっと、私の周囲には白い風が吹き荒れる。パチパチと、白い電撃の火花が散る。


 全身にありったけの魔力を込める。


 ゆっくりと。私は顔を上げると、魔王に向けて、憎悪のこもった視線を送る。


 そして。


 私を渦巻く、ドス黒いなにかから、ポツリと一滴、漏れ出た一言――



「――――殺す」

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