18話 頭が壊れた女子高生
「では聞いてください。一曲目、『太陽みたいな君のように』」
ステージ上では彩芽がギターを豪快にかき鳴らす。
あんなことがあったにも関わらず、文化祭は何事もなかったかのように穏やかに続いていた。
唯一窓が割れたのが少し騒ぎになったくらいだ。どうやら魔王は自身に『認識阻害魔法』をかけていたようだった。
「ふわぁああ! アイリスたん見て見てっ! 彩芽すっごーい! かっこかわいい! 幼馴染として鼻が高いよっ!」
私たちは予定通り、彩芽のバンドのステージを見に来ていた。魔王の乱入によって到着が遅れ、前の方は埋まってしまっていたのでだいぶ後ろから見ているが、まあ見えない距離でもない。
「うん、そうだね」
露草が事前に言っていたけれど、たしかに彩芽の演奏は素人目から見ても抜群にうまかった。ていうか、ボーカルも彩芽がやるのか。カッコいいな、彩芽は。
「……アイリスたん?」
すると露草が、私の表情をうかがうように覗き込んできた。
「……なに?」
「……ええっと。なんか元気無さそうだなーって思って」
「……」
まさか露草に言われるとは思ってはおらず、図星を突かれて私は口をつぐんでしまう。
「やっぱり、さっきスイレンちゃんと話してたこと?」
……いつもは馬鹿で変態のくせに、こいつはこういうときばかりは鋭いのだ。
「……まあ。あいつに言われたこと、ちょっと考えてた」
「それって……」
「……。初めて露草にあった時、私は昔人間に対して残虐な行為をしたって言ったよね」
「うん」
「……あれ、冗談でも嘘でもなく本当のことなの」
「……」
話すつもりなんてなかったはずなのに、私は露草に吐露してしまう。
「……私はさ、本当は、この世界にいちゃいけない存在なんだよ。それどころか、たぶん生きてちゃいけない。……私、こんなことしていてもいいのかなって、少し、考えてた」
彩芽の透き通るような歌声が館内に響き渡る。ギターの心地よい音が鳴る。観客の歓声が響く。しかし、私の心臓の音は、喧騒に紛れて掻き消えてはくれない。
瞬間、拍手の嵐が過ぎる。どうやら彩芽たちの演奏が終わったようだった。
「わたしさ、アイリスたんの過去をよく知りもしないから」
彩芽たちのバンドを眺めながら、露草は言う。
「アイリスたんがなにでそんなに苦しんでいるのか知らないからさ。わたしは異世界人のアイリスたんと違って、ただの地球人で日本人だからさ。わたしには多分、本当の意味で、アイリスたんを救うことは出来ないんだと思う」
「……」
「でもさ、そんなわたしにもわかることがあるんだよ。アイリスたんが昔、酷いことをしたっていうのが事実だったとしても、アイリスたんがなんの理由もなしにそんなことは絶対にしないって」
「……それは、」
「それに、アイリスたんのことだから。アイリスたんは、そのしちゃった悪いことに対していっぱい悩んで、いっぱい考えて、いっぱい後悔して、いっぱい反省したあとなんだよね?」
「……」
「だったら、それでいいとわたしは思うけどな。大切なのは、後悔して反省して、同じ失敗はしないと誓って次に生かすことだよ」
露草のその考えは、前向きで明るい、私にとってはとても眩しい、彼女らしいものだった。
しかし、
「……でも、私がしたことは、反省して許されることじゃ決してない。たとえ私を罰する人が、どの世界にももういないとしても。私はきっと、死んで詫びなきゃいけないはずなんだ……」
「死んで詫びるって、武士か」
……真面目な話をしているのだけど。
「アイリスたんが本当に死んで詫びたいっていうのなら、わたしに止める権利はないのかもしれないけど」
瞬間、露草は私を見やる。
「でもわたしはきっと。そんなアイリスたんを全力で止めると思うよ」
「……」
「だってアイリスたんの存在はもう、わたしの『世界』の大半を占めちゃってるから。アイリスたんが死んだら、もちろんわたしの『世界』の大部分も死ぬことになっちゃう。それはすっごくすっごく困る。すっごくすっごく悲しい。だからわたしはアイリスたんを止めると思うよ」
「……なにそれ、めちゃくちゃ。自分勝手すぎる」
「……まあ、そうだね。めちゃくちゃで自分勝手。アイリスたんが死ぬと、わたしはすごく悲しいし、一生立ち直れないかもしれない。だから、そうなりたくないからわたしはきっと、アイリスたんを止めたいんだ」
「……」
「でもさ――人生って、自分勝手くらいがちょうどいいと思わない?」
「……え?」
予想の斜め上の露草のその言葉に、私はおもわず声を漏らす。
「人生なんて、どうせ最後にはみんな死ぬんだよ。だったらさ、多少自分勝手でも、その死ぬまでの期間をいかに楽しく過ごすかが重要だと思わない?」
「……」
「アイリスたんはもう十分苦しんだよ。十分考えて、後悔して、戦ったよ。そしたら次は、楽しむターンなんだよ。過去にしちゃった悪いことは消せないし、反省しなきゃいけないのはわかる。でもそれでずっとうじうじ後悔ばかりしているのは人生がもったいないよ。自分勝手で何が悪いっ! この人生を生きているのはほかでもない自分自身なんだから。自分勝手でもなんだって、楽しく生きようぜ! ってわたしは思う」
私は思わず露草を見やる。すると、露草は、ぱっと花が咲き誇るように柔らかく微笑んでいた。
「この世界にはさ、考えても仕方がないことってたくさんあるよ。例えば、未来過去現在、時間って一体どこにあるんだーとか、死んだらどうなっちゃうんだろう、とか。この世界がもしかしたら誰かに作られた仮想世界なのかもしれない、とか」
「……」
「それって考えても考えても、この世界に生きるわたしたちにはどうやっても知りえない話だし、もし仮にこの世界が本当に誰かに作られた仮想世界だったとして、それをある日わたしたちが知ったとしても、わたしたちにはどうすることもできない。だってわたしたちは、この世界が作られた世界であっても確かにこの世界で生まれて育って、日々を楽しく生きてきたから。わたしたちに出来るのは、作られた世界だってことを受け入れて、それでもなおこの世界で生き続けることだけなんだよ」
「……」
「ちょっと話が逸れちゃったけど、とりあえずわたしが言いたいのはね? 考えても仕方がないことを考えすぎちゃダメってこと。それらにはどこかで折り合いをつけなきゃダメってこと。じゃなきゃズルズルズルズル心だけ一方的に擦り切れちゃう」
「……」
「だからアイリスたんは自分勝手に、自分を許してもいいと思うの」
「……自分を、許す?」
「そう。さっきも言ったけど、人生なんて多少自分勝手なくらいがちょうどいいんだよ。そしてアイリスたんはもう十分に苦しんだ。だったら、アイリスたんもそろそろ、自分勝手になってもいいんじゃない?」
「……じぶん、かって」
……その言葉に私は、聞き覚えがあった。
――わたしは我がままで自分勝手だからさ。だから、ごめんね? アイリスになんといわれようとも、わたしはアイリスを守るよ。たとえ、それでわたしが、死ぬことになったとしても。
あの時。
私も〝あいつ〟の覚悟を無駄にして、全力で魔力を解き放っていたのなら。私も〝あいつ〟のように、もう少し、自分勝手になれていたのなら。
――二人一緒に、生き残ることができた未来も、あったのだろうか。
「……私は、この世界に居続けてもいいのかな?」
「言ったでしょ。アイリスたんはもう少し、自分勝手に生きていいんだよ。もしこの世界から出てけっていう輩がいたなら、わたしがそいつにグーパンチをしてあげるよっ」
「……私は、生きていてもいいのかな?」
「生きてちゃダメな人なんていないって。アイリスたんは自分のしたいように、自分の好きなように生きていけばいいと思う」
「私は、」
――〝あいつ〟のように。
「好きなものを作って、楽しく。毎日を生きることが、できるだろうか」
「わたしの目にはもう出来てるように見えてるけど。でもそれは
――アイリスたんが、自分で一番よくわかっているんじゃない?」
「――っ」
「わたしは、いつものアイリスたんが大好きっ! 好きなこといっぱいして、好きなものいっぱい食べて、趣味がたっくさんある、いつも楽しそうにしてるアイリスたんが大好きっ! だいだいだいだい――大好きなんだよっ!」
「――」
瞬間、私の全身に、なにかが吹き抜ける。
露草は相変わらず、眩しすぎる満面の笑みを浮かべていて。
そんな彼女に私は、なぜか血の巡りがはやくなっているのを感じていた。
なぜだろう。
演奏や歓声で、周囲は雑音で埋め尽くされているはずなのに。
周りの音が、やけに遠く聞こえた。
館内は大勢の人がいて、背景はごった返しているはずなのに。
目の前の露草しか視界に入らない。
露草のあのキラキラした瞳は見慣れているはずだ。
けれど。
――今はあの瞳がより一層、太陽のように眩しく見えて。
「………………」
「……アイリスたん?」
露草に言われ、私はハッとして我に返る。同時に私の世界に音が戻ってきた。
「では二曲目『後悔はもう、したくないから』――」
どうやら彩芽たちの演奏は、いつの間に二曲目に突入したようだった。
「……」
なんとなく、露草から目線を外して向き直り、私は彩芽たちの演奏を眺める。
「……?」
そしてこれまたなんとなくだが、私は露草の手を探り、繋ぐ。露草の肩に頭を乗せた。
「……ふぇぅっ!?!?」
露草が言葉にもならない声を上げる。
「あ、あ、あ、アイリス、たん……?」
露草の柔らかい、私のよりも少しだけ大きく、そして暖かい手が冷え性気味の私の手を溶かしていく。一方の露草は困惑半分嬉しさ半分、といった表情で私を見てくる。
「……」
私は何も言わない。多分ここで何か言ったらきっと、私は恥ずかしさで顔が熱くなりすぎて死んでしまうだろう。頭から噴火してマグマが噴き出て、特級呪霊もびっくりの絵面が出来上がってしまうだろう。だったらなんで、私が突然こんな奇行に走ったかと言われれば。
「……」
それは、当の本人である私にも、よくわからない。強いて言うならば、そう。今しがた、露草に言われたように、少しだけ。もう少しだけ、自分に素直に。自分勝手になってもいいのかな、と思ったのだ。
「……ありがとう、露草。……少しだけ、楽になった気がする」
ぼそっと、露草に聞こえるか聞こえないかくらいの声量で私は呟いた。露草の表情を盗み見る。
すると彼女は心配になるくらい顔を耳まで真っ赤にしており、頭のてっぺんからは湯気が立ち昇っている。「……ぅえ、ぇう、ぁうぅう」と意味不明の言語を発し続ける露草。どうやら壊れかけていた頭がついに完全に壊れてしまったようである。
「……ふふっ」
その様子がおかしくて、私は小さく微笑んだ。
なんだか不思議な気持ちだ。ついさっきまでは、心中複雑で暗い感情が私を支配していたはずなのに。今はなんだか、心が温かい。どこかホッとするような、懐かしい温かさ。
まあ露草にちょっと色々言われただけで、こんなにも心穏やかになってしまうちょろい自分が悔しいと思う部分もあるけれど。それでも今は。今しばらくは、こうして露草の隣で露草の手を握っていたいと強く思うのだ。
全く。仮にも『世界を壊した吸血鬼』をこんなに変な気持ちにさせるだなんて。
きっと世界のどこを探してもこんなこと、こいつにしか。
――『頭が壊れた女子高生』であるところの、露草にしかできないのだろう。
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