17話 世界を壊した吸血鬼

 魔王スイレンを目の前に、私は驚きと困惑でその場から動けずにいた。


「やはり、こっちの世界とあっちの世界とではずいぶんと時間の流れに差があるようね。先に実験体を送り込んでおいて正解だったわ」


 そんな私をよそに、魔王は呑気に独り言を漏らしている。


 ……どうする。どうすればいい。この場には露草もいる。いいや、露草だけじゃない。ここは学校だ。露草以外にも大勢の生徒がいるのだ。加えて、今の私はかつて魔王と戦った際に使用していた『万物錬成』を使えない。今の私と魔王との実力には、天と地ほどの差があるだろう。戦闘になることは極力避けたい。


「……ところでアイリス。あなたこんなところで一体何を――」


 魔王は私を見るや否や、なぜか口をつぐむ。


「――ッ」


 瞬間、魔王の顔色が変わると同時、私の全身の毛が逆立つ。

 ――周囲に殺気が迸った。


「あなた、本当にあのアイリスなの?」

「……え?」


 どういう意味だ。質問の意図が分からない。そもそも魔王はなぜこの世界に来たのだ。なぜわざわざ私に会いに来たのか。どうやってこの世界まで来られたのか。わからないことだらけだ。


「一体何を言って……」

「――ワタシの代わりに『世界を壊した吸血鬼』が、本当にあなたなのかって訊いてるの」

「……っ。お前が何を言っているのかはわからないけれど、私は正真正銘ただのアイリス」

「へえ、そう」


 その声には、なぜだろう。怒気が孕んでいて。


「拍子抜けね、アイリス。あの時の凄みはどこへ行ってしまったのかしら。正直がっかりしたわ」


 刹那、魔力の流れを感じる。


「――ッ」


 私は反射で『武器錬成』を発動。魔法陣の中から錬成された『月影』をほぼ勘で抜刀した。学校には似合わない、キイン、という甲高い金属音が鳴り響き、剣戟の火花が散る。


 魔王は『異空間収納』から取り出したであろう彼女の等身とほぼ同じ大きさの大鎌を、いつの間に私に向けて振りかぶっていたのだ。


「勘は鈍っていないようね」

「……くっ」


 桃色の髪が靡く。攻撃を受け止められた魔王は、『浮遊魔法』を用いてふわりと後ろに飛びのいた。大鎌を肩にかけ、宙に浮きながら魔王は言う。


「この世界に絆されでもした? ダメよ。あなたはどこまで行ったって残忍で冷酷な、『世界を壊した吸血鬼』なんだから」

「……」


「あなたにこの世界でのうのうと生きる資格なんてあるのかしら。かつて異世界の人間を皆殺しにしておいて、なぜ当たり前のような顔をして人間と一緒に生活できるの? おかしいわよね?」

「……」


「あなたはワタシとなんら変わらないわ。なにか勘違いをしているようだけれど、あなたはどこまで行ったって世界の敵、人間の敵なのよ。それがあなたがかつてしたこと。もしかして、その過去に目を背けてあなたは今までこの世界で平和に過ごしていたとでもいうのかしら? もしそうなら、そうね。……ふふっ。笑っちゃうわね」

「……」


 私は魔王に対してなにも言い返すことができない。魔王の言っていることはすべて事実であり、間違いなどないからだ。そうだ。私は自分が過去に犯した罪から目をつむり続け、今日までこの世界で過ごしてきた。本当は私にそんな資格なんてない。殺した人々の分まで苦しまなければいけないはずなのに。私はその罪から目を逸らした。それどころか、たくさんの趣味まで作り、日々を謳歌し続けた。


 最初は、一目見るだけのつもりだったのだ。最後に、〝あいつ〟が言っていた世界を一目見て、それで死ぬつもりでいた。けれど、実際はそうはならなかった。あまりにも、この世界が私にとってキラキラしすぎていた。この世界があまりにも楽しいで、好きで溢れすぎていたのだ。


 そんな楽しい世界を見て、かつて〝あいつ〟に対して思ったことが私の脳裏にはよぎった。


 ――〝あいつ〟みたいな生き方ができれば、それはさぞかし楽しいだろうと。


 この世界ならば、私にもできるかもしれない。復讐に囚われ続け、そして最後に禁忌を犯してしまった私にも。〝あいつ〟みたいに楽しく生きることが、できるのかもしれないと。


 ……そう、思ってしまったのだ。


 わかっているのだ。私にそんな資格なんてないことは。


 わかっているのだ。今すぐにでも、私はこの世界から出ていかなければいけないことは。


 わかっているのだ。私が実は人殺しであることを、露草たちが知った時、どんな顔をされるかなど。


 全部、わかっていたのだ。


「……その瞳。少しは昔に戻ったようね」

「……」


「それでこそアイリスよ。あなたはそうでなければならない。世界にとっても、あなたにとっても、ワタシにとっても」

「……」


「ねえアイリス。ワタシと来なさい。ワタシと一緒にこの世界も壊しちゃいましょう。あなたと一緒なら、きっと楽し――」



「――何この子可愛ぃぃぃいいい!!」



「「……」」


「ねえねえ君!? 名前なんて言うの!? わたしは久遠露草っていうんだ! アイリスたんとお知り合いなの!?」


「「……」」


「……どうするのアイリス。答えなさい」

「……わ、私は」


「――その宙に浮いてるのってアイリスたんと同じで魔法なんだよね!? だとしたら君も異世界出身なの!? アイリスたんといい君といい、異世界にはこんなにもキュートなロリがうじゃうじゃいるの!? だとしたらわたし、異世界行きたいんだけどっ! 異世界転移でうはうはハーレム築きたいんだけど!」


「「……」」


「やっぱり、日葵ちゃんの時も思っていたけどロリはロリを呼ぶんだねー! 流石はアイリスたんだよぉ!」


「――なんなのこの人間は!?」


 柄にもなく魔王は取り乱していた。


「なんなのっていうか。さっき自己紹介したじゃん。わたしは久遠露草だよ」

「そうじゃないっ! ワタシとアイリスあんなにもバチバチだったのに! 小難しい話をしていたのにっ! よくも割って入れたわね!」


「ええ、そう? なんか照れちゃうな」

「「褒めてない!」」


 私も日頃の癖でついツッコミを入れてしまう。……魔王とハモってしまった。


「アイリスあなたっ! 平和ボケした挙句、こんな頭のおかしな人間まで近くに置いているというのっ! 一体なにを考えているの!?」


「……ほんとう、なんでだろう」

「アイリスたん!? 否定して!? わたしはただ可愛い子に目がないだけだよ!」


 いや、お前がただの可愛い子好きならばさっきの剣戟でとっくに逃げだしているだろう。


「そんなことよりも、君っ!」

「ひい!」


 鼻息荒く露草が魔王に迫る。私が露草を止めようとしたのは一瞬。見た目相応に小さく悲鳴を上げる魔王をみて、そんな気は失せてしまった。


「名前っ! 教えてくれるかな!?」

「……す、すいれん」

「スイレンちゃん! 可愛い名前! よかったらわたしと友達にならないっ!」

「……な、なるわけないでしょ!?」

「なんで!?」

「なんでじゃない!」


 なんだこれ。あの恐るべき魔王を露草は変態性のみで圧倒している。凄い。もはや一種の才能である。……ていうか、こんな光景どっかで見たことあるな。


「……あ、アイリスっ!」

「え? はい」

「いい!? 今回はこの頭がおかしな人間に免じて見逃してあげるわっ!」

「ひどい!?」


 そう涙目になりながら魔王は宣言する。あんな魔王をみるのは初めてだ。あと露草、お前はいい加減黙れ。


「けど、次に会った時には返事を訊かせてちょうだい! そしてもしその返事がワタシの意にそぐわなければその時はっ! わかったわね!」


 そう言うと、魔王は廊下の窓をたたき割る。そして、その叩き割った窓に必死の形相で飛び込むと、魔王は外へ逃げていった。


「ああっ! 待ってよスイレンちゃーん!」


 なんというか、不憫である。どちらが、だなんて言わずともわかるだろう。

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