ヘンタイ吸血鬼
「ミュナ下がってて!」
「うん!」
「フフフ…」
とんでもない殺気だ。まるで自分以外の全部を壊す為に生まれてきたような、そんな重圧。せめてミュナだけでも…
「…? おや? おやおやおや!! まあ!!」
「???????」
何かに気付いたらしいアイリスは剣をほっぽり投げて私の手元の石をマジマジと観察し始めた。殺気がまるでなくなったので思わず動かなかったけど、どうしよう。
「伝道者様? これはもしや、何の変哲もない石ころなのではありませんか??」
「そ、そうだけど」
「まあ大変! なんという事でしょう!! これでは愛を確かめ合う事などエデンの園の更に先!!!」
「え、愛?」
急に四つん這いになったアイリスは私にお尻を突き出したまま、彼女の影の中から色々な物を取り出しては違うと投げ捨てた。
「かつて伝道者様に頂いた聖剣も仕舞っておいたのですが…どちらでしょう!! もう!!」
「お姉ちゃんっ。何でこの人怒ってるの?」
「ごめん。全っ然わかんない」
アイリスの影の中からは手鏡とか綺麗で大きな鍵とか頭の3つあるぬいぐるみとか食べ掛けのパンとか、何でも飛び出してきた。吸血鬼の身体って便利なんだな。
今のうちに逃げようかとも考えたけど、恐らく直ぐに追いつかれてしまう。それに、今アイリスのペースを乱したら怒り狂ってしまうかもしれない。
「ありましたわ!! …しかして、今の伝道者の体躯には些かフィットしていないのでは?」
「うわー、綺麗な剣!」
「…何なのこの空気」
奴隷となって久しく味わっていなかった緩み切った空気。やりづらいし、そういう空間に見知らぬ他人がいるのも虫の居所が悪い。
他にも何本か大小の剣を携えたアイリスは一本ずつそれを私に手渡して試すようにニコニコと笑った。…何これ?
「このナイフは…流石に小さすぎる」
「ふむふむ」
「この剣、重心が剣先になってて振りにくいんだけど」
「ふむふむ」
「…これ剣なの? ニョロニョロしてるけど」
「ふむふむ」
「! これ、扱いやすい」
「美しい…美しいです、伝道者様…はぁ♡」
少し長い短剣。刃が反っていて片側だけにあるので使い方がシンプルで分かりやすい。振りやすいのもあるし、おそらく今これ以上に使える剣はないだろう。何故かアイリスも感動してるし…。ていうかシてる時の大人みたいな息遣いでキモい。
「服はボロボロなのに髪の毛はサラサラだ…あれ? (この人…お姉ちゃんしか見てない?)」
「ミュナ、ちゃんと後で手洗っておいで」
「素晴らしい…素晴らしいですわ伝道者様♡ では愛を…私に愛を下さいませ!!」
さっき立っていたところまで戻ったアイリスは新しく出した剣にも構わずズタボロの剣を拾い直して構えた。殺気に気圧されそう!
でも時間を稼がないと… ——!?
「最優先排除対象確認。応援を—」
空から白いお面が飛んで来たと思った瞬間にはアイリスが男を真っ二つに切り裂いていた。
「愛に水差してんじゃねえええぞドブカスがアアアアアアアアアアア!!!!」
「ミュナ!」
「うん!」
下半身が無くなって尚、お面はアイリスの顔を掴んだ。
「…『
巨大な火の球がアイリスを焼き尽くしたように見えた。でも、アイリスは無傷のまま火から現れた。
「ば、馬鹿な…」
「クズがアアアアアアアアアアア!」
バチュンという凄まじい音を立ててお面の男は爆ぜた。よく見えなかったけど、アイリスが右腕で殴っていた様に見える。
「ふぅ…お待たせしました伝道者様♡ さ、正真正銘真心から愛を…あら? 何処に行かれたので…?? あららら?」
——
「もうガガザ領を抜けたよ!!…はぁ…はぁ」
景色は未だに針葉樹と土と生い茂る雑草だけだが、空気が変わった。一先ずは安心だ。
「お姉ちゃん大丈夫? 少し休んだ方が…」
「大丈夫! まだ走るよ…さっきのヘンタイ吸血鬼が追いかけて来てるかもしれないし…」
「悪い人には見えなかったけど」
「善い人でもないでしょアイツ!」
妹は少しばかり感性が豊かすぎるんだと思う。人を疑う事も覚えて欲しいものだ。
「待って! 前に誰か隠れてる」
小さい裸足の足跡と泥に、茂みの枝が僅かに折れている。もしかして!
「…ウェン?」
「…! レェナとミュナか? ほら見ろ! 2人なら生きてるって言ったろ」
茂みの中からは気配を殺した3人の姿が見えた。良かった、皆生きてて! 安心してため息を吐くと、背後は夜深くなのに明るい事に気付いた。
「燃えてる…俺達の檻が…」
「本当だ」
ミュナの目の炎は濁っている様にも透き通っている様にも見えるけど、こんな顔をしているのは初めて見た。私は無意識に妹の手を握ってた。ウェンは涙を零しながら呟いた。
「自由だ、これで。俺達…」
「もう奴隷じゃないんだ、私達!」
「…」
ウェンにつられてイェルも嬉しそうにしているが、ガァルはそんな2人を見て複雑な顔をした。ガァルの反応は正しい。
「違うよ」
「は!? あの炎を見ろよ、レェナ!!! 誰も生き残ってるわけねーだろ!!」
「そうじゃない」
私の胸倉を掴んで揺さぶるウェンに、できるだけ動揺しないように話し続ける。
「ガガザが死んでいようと生きてようと、私たちはこの世界じゃまだ奴隷なんだ」
「どういう意味だよ!? 自由になりたくないのか!!!」
「…落ち着け、ウェン」
「ガァルまでなんだよ!?」
ガァルはウェンを私から引き離して続けた。
「私達の身元は
奴隷として買い上げられた存在は奴隷商協に登録され、現在誰が所有しているかや所有権の履歴など全てが事細かに記される。所有者が死亡し、相続人がいないとなっても奴隷という立場と身分は変わることは無い。
「そ、そんな…」
「じゃあ逃げない方が良かったんじゃ…」
「…死んでいた方が良かったのか?」
炎に焼き焦げた景色を指差され、イェルは黙って首を横に振った。そうだ、死んだ方がマシなんて事はそうそう無い。私は膝をついて崩れたウェンを無理矢理立たせて引っ張った。
「何処に行く気だ…? 一緒なんだぞ、何処へ行こうと」
「南へ! 血闘都市へ!!」
「どんなところなんだよ…」
「知らない!」
「…やっぱ馬鹿だよな、顔はカワイイくせに」
今はそれしか希望がないんだ。縋れるものには何だって縋る。ミュナを自由にしてあげるには、前に進むしかないんだ!!
「…残るか? ここに」
「…ううん」
「ガァル、替わるよ?」
「問題ない」
イェルは立つ気力もなくてガァルにおんぶされたまま寝息を立て始めた。ミュナが安眠出来るように魔法を掛けたみたい。
光を背に夜の闇に進んでいくのは、私達の行く先を示しているみたいで嫌な気分だった。けど、現状を変えるには必要な事だってちゃんと分かってる。
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