第10話 新婚さんは寝不足

 マルタン様と一緒の夕食は楽しかった。


 ユリウスのやんちゃだった子ども時代の話とか、そのくせ「お化けが怖い」と、なかなか一人で寝ることができなかった話とか。

 ユリウスはその度に顔を赤くしながら抗議していたけど。


 二人を見ていると、両親が元気だった頃のことを思い出しちゃった。家族揃っての食事って、こんな感じだったな。



 食事が終わると、老執事が部屋まで案内してくれた。


「こちらが本日お泊まりいただく貴賓室でございます。王族方の急な来訪に備えて用意されているお部屋でございます」


 マルタン様が用意してくれた部屋は、寝室と客間が一つになったような、豪華な部屋だった。

 両端の壁から「よーいドン!」って走り出しても、すぐには出会えそうにないほど広い。

 趣味の良い調度品は誰のセンスなのかしら。



 ……うん?

 ユリウスと私は、同じ部屋に通されて、今、二人して無言で立ち尽くしている。



 部屋にはキングサイズのベッドが一つ。



 ……これって。そういうことよね?


 恐る恐るユリウスの方を窺うと、ぷるぷると小刻みに体を震わせている。

 え? 部屋が豪華すぎて緊張しているのとは違うわよね。私じゃあるまいし。

 顔は赤いけど、怒っているようにも見えない。


「ベッドが一つしかない――」


 ……え?


「し、仕方がない。ベッドが一つしかないのだからな。お、俺たちは夫婦だ。当然だ。何も驚くことはない。このベッドで一緒に寝るだけだ。二人で、ね、寝るのだ!」


 まさか、大きなベッドを一人で占有したかったってこと?

 ……そういうことなの?





 ベッドサイドテーブルの上にある金細工の置き時計の針は、十二時を指している。

 老執事は「明朝は八時に朝食をご用意いたします」と言っていた。

 さすがにもう寝た方がいいとは思うんだけど。


 お互い、背を向けてベッドの端に腰掛けている。


 どのタイミングでベッドに入ればいいの? きっかけが分からない!

 ユリウスは寝ないつもりかしら。


 私たちは腐ってもジャンポール侯爵夫妻。

 そう、夫婦仲を疑われるような――ベッドをもう一つ追加してくれとか、寝室は別々にしたいなどと注文をつける――行為は、慎まなければならない。


 でも、形式上の夫婦なんだもの。一緒にベッドになんて入れない!



「いいから、お前は寝ろ」

「……!」


 振り返らなくても、背中を向けたまま言っていることくらい分かった。


「俺の言うことをきけ! 早く寝ろ!」


 きつい命令口調の割には優しい声。ちっとも怖くない。



 息を止めて、そうっとベッドに入った。

 体の位置を調整するときも、音を立てないように、そろりそろりと動いた。

 私が今、どんな動作をしているのか、ユリウスに知られたくない。そんな変な気持ち。


「はあ」


 小声で息を吐く。

 なるべく端の方で、邪魔にならないようにしていよう。

 ぎゅうっと目を閉じて、拳を握りしめる。



 わずかにベッドが揺れた。

 ユリウスが、手を伸ばせば届きそうなところに、体を横たえたんだ。



 二人の沈黙が重なって、ブーンという音になって耳に届いた気がした。



 離れているはずなのに、背中に熱を感じる。

 そんなの気のせいなのに。気のせい。気のせい。気のせい。



 そうっと寝返りを打ってみる。


「うわっ」

「ぎゃっ」


 どうしてこっちを向いているの? それに思っていたよりも近い!


「こ、こっち見んなよ!」

「は、はいっ」

「絶対に見んなよ!」

「は、はいっ」


 二人して慌てて背中を向けると、それっきり黙った。

 朝までどうしたらいいのかしらと、多分、少しくらいは悩んでいた気がする。




 緊張していた割には、あっという間に眠ってしまったらしい。

 目が覚めたとき、右手が何か温かいものに触れていた。

 柔らかくて、すべすべで、いつまでも触っていたいような、そんな優しいものに。


 半分寝ぼけた状態で、その感触を確かめるように、指をそれの上で滑らせていた。

 不意に、ぷにっという弾力を感じたかと思うと、カチッと硬いものに当たった。


 目を開けると、私はユリウスの唇を押し分けて、前歯に人差し指を当てていた。


「うわーっ!」

「きゃーっ!」

「な、な、な、お前、何を――」


 ガバッとユリウスが飛び起きた。

 私もつられて体を起こした。


 私たちはベッドの中央に寄り添って寝ていたらしい。

 なぜ?! どうして?!

 寝返りも打たないように、あんなに気をつけていたのに!


 ユリウスは逃げるようにバスルームに駆け込んだ。





 老執事は時間通りに迎えにやってきた。


 朝食の会場となった部屋には、マルタン様が先にいらっしゃっていた。


「おはようございます」

「おはようございます」


 マルタン様は、既にスープに口をつけていた。


「おお、やっと来たか。年寄りを待たすでないぞ」


 そう言うと、私たちの疲れきった顔を見て――リュカが私たちを面白がるときのような顔で――、ニヤニヤと意味深な笑みを浮かべた。


「おや? あまり眠れなかったようじゃの?」


 やっぱり寝不足が顔に出ているんだ。


「まあ、新婚のうちは寝不足になりがちじゃ。仕方あるまい。ふっふっふっ」


 ……え? ええっ! いや、違います! 違うんですけど!


「お、おう!」


 ユリウスは健闘を讃えられたかのような、おかしな返事をしているし。……バカ!


「ふっふっふっ。寝ておらんでも元気なようじゃの」



 マルタン様は、「よいよい。わかっておる」と、晴れやかな顔を私に向けた。こ、困ります。多分、勘違いだと思います。


「今朝早く、枯れかかっていた薬草が、一つ残らず生き返ったと報告があったのじゃ。清流まで復活して、もう魚が戻ってきたともの」


 老執事は冷やかすようなことは何一つ言わずに、サラダとスープを持ってきてくれた。


「お疲れが残っておりませんか? 具合がすぐれない場合は、すぐにおっしゃってくださいね」

「はい。ありがとうございます。でも、全然疲れていないので大丈夫です」


「それはよろしゅうございました。奥方様のお力は本当に素晴らしいですね。西方で魔物の出現が途絶えているのも、奥方様のお力かもしれませんね」

「え?」


 ユリウスも初めて聞いたような顔をしている。


「うちの領地だけかと思っていました。西方ということは、他にも?」


 マルタン様が、バゲットやデニッシュの入ったバスケットを、私たちの方へ押し出した。

 ユリウスが受け取って、私との間に置いてくれた。


「この前、腐れ縁の隠居ジジイで集まったばかりでの。ロシュ領もリール領も、魔物の出現がピタリと止まったと言っておったの」


 ロワール王国は、王都のある中央と、西方、東方と、大まかに三つの地方に分かれている。


「それでは西方のほぼ全域ではありませんか。今までそんなことはなかったのでは?」

「わしも聞いたことがないの」


 老執事が、コーヒーをサーブしてくれながら控えめに言い添えた。


「ただ西方で魔物の出現が減った分、東方では増えているそうですよ。今度、聖女様が討伐に出るという噂です」


 聖女が討伐に? ということは、シャノンが?

 それにしても、リュカもそうだったけど、執事ってみんな情報通なのかしら。


 ……シャノンか。

 今は国のために働いているのね。シャノンが自分以外の人のために働くなんて、ちょっと想像できないんだけど。


 シャノンとは、決して仲の良い姉妹とは言えなかったけど、人は変わるのね。

 そういえば、王宮に行きたがっていたっけ……。

 すごいわ。夢が叶ったのね。


 私も負けずに幸せにならなくっちゃ!

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