第9話 癒しの歌声

 案の定、外に出ると、立派な馬車が私たちを待っていた。

 馬車に乗り込んで、ユリウスの向かいに座るや否や、マルタン様が口を開いた。


「まず初めに、一番深刻な農地を見てほしいのじゃ」


 マルタン様の真剣な声色に、思わず居住まいをただす。

 実直そうな瞳からは誠実さが滲み出ている。

 長年、領地を守ってきた気概が、目尻に深い皺となって刻まれているみたい。


 快活なマルタン様も、これから向かう場所のことを思うと気が滅入るらしい。

 考え込んでいる様子のマルタン様に、ユリウスがそっと声をかけた。


「いつもなら収穫の時期は活気があふれているのに、街の中も重苦しい雰囲気でしたね」

「ああ。思うように収穫量が伸びなくての。世話を焼いた分が全部かえってくるとは思っとらんが、やはり寂しいの」


 雨に削られたせいか地面にでこぼこがあるらしく、時折馬車が大きくガタンと揺れる。


「やはり長雨のせいですか?」

「ああ、そうだな。収穫を前にして降り続いたからの」


 歳は離れていても領主同士、領地や領民に対する思いは一緒なのね……。

 ユリウスの良き手本であり、相談相手でもあるのかしら。




 ガタゴトと揺れていた馬車が止まった。


「ここじゃ」


 マルタン様が馬車を降りると、すぐにその姿を見つけて、農作業をしていた人たちが集まってきた。


「これはこれはマルタン様。こんなところに何かご用ですか?」

「こんなところとはなんだ。ここの薬草が収穫できなんだら、我が領地だけでなく、国中の者が困るのじゃぞ」


 ……そうか。目の前に広がっているこれって、薬草なんだ。

 知識のない者には、背の低い雑草にしか見えないかもしれない。

 ……そう言う私も、三種類くらいしか分からないけど。


 ああ、それにしても、どれも弱々しい。

 見渡す限り、頼りなくもたれあうように、皆ぐったりとしている。




 ……大丈夫よ。

 ……元気を取り戻して。

 ……ほら、大地の命を感じて。

 ……自分の力を信じるのよ。




「うわあ――」

 

 小さな男の子が目を潤ませて私を見上げている。


「すごいや」


 マルタン様を囲んでいた人々が、私の前に集まってきた。

 ……あ! 私、挨拶もしないで、いきなり歌っていたのね。


「ジャンポール侯爵夫人じゃ」


 マルタン様ったら、ユリウスの紹介が先じゃないの?


 ユリウスもなんとか言ってくれたらいいのに。

 ちらっと様子を窺うと、ユリウスの表情は――なんだか自慢げな顔に見えるんですけど。


「これは紛れもない癒しの歌声。クロエと同じじゃ……」


 マルタン様は涙ぐんでしまった。


「見て! ピンとまっすぐに立ってる!」


 大人たちも葉を触ったり、先ほどとは打って変わった姿に、釘付けになっている。


「ああ、すごい! なんか成長していないか?」



 ……うまくいったのかしら。

 うん。周りから満ち溢れる生命力を感じるわ。

 私、やったわ!


「すごいな。お前の癒しの力は、母上と同じ――いや、それ以上かもしれない」


 ユリウスは頬を紅潮させて、優しい眼差しを私に向けてくれた。

 まるでユリウスに頬を撫でられたみたいに、私の体がカッと熱くなる。


「ユリウス。奥方と見つめ合うのは馬車の中でもよいかの?」


 み、見つめ合うだなんて! どうしよう。私、今、顔が赤くなっているかも。


「いや、え? あの、いいえ――は?」


 ユリウスは意味不明な言葉を発すると、ぎこちなく歩いて馬車に乗り込んでしまった。


「ふっふっふっ」


 もう、マルタン様!

 恥ずかしくて、しばらくはユリウスの顔を、まともに見られないじゃない!




 馬車の中で、うつむいて黙りこくっている私たちなどお構いなしに、マルタン様は農作物の状況を話し続け、ジャガイモ畑を皮切りに、次々と農地を訪ねていった。




 馬車から降りて農地の前に立つ度に、助けを求める声が聞こえる気がした。



 十分に成長できないまま枯れかけている農作物たち。

 痩せた家畜に、濁流が氾濫しそうなほど激しく流れる川。



 私は訪れる場所ごとに、憐れみや慈しみといった感情を感じては、それに身を委ねた。

 そして「慰めたい」「励ましたい」というような気持ちが自然と溢れ出ては、鼓舞するように歌っていたらしい。




「お疲れのようじゃの。引っ張り回して悪かった。じゃが、本当にようやってくれた」


 本当に、想像以上に連れ回されてしまった。

 夕日が山の稜線に落ちる頃、私たちはようやく屋敷に戻った。

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