第8話 マルタン・ブローワ伯爵

 まん丸に見えた老人は、元領主のマルタン様だ。

 単にシルエットがビア樽のように見えただけ。白いローブをお召しになっているけれど、横幅のある体型は隠せていない。

 いや別に、隠そうとはされていないか。


 おっと。やばい。やばい。今思ったことが顔に出ていませんように。


 マルタン様は、いかにも好々爺という感じで、顔も体も丸かった。

 もともと背が低い上に、背中を丸めているものだから、私たちが見下ろすような格好になっている。


「マルタン様。お久しぶりです。結婚のご挨拶が遅れて申し訳ありません」


 ブローワ領の元領主に対して、ジャンポール領主として穏やかな口調で挨拶するユリウス。

 やっぱり格好いい。立っているだけで凛とした威厳が感じられる。王都の貧弱な貴族たちとはと違って、鍛え上げられた体全体からオーラが出ている。


「妻のアデリーンです」


 でたっ。妻! ……なんという破壊力。

 ユリウスに釘付けになって油断していただけに、余計に響いた。……妻だなんて。まだ当分慣れることはなさそう。

 そんなことより、ちゃんと挨拶をしないと。


「初めましてマルタン様。今日はお招きいただき、ありがとうございます」


 ユリウスが誇らしげな顔で微笑んでいるように見えるんですけど?


 マルタン様がピョンと――じゃなくて、一歩前に出て、私を品定めするようにジロジロと見た。

 この方は領主として、こんな風に大勢の人間を見定めてきたのかな。


「――ふむ。どうやら、王都からの噂は、根も葉もないものだったみたいじゃな」


 ……え? ええ? ええっ?

 何? どうして? 一目見ただけで、私のことを信じてくれるっていうの?


「マルタン様は母上の叔父君にあたる方なんだ。俺は子どもの頃から、ブローワにはしょっちゅう遊びに来ている。まあここは庭みたいなもんだ」

「こやつめ! 庭などと生意気な!」

「はははは」

「あっはっはっ」


 二人とも、本心を偽り隠すことなく言い合える仲なのね。

 なんだか微笑ましい。


「アドルフの爺さんは残念じゃったの。お前さんも急なことで大変じゃったろう。喪に服す間もなく結婚じゃったしのう。まったく王の気まぐれにも困ったものじゃ」


 王様の批判? やばくない?

 私がビクッと反応したのを見て、ユリウスは笑った。


「マルタン様は、陛下の剣の師だからな。この国で、陛下に小言を言える数少ない人物なんだ」

「はっはっはっ。小言か。確かにのう。跡目は譲ったが、たまには王宮に行ってみるのもいいかもしれんのう」


「そのときには、是非、私も一緒にお連れください」

「ほう? お前も小言を言いたいのじゃな」


 マルタン様とユリウスが、二人揃って悪巧みをしている顔になっている。


 トントントン。

 品の良いノックの音がした。


「入れ」


 さっきの老執事がワゴンを押して入ってきた。


「お気に召していただけるとよいのですが」




 テーブルの上に、キャロットケーキとハーブティーが並べられた。


「うちの人参は苦味が少ないと評判でな。どれどれ、わしもいただくとするかな」


 マルタン様は客に勧めるのも忘れてケーキを口に運んでいる。

 うっふっふ。これはマルタン様の好物なのね。

 ユリウスの方を見たら、同時にユリウスも私を見た。

 二人でうなずきあって、一緒にいただく。


 ケーキは甘さ控えめでクセがない。添えられているクリームもさっぱりとしていておいしい。

 躍動感のある赤い色のハーブティーは、ローズヒップとハイビスカスのブレンドだった。爽やかな酸味がクセになりそう。


 がっついているつもりはなかったけれど、脇目もふらずに食べていたのは事実。

 正面のマルタン様の視線を感じてハッと手を止めた。


「ああよいよい。気に入ってもらえたようじゃな」

「妻は好き嫌いがなく、なんでもおいしそうに食べるのです」


 ……また妻って。……もう。

 それにしても、見ていたのね、二人とも。……恥ずかしい。


 お茶を飲みながら、マルタン様がブローワ領のことを教えてくださった。

 十一月は、野菜の収穫でとても忙しいのだと。ジャガイモにカブにカボチャ。他にも色々。

 特にジャガイモは、その収穫量によって、翌年の食料事情が大きく左右されるため、不作になりそうな今年は頭を悩ませているのだと。


「姪っ子のクロエはうちの領民にも人気での。遊びに来るたびに、街中でもよく歌っておったものじゃ」

「皆さん、嫌がられないんですか?」


 信じられない。本当に?


「ここは王都から離れているからの。王のご機嫌なんか、誰も気にせんのじゃ。あっはっはっ」


 あっはっはって――。

 マルタン様が急に真面目な顔に変わった。


「クロエがおったらと、領内では日増しに声が大きくなっておる。隣のジャンポールじゃ、領主の奥方が不思議な力を発揮して領民たちを助けているのに、と噂になっての」


 やっぱり噂って広がるものよね。でも、こんな調子で広まっていくのって、まずくない?


「勝手な頼みじゃが、ここをジャンポールだと思って歌ってはもらえまいか?」


 いやあ――。どうなんだろう。……本当にいいのかな?

 でも、ユリウスはそのつもりで私を連れてきたのよね?

 ……ああもう。癖になっちゃったみたい。困ったときにユリウスの顔を見ちゃうのが。


 ユリウスは私の視線を感じたのか、自分が置いたティーカップに視線を落として、独り言のように静かにつぶやいた。



「母上は、不思議な力は天から授かったものだとおっしゃっていた」


 授かりもの? そんな風に考えたことはなかった。でも、私の歌に、本当にそんな力があるのだとしたら――助けたい!

 心を決めて、もう一度ユリウスを見た。私の答えは分かっていたようで、ユリウスも力強くうなずいてくれた。


「分かりました。私でお役にたてるなら」

「おお、そうか! そうか!」


 マルタン様の喜ぶ様子に口元を緩めた老執事が、そっと部屋を出ていった。

 指示がなくても、出かける準備をするためよね。さすがだわ。

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