第7話 ちょっとした外出
最近、ユリウスに来客が増えた気がする。
社交的な意味合いはないから、妻の臨席は不要だとユリウスに言われている。
それが彼の気遣いなのか、額面通りの意味なのか、私には分からない。
名ばかりの妻だからか――などと、朝食を食べながらぼんやりと考えていたら。
「実は……。休暇を取ろうと思っているんだ。その……。隣のブローワ領に一緒に行かないか?」
ほえっ? それって旅行に誘ってくれているってこと?
コーヒーカップを置いて、ユリウスの顔を思わず見つめてしまった。
なぜか頬を染めるユリウス。急に慌てだす。
「こ、公式な訪問じゃないから、その。たかが一泊二日だ。旅行っていうほどのものじゃない。言わばちょっとした外出だ。と、とにかく、午後から出かけられるように準備をしておいてくれ」
それだけ一気に言うと、立ち上がって、ぎこちなく歩いて部屋を出ていった。
もうちょっと説明してほしいんですけど。
「コーヒーのおかわりをお持ちしましょうか?」
リュカは絶対に焦らしている。
私に、ちゃんと言葉にして質問させたいのね。だんだん分かってきたわ。
「どういうことなの? 急にあんなお誘い……。それに、どうしてブローワ領なの?」
リュカの顔には、まあ教えてあげないこともないですよ、と書いてある。
頼んでもいないのに、お代わりのコーヒーを注いでくれながら話し始めた。
「ブローワ領のマルタン様から手紙が届いたのです」
マルタン……。聞いたことないな。国内の領主全員の名前を覚えている訳じゃないから、不勉強と言われればそれまでなんだけど。
「現領主クレモン様のお父上です。もう十年以上前に引退されておりますが」
ほうほう。
「天候不順による不作が、ことのほか深刻らしいのです。どうやら奥様の評判を聞きつけられたのでしょうね。『奥方様の歌声で癒してほしい』と依頼されたようです」
「わ、私の歌声で癒すって、ええっ! 何それ!」
「よろしいじゃありませんか。ご夫婦で旅行など、普通のことですよ。はい、普通です」
真面目な顔で執事面しているけど、リュカは絶対に面白がっている!
部屋に戻ると、エメがドレスをベッドの上に並べてうんうんと唸っていた。
そう言えば、ここに来てから随分と新しいドレスを作ってもらった。最近は、新しく届いたものは必ず袖を通すようにしている。
最初の頃は勿体ないような、なんだか悪いような気がして着ないでいたら、ユリウスがどんどん不機嫌になっていったのだ。
「気に入らないなら作り直してもらえ」
なあんて言われたこともあったっけ。
まあ、エメとリュカに、「贈り物はちゃんと身につけろ」と責めたてられてからは、着るようになったんだけど。
気のせいか、私が着ているだけで、ユリウスは満足げな顔をしているように見える。
まあ、気のせいだとは思うんだけど。
結局、私の荷物はユリウスの倍に膨らんだ。エメはいったい何を詰め込んだのかしら。一泊するだけなのに。
馬車の中で向かい合って座ると、どこを見たらいいのか分からなくて困る。
ユリウスは黙ったまま、しばらく窓の外を見ていた。そんなユリウスの横顔を、私は見るとはなしに見ていた。
不意にユリウスが私の方を向いたので驚いてしまった。私が驚いたせいで、ユリウスまで驚いたようだ。
こういうの、苦手なんですけど。
「さ、最近はどうなのだ?」
……はてな? 何について聞かれているの?
「そ、その。足りないものとか、困っていることとか。あと、俺にしてほしいこととか――と、とにかく、何かないのか!」
どうして最後の方は怒鳴っちゃう訳? そして勝手に興奮して勝手に赤くなって。……変なの。
「別にありません。食事はおいしいし。森は気持ちいいし。何より、どこでも自由に歌っていいなんて! こんな幸せはないくらいです」
「そ、そうか。それなら――いいんだ」
ユリウスはまた窓の外を向いてしまった。
ガタガタという轍の音で目が覚めた。
いつの間にか寝てしまっていたらしい。首を乗せるのに、ちょうどいい高さに肩があったせいだ。
ハッとして頭をもたげる。隣にユリウスがいた。
私はユリウスの肩にもたれかかって居眠りをしていたらしい。
いつ並んで座ったの?
ユリウスは眠っていた。疲れているのかな。
それにしても綺麗な寝顔。
陶器のようにすべすべの肌。瞼を縁取る長いまつ毛。スッと伸びている鼻筋。薄い唇は柔らかそうで、なんだか艶かしい。
「うわあっ!」
「きゃっ!」
「な、なに見てんだよ! か、か、顔が近すぎるだろ!」
「ご、ごめんなさい」
恥ずかしい! 絶対に変な女って思われた……。
ブローワ領に入ると空気が少し変わった。
ブローワ領はジャンポール領の東隣で、なだらかな平地が広がる、小麦やジャガイモの一大産地だ。
渓谷の麓に街が築かれている。
馬車は領主の住まう城ではなく、街の中心部にある大きな館に入っていった。
城と言ってもいいほどの豪奢な建物だ。三メートルはありそうな塀は、どこまで続いているのか見通せないほどだった。
「俺たちはお忍びで旅行中ということになっているんだ」
……なるほど。
「だから、領主のクレモン様へは挨拶をしない。マルタン様に、領内を案内してもらうことになっている」
「は、はあ」
この立派な館は、引退したマルタン様の屋敷らしい。
かくしゃくとした老執事が出迎えてくれた。
「お久しぶりでございます。ユリウス様。それに奥方様。道中ご無事で何よりでございます」
「ああ。世話になる。妻のアデリーンだ」
妻! 妻のアデリーン。……て、照れる。
「お世話になります」
そう言うのが精一杯だった。
「奥方様。お噂は聞いております。ささ。どうぞこちらへ」
また噂か。嫌だなあ。
老執事は使用人に目配せをして荷物を運ばせると、私たちを屋敷の中に招き入れた。
さすがに元領主の屋敷。至る所に絵画や美術品が飾られている。ブローワ家は確か伯爵家だったっけ?
「こちらがマルタン様の書斎でございます」
老執事が重厚な扉をノックし、私たちの来訪を告げた。
「マルタン様。ジャンポール侯爵夫妻がお着きになりました」
「おお。そうか。入られよ」
老執事が扉を開け、ユリウスに続いて部屋に入った。
「やあ、ユリウス。久しいの」
窓辺から差し込む光を背に受けて、まん丸い姿の老人がにこやかに笑っていた。
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