第6話 真犯人は誰だ

 今日は青い空がいつも以上に高く澄み渡っている。

 冷たくなる前の秋風に誘われて、こうして湖までやってきた。

 やっぱりここが一番好きだな。なぜだか心惹かれる。


 湖のほとりに立って深呼吸をすると、いつもの倍の空気が肺に入ってくる気がする。

 息を吐けば、知らず知らずのうちに溜めていた負の感情までもが、自然と排出されていくのを感じる。


 私はいつも、こうして息を吐くように歌っているだけ。

 そして歌えば、今やお馴染みの観衆となった鳥や動物たちが、ゆったりとうずくまりながら、黒目がちな瞳で見返してくれる。





 実りの秋って言うけれど。

 ユリウスの元には、農作物が大豊作だとの知らせが相次いでいた。

 濁っていた川が蘇って、十数年ぶりに魚が戻ってきたという報告もあった。



 あれから、私は領地を散歩しながら歌うようになった。

 気づけば長雨の影響も受けず、作物はみるみるうちに、たわわに実っていった。

 その様子を見るのも楽しかったし、領民の皆さんが、作業の手を止めて私に手を振ってくれるのも嬉しかった。



 そう言えば、見回りから帰ってきたユリウスが、『木々の成長が早いな』って、つぶやいていたっけ。

 伐採後に植樹した木が驚くスピードで成長するものだから、木材の出荷量を増やせそうだと話していた。


 私に気がついたリュカが、「どうやら奥様の歌のおかげのようなのです」とからかって、私の反応を見ようとしていたっけ。

 ユリウスまでジーッと見つめてくるものだから、ドギマギするだけで何も言い返せなかった。


 そういえばリュカってば、いつの間にか手のひらを返していたんだよね。

 食事の最中にそう思って見つめると、彼はすぐに理解して恥ずかしげもなく言うものだから私の方が照れてしまった。


「領地を豊かにし、ユリウス様のお味方をされる方ならば、私は主人と同様にお仕えさせていただきます」


 エマまでもが、うんうんと頷いていて、「嘘! いつの間に?!」って驚いてしまった。




 ……本当に、本当に私の歌声にそんな力があるのかな。

 自然と湧き上がる気持ちを歌っているだけなのに。


 そりゃあ、領民の皆さんが汗水垂らして働いてくださるのだから、その分、より豊かな収穫を願いながら歌ったりはしていたけれど。

 それだけでねえ……?




 そうそう。今じゃ、友達って言ってもいいくらいに、ユリウスと普通に会話をしている。

 仲がいいっていうのは――さすがに言い過ぎかな。

 会話に集中して、つい熱がこもってユリウスを見つめすぎちゃうせいか、不意に視線を外されることもあるしね。



 私たちが話をしていると、何故かリュカが時折ニヤリと薄笑いを浮かべるようになった。


「本当に仲睦まじくていらっしゃる」などと、嫌味のようなお世辞まで言う始末。


 冗談だと分かっているのに、つい戸惑ってしまう。

 ユリウスも、返事に詰まってドギマギすることがあるし。


 うん。あれはきっとリュカの遊びだな。私たちをからかって面白がっているんだ。


 決まってその後、ユリウスがキレ気味にリュカにピシャリと言い返すんだけど。

 もうそこまでが、一連のお約束といっていいくらいだわ。




 一つ困ったことといえば、エメが持たせてくれるランチボックスが、日増しに大きくなっていることかな。

 サラダやデザートは当たり前で、今日なんて、お水だけでなくワインまで入れてくれている……。

 最近じゃ、エメは自分がランチボックスを持ってお供しますと言ってきかない。今日もなんとか断って一人で来たけど、いつまで断れるかな……。



 うん? いつの間にか、エメとも気心の知れた仲になっている。

 これが慣れっていうやつかしらね。

 実家を出たときは、お先真っ暗って感じだったけど、今はここでの生活を手放したくないって思っている。





 歌い疲れてベーグルサンドにかぶりついたときだった。

 木々のざわめきから、なぜかユリウスがこちらに向かって歩いてくるのがわかった。

 あれ? どうしてここへ?



 ほどなく姿が現れた。

 私が待ち構えているのに気がつくと、ユリウスはギョッとして、ものすごく焦った。

 後ろに控えているリュカは、いつものニヤニヤじゃなく、やれやれといった顔をしている。


「お、お前、どうして……。都会育ちのくせに、よく気がついたな。ここに慣れるの早すぎだろ」

「へ?」

「と、とにかく座るぞ」


 私はいつもの平らな石に腰かけていた。

 ユリウスは少しだけ迷ってから、私の隣に座った。微妙な距離を空けて。


「お前に聞きたいことがある」


 ユリウスが私の顔を真っすぐ見て、口を開いた。

 そんな風にじっと見つめられると、目が離せなくなる。


「お、オホン」


 え? そんなジジくさい咳払いをする人じゃないでしょ。

 それに、慌てて目を逸らすなんて。


「お前……。聖女である妹に成り代わろうとしたっていうのは、本当なのか?」


 はあ。またその話ですか。


「本当かって言われても。私、あの子が――シャノンが聖女だなんて知らなかったんです。それに聖女になりたいだなんて、思ったこともありません」

「そうか。やはりな。じゃあ、クリスタルを盗んだという話はなんなんだ?」


 盗んだなんて言われると、傷つくなあ。


「あの日、義母のバルバラが私の部屋に入ってきて、飾り棚の中にあるクリスタルを見つけたんです。あんなものがあるなんて、本当に驚きました。いつからあそこにあったのかしら……」

「なんでそのことを言わなかったんだ」


 ユリウスは眉尻を上げると、腕を組んで、指先でトントンと腕を叩き始めた。


「言いました! でも、クリスタルを持っているものが盗んだ犯人だと言われて――」


 ユリウスは、「はあ」と深いため息をついた。


「クリスタルは二十年前に消えたんだぞ。お前の生まれる前に盗まれたんだ。それなのにお前が盗んだ犯人だと? おいおい、この国は大丈夫なのか……」


 珍しくリュカもうんうんとうなずいている。


「……母上と同じではないか」

「え?」


 ユリウスは伏し目がちに話し始めた。


「俺の母上も聖女ではないかと噂されたことがあったんだ。先代の聖女に見込まれてクリスタルを預かったらしいんだが、すぐにクリスタルが消えてしまったんだ。偽の聖女が触ったからだと噂され、その後はひどいものさ」


 ……そうだったんだ。


「だがクリスタルが自然に消える訳がない。誰かが持ち出したに決まっている」


 ユリウスの声は怒りで震えている。腕をつかむ指先にも力が入っている。


「そのクリスタルが、なぜ急にお前の部屋に? 持ち込める人物なんて限られているはずだ」


 何が言いたいの? まさか……。

 ユリウスは立ち上がると、固い表情で、背後のリュカに命じた。


「シュヴェルニ男爵夫人について、徹底的に調べろ。二十年前に遡ってな」


 ……え? そんな?

 驚いている私を、ユリウスが真っ直ぐに見つめている。て、照れるんですけど。


「あの。なんだ、ほら、あれだ」


 口ごもるユリウスを見て、リュカがニヤニヤしながら助言する。


「あれでは伝わりませんよ。それに、ユリウス様に最初に仰っていただかないと、私どもも困ります」


 いつの間に来たのか、エメまでもがリュカの側で、大きくうんうんとうなずいていた。


「お――」

「お? なんですか?」


 ユリウスの顔は真っ赤だ。


「俺が悪かった。噂などを鵜呑みにして。お前のことを誤解していた。許してくれるか?」

「え? 許すって――」



 きょとんとしていると、リュカとエメが揃って居住まいを正すと、二人同時に頭を下げた。


「申し訳ございません。奥様。これまでの数々のご無礼をお詫びいたします」

「本当に申し訳ございません。これからは何でも言いつけてくださいませ。リュカに意地悪されたらすぐに仰ってくださいね」


 リュカが心外だと片目を釣り上げているのがおかしい。


「そんな。わざわざ謝ってくれるなんて。私こそ自分からちゃんと説明するべきだったのに、最初から諦めていたの。それに、なんだか今更っていう気がするわ。もうとっくに仲良しじゃない!」


「ま、それもそうですね。では、この話題はここまでにしましょう」


 澄ました顔をしてそう言ったリュカに、ユリウスとエメがつっこんだ。


「お前が言うな!」

「なんであなたが言うのよ!」

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