第3話 歌のお許しをいただきました

「朝食のご用意ができました」


 エメがいつもの感情ゼロの顔で言った。

 あれ? 「朝食をお持ちしました」の間違いじゃない?



 この城に来てからずっと、食事はこぢんまりとした部屋で一人で食べていた。

 エメが部屋まで運んできては、テーブルの上にトレイごと置いて出ていくのだ。


 私だけ部屋食。ユリウスは徹底して私と顔を合わせないようにする気なのだ。

 そんなに嫌わなくったって、よくない? 


 ……って、ちょっとだけ拗ねていたのに。

 それがどういう風の吹き回し?

 今朝のエメは手ぶらでやってきて、「朝食のご用意ができました」と言っている。


「……」


 無言でエメを見つめていたら、ちょっとイライラした様子で、頭の悪い子に言い聞かせるように言った。


「お食事の用意ができましたので、ダイニングルームまでお越しください」


 ほう?


「それって、ユリウスと一緒に食べるってこと?」


 なぜかエメはムッとした顔で低くつぶやいた。


「その方が効率的だからだそうです。リュカ様がそう仰っていました」


 ……はあ、さようですか。


 エメの後ろを大人しくついていくけど、城の中は迷子にならない程度には歩き回っていたから、ダイニングルームらしき部屋には当たりがついている。


 エメが大きな扉の前で止まった。ビンゴ! やっぱりここか。


 部屋に入ると、長テーブルの端にユリウスが座っていた。

 エメが、「こちらにどうぞ」と、ユリウスと反対側の端の席を手で示した。

 二十人は余裕で座れる大きなテーブル。端同士だと遠すぎない?


 これは、ユリウスとお近づきになるチャンスかも。

 これから何十年と一緒に過ごすことになったのだから、せめて友人にはなりたい。


 ユリウスの右側の角の席に座ることにした。


 部屋にいた私以外の全員がギョッとした。

 そんなに悪いこと?


「おはようございます」

「ああ、おは……むうう」


 何それ……?

 ユリウスは、うっかり挨拶しそうになったのを、途中でなかったことにしようと慌てて口を閉じたみたい。

 でも、挨拶できた!


「国境は大丈夫だったのですか?」


 私が尋ねると、ユリウスは急にムシャムシャと勢いよく食べ始めた。


「魔物の気配はありませんでした。ですが、魔物というのは突然現れるものですから油断はできません」


 ユリウスが頬張ってしゃべれないからか、リュカが応えた。

 リュカは相変わらずだ。射殺すような目つきで私を見ている。


「ここへは朝食を召し上がるためにいらっしゃったのですよね?」

「え? ええ。はい。そうです」


 仕方がない。まずは朝食を頂いちゃおう。

 実はこの城で焼かれているパンはめちゃくちゃおいしくって、すっかり虜になっちゃったんだよね。

 今日はブリオッシュだ! やったー! おっとっと。心の声が表に出ませんように。


 ユリウスが食べ終えてコーヒーを口にしたところで、リュカが報告を始めた。


 ……へえ。

 毎朝そうやって仕事をしていたんだ。


「――それから王都の様子ですが、二十年ぶりに聖女が誕生したということで、連日お祭り騒ぎが続いているようです」


 うへっ。シャノンの話は勘弁してほしい。

 嫌味なのか、リュカがご丁寧にシャノンの近況を教えてくれた。


「妹君は王宮にあがられたそうです。聖女誕生の件は国中に知らされ、王宮にはさっそく聖女の派遣要請が届いているそうですよ」


 ユリウスやリュカにじっと見つめられると、なんだか居心地が悪い。悪いことなんてしていないんだけど。

 意外にもユリウスが話題を変えてくれた。


「歌は――。歌は誰に習ったんだ?」


 ピコーン!! ピコーン!!

 頭の中でけたたましい音が鳴り響いた。


 やっぱり聞かれていたんだ! あれ? でも叱責じゃないよね?


「どうなんだ?」

「あ、いえ。別に。自然と出てくるものですから。湧き出してくるっていうか」

「湧き出してくる……」


 ユリウスが思い詰めた表情で遠くを見ている。

 ……へ? NGワードだった?


「母上も同じことを言っておられた……」


 リュカが信じられないという顔でユリウスを見た。


「え? 今なんて?」


 ユリウスは心ここに在らずといった状態で、ボソボソと小声で何かつぶやいたけえれど、聞き取れなかった。


「あの。王族方が歌を嫌われているのは知っています。歌っているところを人に見られたらまずいことも分かっています。でも、森には人の気配がなかったので、歌っても平気かなって――」


 ユリウスが真っ直ぐ私を見た。そんな風に見つめられると、体の中がゾワゾワする。なんだろうこの感じ……?


「あ、あの、そのう。森の中なら人に聞かれる心配はなさそうなので。歌ったらだめ……でしょうか?」

「べ、別にだめではない。好きにしろ」


 ユリウスは目を逸らして頬を赤くしている。


 歌っていいのねー! やったー! 嬉しい!

 舞い上がりそうになっていると、ユリウスがうつむきかげんに話しかけてきた。


「今日も湖に行くのか?」

「はいっ!」

「そ、そうか」


 チラリと私を見ては、また目を逸らした。どうして?


「リュカ」

「はい。領民には、むやみに城の近くの森には入らないよう伝えておきます」


 名前を呼ばれただけなのに、万事心得ていますとばかりに応えるリュカ。


「あ、あの、それって。私のせいで領民の皆さんが森に入れなくなるっていうことですか?」

「別に城の隣の森に入れないからって問題はない。我が領地は森の中にあるのだからな」


 確かにそうだけど、本当にいいの? 私のために?


「奥様はまだ領地に馴染まれておりませんので。ジャンポール侯爵家の名を汚さないための配慮ですね?」

「そ、そうだ。そうだとも」


 リュカの誘導尋問のような問いかけに、ユリウスは力強く答えると、ガブガブとコーヒーを一気に飲み干した。

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