第4話 不思議な力

 朝食を食べて、サンドイッチを抱えて森に行って歌う――それがここでの暮らしの日課となった。


 ユリウスとは、まだ友達とまでは言えないかな。

 でも、朝食と夕食は一緒にとってくれるようになったし、食事の最中に、一言二言、声をかけてくれることもある。


 「今日もずっと歌っていたのか」とか、「涼しくなってきたな」とか。


 相変わらず言葉は少なめだし、私が返事をしないで見つめていると、なぜかバカみたいに口一杯に頬張るんだけど。

 無視されるほど嫌われてはいないみたい。

 この城に来た頃よりは、いい感じ――かな。



 それなのに、こんなにも憂鬱なのは――。

 天気のせいなのだ。

 五日前から雨が降り続いている。今日も一日中止みそうにない。

 リュカも、農作物の収穫に影響が出そうだと、ユリウスに報告していた。


 早く太陽に出てきてほしい。城の中を歩きながら口ずさむのも飽きちゃった。

 やっぱり大地に立って、思いっきり歌いたい。


 ピコーン! きたきたきた!

 そうだ! 外に出て歌えばいいじゃない。

 雨が降っていたって、そんなの関係なくない?




「じゃ、行ってきます」


 エメが傘を差し出しながら、物好きだなって顔をしている。



 降り続く雨に地面はぬかるんで、至るところに水溜りができていた。

 城は高台にあるけれど、斜面を下ったところの町はどうなっているんだろう。

 ……あれ? そういえば、城の隣の森以外の領地を、ちゃんと見たことなかったかも。


 城下の町は、この城にやって来るとき、馬車からちらっと見ただけだ。

 さすがに王都の街とは比べ物にならないけれど、それなりの規模の町だった。

 あとは見渡す限り畑が広がっていたっけ。


 ここから歩いて行けるかな? まあ、行けるところまで行ってみるか。




 雨降りだろうと、やっぱり外は気持ちがいい。

 雨に濡れた空気の匂いも素敵。

 だからついつい歌ってしまう。歩くテンポに合わせて歌が口をついて出てくる。



 雨だから行き交う人もいない。


 ピコーン! ピコーン!


 天気が悪いときなら、森の奥じゃなくても歌えるじゃない! 誰にも聞かれる心配ないじゃないのー!

 そうと分かれば、もう止まらない。



 どうか雨が上がって晴れますように。

 雨に打たれてうなだれている作物も、元気を取り戻しますように。

 そんな願いを込めながら、雨音が遠慮してくれるほど歌声を響かせて歩いた。少し駆け出していたかもしれない。



 集落が見えてきた。誰も外に出ていない。ひっそりと静まりかえっている。


 もうそろそろ歌うのを止めないと、雨音を破って家の中に聞こえてしまうかも――そう思っていたところに、老人が現れた。


「きゃっ!」


 え? この雨の中、外で何をしているの?


「あ、あなた様が?」


 もしかして聞かれちゃった? どうしよう。いくら辺境の地とはいえ、王様が歌を嫌っていることくらい知っているはず。

 この国では禁忌とされているのだ。


 何か良い言い訳はないかと探しているうちに、一人、また一人と、そこら中の家から人が出てきた。

 みんな傘もささず雨に濡れている。そして私を見ている。

 ちょ、ちょっと。怖いんですけど。


「クロエ様」


 誰かがつぶやいた。


「そうじゃ。あれは、あれはクロエ様じゃ。クロエ様が歌って下さっとった」


 クロエって……誰?


「クロエ様……。クロエ様なのですか?」


 違いますけど。


「私の妻だ」


 ええっ? 振り向くと、背後にユリウスが立っていた。

 全員に聞こえるように大きな声で答えてくれた。

 ――にしても、なんでいるのー?!


「奥方様? 奥方様が?」

「でも領主様の奥方様と言えば、相当な悪女のはずでは?」

「ワシは耳を疑った。あれは確かにクロエ様の歌声じゃった」

「じゃあ、悪女っていうのはデタラメだったのか」

「妹が本物の聖女だったのでは? それで婚約破棄をされたって……」

「それにクリスタルを盗んだっていうじゃないか」

「でも歌声が……」



 ああ、やっぱり噂はちゃんと届いていたんだ……。



「あ! 虹だ! 虹が出た!」


 最初に見つけた嬉しさからか、誰かが大声で叫んだ。

 いつの間にか雨が上がって虹がかかっていた。


 子供たちは、はしゃいで走り回っては、ビチャビチャと泥をはねて服を汚しているけれど、大人は誰も注意しない。

 それどころか、一緒になって「うおお!」と、歓喜の声をあげている。


「奥方様が雨を止めてくださった」

「よかった。これ以上雨が続いていたら作物がダメになるところだった」


 いや、天気なんて、私がどうこうできるものじゃないんですけど。


「聞いてくれ! 母上同様、妻のことも口外しないでもらいたい。噂はあっという間に広がるものだ。くれぐれも気をつけてくれ!」


 ユリウスが私を庇ってくれた。それどころか、秘密を守るように頼んでくれている。

 領民たちに呼びかけるユリウスは、たくましくて頼りがいのある、素敵な旦那様に見えた。

 ……ずるいよ。

 なんだか体が熱っぽくなってきた。


「あっ! 実が大きくなっている!」

「本当だ! こっちもだ。作物が、みんな元気になっている」


 ……え? ええ? ええっ?


「奥方様のおかげじゃ」

「奥方様!」


 いえいえ。違うと思いますけど。

 でも、領民の方々に慕われるのは、正直、とっても嬉しい。

 ユリウスの役にも立てたみたいだし。


 そう思って、思わずユリウスに微笑みかけてしまった。

 そんな私と目が合ったユリウスは、なぜかうろたえている……。もう私までしどろもどろになっちゃうじゃない。


「は、早いところ、し、城に戻りましょう」

「あ、ああ。そうだな」


 自然とユリウスと肩を並べて歩いていた。

 こんな風に並んで歩ける日がくるなんて、思いもしなかった。


「俺の母なのだ」


 急に何を言い出すのかと思ったら、そうか、さっきの……。


「クロエ様っておっしゃるのですね。お会いしたかったな」


 ユリウスは視線を落とした。


「母上もよく歌ってらっしゃった。森でも城でも村でも。本当にどこにいても、どんなときでも」


 クロエ様も、私と同じで歌がお好きだったんだ。お会いしてお話ししてみたかったな……。


「母上も、洪水や日照りのあとは、しおれた作物に元気を分け与えていた。先程のお前と同じように」

「え? ……私?」


 道端の草や作物は、キラキラと輝く雫をまとっているのに、来たときにあったぬかるみは消えていた。


「ああ。お前の歌声にも母上と同じ力があるみたいだ。最初に聞いたときから、俺には分かった」


 え? えええ?!


「母上は、きっと会えると言ってくれた」

「え?」


「――の人に」

「え?」


 ユリウスは急に駆け出して、私を置いていってしまった。

 最後の言葉はよく聞こえなかったけど、駆け出す前に、「運命の人」って言わなかった?

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