第12話 目を覚まして
「樹、どこへ行くんだ?」
自分の心が揺らいでいるのを隠しながら、樹は振り向いて手を掴む歩を見つめる。
「帰るだけだよ? どうしたの? 変なあーくん」
愛想笑いが出来ているだろうかと不安になる位に、樹の気分は落ち込んでいる。
掴まれた腕の力が少しだけ強くなったのを認識して、樹は腕に視線を向けた。
「たしかに俺は変だ。だけどお前も変だ。学校も世の中も全部変なんだ」
「あーくん……? 本当にどうしたの?」
いつもと違う言葉を放つ歩を見れば、いつもの歩の表情をしている。
樹の心を包み込む様な安心感があるいつもの微笑みを樹は直視したくない。
「全部変なんだから、樹は樹のままでいいんだよ」
「……なに言ってるの?」
「お前の笑顔が見れないとさ、俺は変になるみたいなんだ」
「目も頭も悪くなったの……?」
歩が変になった原因が自分にあるのだと樹は認識してしまった。
その瞬間に歩から視線を逸らす。
地面のグレー色が胸の中にある色と似ている気がして、なんだか嫌になる。
「俺は樹が、本当に笑える居場所を知ってる」
「……なんで知ってるの」
「樹、俺はお前が有――」
「なんでそんなに私のこと知ってるの!!!」
声を荒げて襲い掛かる樹は獣のように思えた。
初めて見る樹に動揺しながらも、歩は樹の腕を掴んで止める。
「知ってんに決まってんだろ!!!」
思わず手を出しそうになる身体を抑えながら、樹と歩はお互いの身体を掴み合う。
痛くて、苦しくて、涙が出そうだけれども、お互いに譲らない。
だって、1番大事な幼馴染を止められるのは自分しかいないと、樹も歩も思っているから。
「あーくんはいじわるだ!!」
「意地悪だよ!! お前を守るために!!」
「私は守ってなんかほしくない!!」
「俺が勝手にやってんだよ!! 樹が……隣にいないと怖いから!!」
「……ッッ!! うっ、やっぱり……いじわるだっ」
怖かった。
隣にいた存在が離れていく事が。
一番でなくなる事が。
それぞれの道を歩むべきだとも思った。
だけどどうしても、隣にいないと怖い。
樹が歩の胸の中で震える。
歩は強く抱き寄せて一緒に震えた。
落ち着いた2人は校門から少し離れた塀に寄り掛かっていた。
何を話せばいいのか、どう謝ればいいのか。言葉が中々出てこない。
「……喧嘩、初めてしたな」
「うん……」
「樹があんなに大きな声出せるの知らなかった」
「あーくんだって、泣いた姿見た事なかった」
「泣いてたか?」
「えー? じゃあ私が覚えててあげる」
そう言いながら樹は塀から離れて歩の前に立つ。
嬉しそうに笑う樹の表情が好きだと歩は微笑み返した。
「あーくん、私ね、有馬さんのことが好き」
熱を帯びた様な視線は歩に向けられていた。
「有馬さんが他の人を好きでも、私は私の気持にウソをつきたくない」
幸せそうな笑顔を向けられたまま、歩はそれを受け入れる。
「気付かせてくれて、ありがとう」
恋人としての1番にはなれないけれど、幼馴染としてはずっと1番なのだと歩はやっと知れた。
「樹、俺は有馬と友達になれて良かったと思う。有馬は意外と面白いし、優しいし、お前を笑顔に出来る。安心して一緒に過ごせるってすごい事だと思う」
「うん。私も友達になれてよかった」
「だけどな、樹」
歩の視線が樹の後ろに向いたのと同時に歩は塀から背中を離して樹の肩を掴む。
「有馬は結構、諦めが悪いんだ」
樹の身体を後ろに向けた歩は樹の背中を押した。
視界の先に映るのは、
「犬飼さん!!」
月に手を引かれて走って来る――涼。
樹の姿を見た瞬間、涼は月の手を離して走って来る。
目の前で止まって、荒い息を整えている。
「有馬さん……あ、私……」
涼の息はまだ上がっている。
すぐ横に校門はあるが、そこをふさぐものは何もない。
少しだけ樹の足が後ろに下がって、そのまま俯いてしまいそうになる。
「犬飼さん」
だけど、視線が逸らせない。
少しだけオレンジ色になった太陽の光が涼を照らす。
樹はおとぎ話でも見ているのかもしれないと思った。
目の前にいる学園の王子様は自分の事をどう思っているのだろう。
時が止まった世界の中で樹は自分の心臓の音を感じている。
同じ音が視線の先から聴こえる気がして、知りたくてじっと見つめてしまう。
「僕は」
時は再び動き出して
「男とか女とか関係なく」
心が温かくなっていって
「犬飼樹さん」
花が咲く様に胸の中に広がり始める
「あなたが好きです」
これが恋というもの。
おとぎ話の王子様が現実世界にいるのだとしたら、
「僕と、付き合ってくれますか?」
それは目の前で手を差し伸べる、学園の王子様なのだと思う。
樹は目の前にいるのが涼なのだと確認する様に指先をつまんだ。
指先を何度もつまんで、そこにあるのだと理解していく。
指の感触も、不思議そうに微笑む表情も、樹の知っている涼だ。
その涼が自分に向けて放った言葉を頭の中で繰り返して理解していく。
「…………え?」
涼からの告白を理解した樹の顔は、スイッチを入れた電気の様に赤く光り出した。
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