第15話 或る日の日記

 主人はどう見ても真面目で小まめな性格の人間ではない。対して、吾輩は能く気の利く性分であるから、主人が箒を使う時、四本あるそれの内、適当な一本を毎度手に取るのが気になってしょうがない。勿論、一本一本使い潰す気なら、お得意の倉庫に詰めればいいものだが、そうではない。その時々の気分で適当なものを手に取るから、均等に傷むでもない。四本の内二本がよく使いこまれ、一本はぼちぼち、もう一本はいまだに新品のようである。この精神には辟易する。


 そのずぼらさのお陰で、家宅の隅の吾輩の別荘、鞄と外套がそのまま放置されている故、あまり大声でそれを非難するわけにもいかないが、それにしても格好がつかないことが多い。この前も、雑巾で聖堂の掃除をしたは好いが、そこら中に雑巾を置きっぱなしにしたせいで、子供達の玩具になっていたことがある。


 そんな物事の一つに、新しく日記が加わった。これは偶然、主人が聖堂で夫人達と雑談をしている間、吾輩が暇を持て余した事に端を発する。


 その日は随分と日が照っていたから、表を散歩するのも億劫で、家宅に戻る事にした。すると、寝室のドアが開いていることに気が付いた。たまには布団の上でぬくぬくと過ごすのも悪くないかと思い、寝室に入り、ごろごろと転がった後、ふと、枕元に一冊の本が目に入る。このまま寝るつもりであったが、異界の書物に通じるのも悪くはない。そう思って爪を引っ掛けて開けてみると、なんとこれは、主人の日記であるらしかった。


 こんなものをつけているとは知らなかったので大層驚いたが、それもそのはず、少し開いただけで日付が飛んでいることが分かった。多分、気まぐれで時たま書いているのだろう。しかも、かなり字が汚い。聖女とは名ばかりの行動が目立つ主人であるが、ここまでとは思わなかった。


『某月某日。聖堂の壁に馬糞か何かを町のクソガキに投げつけられていた。わたしはダリラ程じゃないのでどうでもいいが、腹が立つ。思わず日記を書いてしまった』


 一頁目から中々の内容であった。


『某月某日。彼らにも寄進や寄付など、聖堂へ媚びを売る習慣はあるようで、わたしが余計な事を町人に吹き込む必要がないのは助かった。前任者に感謝。さぞ性格の好い人であったのだろう、たまに来る町人は皆、形の悪い野菜や、腐りかけの干し肉を押し付ける。前任者の顔を見てみたい』


『某月某日。何も仕事をしないのは流石に悪いので、あいつらが自分で顔を出す限り、出生登録と葬式はちゃんとやっている。おかげで、聖堂に家計を登録した場合の税率の変化や控除にとても詳しくなった。どいつもこいつも金の話しかしない。野菜は虫食いだらけ。ケチな町。人々』


 一頁目から分かっていたことだが、どうもこれは主人の愚痴日誌の様だった。きっとむかっ腹の立った時だけこれを開き、乱雑に文字を書きつけて納得しているのだろう。


『某月某日。森を散歩する。やっぱり魔物が多く、動物はほとんどいない。仕事の一環なので、二三匹程とっちめてやると、森の奥に逃げて行った。前に入った時と、湖と川の位置が変わっていて驚いた。まだこんな土地がある事にも驚いたし、だからこそわたしがいる必要があると思った。珍しい花が咲いていたので町の人のご機嫌取りに集めておいた』


 どうやら、普段から主人はたまに、森に入っているようだった。仕事の一環でもあるらしい。最近はそんな様子ほとんど見えないが、きっとそのお陰で吾輩は一命を取り留めたのだと思うと大変有り難い。さらにいくつか頁を捲ったが、出生登録の費用の値下げ交渉に辟易しただの、葬式代を出し渋るなどへの愚痴が続いた。主人も苦労していると思った。と、ある頁が目に留まった。


『某月某日。凄い発見をした。蜥蜴鹿が五月蠅いので夜に森に入ったら、蜥蜴鹿のお母さんが何かちっこいものを咥えて走っていた。大きい餌にしないと、蜥蜴鹿の共食いが始まってあっという間に成体になってしまう。止めさせてみたら、ちっこい動物を落とした。見たことがないし、ちっちゃくて可愛い。リスよりは大きいし、眼もきらきらで素敵。足の毛もきれいに揃っていて、ちっちゃい爪が埋まっている。このまま放っておいたら魔物に食べられてしまうし、そうなるとこの動物の家族が気の毒なので、迎えに来るまではわたしが大事に家族になってあげようと思う』


 吾輩が主人に捕らわれた日の話である。


『某月某日。この小さい動物は、蛙を食う。ちゃんと湯がいたので大丈夫だと思う。かなり元気で、気付くといなくなっていることがある。帰ったのかと思ったら、家の前で待っていた。可愛い奴め』


『某月某日。この動物は、どうやらとてもよく寝る。普段は家の塀の下とか上で寝ているが、最近は屋根の上がお気に入りらしい。羨ましい』


 主人も大概聖堂で涎を垂らしているので、羨ましいというのは違うと思った。


『某月某日。今日は家の中で真昼間から寝ていた。恨めしい。わたしの脱ぎ捨てた服で巣を作っていい御身分である。しかも、寝言まで言っていた。そういえば名前をやっていなかったので、ネコというのはどうだろう。呼びやすいし、大きさにもあっている。種族の名前にも適していると思う。これは好く寝る生き物だと思う』


 酷い言われようだった。しかも、寝言まで聞かれて笑われている。しかし、種族名にまで言及されているとはなかなかの慧眼である。異界であっても、ネコに対する名前は猫らしい。


『某月某日。 そういえば、ケヌは人の言うことを聞くが、ネコはどうだろう。会話はできているが、少し不安だ』


 主人の猫語に対する理解は、好い加減である。しかし、あれだけ司祭殿に吾輩の言語を解る振りをしていて、不安を抱えているとは驚きだった。


 さらに頁を捲ろうとしたとき、主人の足音が聞こえた。そういえば昼近い。まだ少し残っていたが、これはこれで新しい楽しみが増えたということにして、吾輩は日記を閉じて、寝たふりに徹する。そして、小さく後悔した。


「いた。やっぱり寝てる。好い身分だな。やっぱりあなたはネコだね」


 まるで主人の思惑通りになってしまい、少し気分が悪くなった。

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