第13話 浪費家

 主人は相変わらず吾輩に蛙を食わす。最近観察していてわかってきたが、時折聖堂に訪れる町の人々の差し入れを、どうやら主人は食わずに氷漬けにして保管していたらしく、それを今、都合が好いと言わんばかりに餌にしているのだ。


 不満ではあるが、今の吾輩は人間の庇護がなければ死んでしまうだろう。餌も自力では捕れないため、主人に頼る他無い。森に入れば、忽ちあの魔物の餌になってしまうだろう。


 しかし、いつかは自力で餌を捕り、この不届き者の飼い主の手元を離れることは考えておきたい。それまでは蛙の肉を食ってでも生きてやる。


 そう思っていたが、少し考え方が変わり始めた。最近、餌が豪華になっている。


 まず、蛙の肉ではなく、今度こそ鶏肉が餌皿に乗るようになった。牛乳も貰えるようになった。どうやら主人にも、吾輩を気遣うという基本的な考えがようやく根付いた様子。便宜上主人と呼んでやっているが、つまるところ猫と人間の関係は、猫が主であり人間が従なのだ。動物を飼うという習慣が、この異界に於いてどれだけ浸透しているのかは見当もつかないが、それが我輩にも適用されるようになったのは感心してやる。


 今日も、市から帰ってきた主人は、猫なで声でご飯作るよ、と呼びかけ、巧みに家宅の調理場へ我輩を誘導し、支度を始める。よく見ると、買い物袋も大きくなった気がする。吾輩の分の食事を買い込むようになった成果であろう。感心である。


 しかし、一二日経って、おかしいと思った。主人の買い物は、そろそろ浪費家の域に達しようとしていた。これには随分と閉口した。怠け者のくせに、最近ついに、新しい箒や花瓶などまで買い始めた。それに、主人はせいぜい週に三回ほどしか買い物には出ない。なのに、最近は毎日出払っている。


 愈々おかしいと猫の身でも思う。


 主人は確かに、普段から掃除ぐらいしか真面目に働くことのないが、それでもまだ、箒なんて家宅の壁に二三本引っ掛けてある。それこそ、箒の方こそ掃いて捨てるほどあるのだ。新入り君はその隣に安置された。


 花瓶は聖堂の中、その扉の脇の台に置かれた。何かの本が積まれていたのだが、それが撤去されてしまった。かといって、主人はそこに花など差すことはしない。そういう甲斐性がある少女ではないのだ。でなければ今頃釣りか、楽器の名人になっているだろう。


「あら綺麗な花瓶ですこと」


「こういうのがあると、聖堂はより素敵ですね」


 たまに聖堂に来る婦人ら二人がそういった。中に花でも差せばいいのに、とは一言も言わなかった。


「ええ、皆様のおかげです。おかげでどんどん聖堂が賑やかになります。このままだと、聖堂の中は美術館になるかもしれません」


 主人はそんな返事をする。すると、婦人らはふふふ、と笑って去っていく。吾輩は気になって、こっそり二人の後をついてみた。


「まったく、あの聖女様も懲りないのね」


 そんな言葉が聞こえてきた。


「あの殺風景な聖堂に物が増えてよかったんじゃない」


「でもあんな嫌味っぽいことを言うなんて。よっぽどね」


 何のことだろう、と興味を惹かれたが、これ以上ついていくと帰り道が分からなくなる。吾輩は追跡を止めた。


 それが判明するのは、婦人の追跡を諦め、戻った時に分かった。


「町、行ってみようか」


 急に、吾輩に向かって声を掛けた。


「あなたってさ、実は凄い運がいいのかも」何の話だろうか。


「だってさ、わたしがたまたま森に入ってなかったら、今頃食べられてたんだよ? 凄くないかな。凄いよね。あなたはきっと、『持ってる』んだよ」


 急に怖くなって、吾輩は全身の毛が逆立った。主人は屈んで、背後から何かを取り出した。


「じゃーん、これ、興味あるよね」


 異界の文字は異界の猫たる吾輩にも読めるのは先日分かった大発見である。此度も同じく読むことができた。


『町のくじ引き大会! 町でお買い物をするとくじ引き券をプレゼント! 特賞はヨートス湖ぶらり旅』


 絶句した。主人の浪費を理解した。主人はこのくじ引きで特賞を引きたくて浪費を重ねていたのだ。それでは確かに、婦人らにも呆れられるというもの。しかも、それを他人に当たるなんてみっともない。主人の人間嫌いにはもう、物も言えぬ。


 とはいえ、内心、異界の旅というものは惹かれるものがある。ヨートス湖というのがどんな場所なのかは勿論関心がある。


「やはり、興味があるな。っていうか、まさか文字が読めるなんてことないよね」


 急に醒めて、主人は吾輩をじっと見た。例え主人であっても、じっと見られるのは好かない。体が反射的にそっぽを向いた。

 

 思い返せば、それにしても人を頼るのはいただけない。それに、ここで主人が特賞を本当に引いてしまえば、以後、吾輩の食事は蛙に逆戻りである。しかも、あの主人の事である。すでに散々くじを引いては散っているに違いない。それが、今更吾輩を連れた所でどうにもなるまい。なのに、外れを引けばきっと、ごはん抜きなど言いかねない。この主人の性根の悪さは折り紙付きだ。


 その時、邪悪な気配がした。思案する吾輩の隙をついて、主人が手を伸ばしている。


 吾輩は素早く反転し、チラシの影になるように身を運んだ。そして、今度は主人の足元に潜る。


「あっ」


 こうすれば、吾輩は主人の爆乳の下に隠れ、見えなくなる。そうして吾輩は、半開きの聖堂の扉から外に逃げ遂せたのである。外は良いお天気で、増えた箒はじっと吾輩を見ている。


 いつもの光景に目を瞬かせ、暗い森を見る。さらに、聖堂を訪れる人々がよく使う道を見る。この先に、町、というものがあるのだろう。ふと、主人の口車に乗ってやっても好かった気がした。


 ちょっと反省して、聖堂に戻ってやる。しかし、そこにはぐっすりと転寝に耽る主人がいる。さっきまでの情熱はどこへやら。吾輩も大概ではあるが、主人も主人である。と、この時、猫は飼い主に似る、なんて嫌な言葉を思い出した。このままでは、吾輩も主人のような無神経な飽き性になってしまうかもしれない。そう思うとぞっとした。

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