第12話 別荘地
主人は時に、普段の習慣から外れたことをする。それは釣りであったり、この前は急に、笛など買ってきて吹いたりもする。調子外れのそれを吾輩の前できんきんするものだから、すぐ逃げた。それ以降、主人が笛を吹いているのを聞いた事はおろか見もしない。
今日の奇行は、大きな鞄を使う。普段より、吾輩はこの家宅の大体の部屋を掌握しているが、唯一、主人が頑なに守っている部屋がある。どうやら物置らしく、そこからは珍品が出ることが多い。それは吾輩を洗う目的の盥であったり、結局出しただけの鍬であったりした。
そこから出てきた鞄は大変大きく、その中に、主人はなんと、自分の服屋寝間着などを詰めていた。
衣替えかとも思ったが、気温はさほど変わらないし、それならそもそも箪笥を使うであろう。気になってうろうろしたが、主人は意に介さない。
みー。
と珍しく泣いてみたが、反応しない。しかし、そうして熱心に鞄を膨らませた後、何を満足したのか、主人は荷物を戻してしまった。何をしたいのかさっぱりわからない。床には萎びた大きな鞄一つが残った。しばらく眺めていると、体がうずうずしてきたので、その中でしばし仮眠をとることにした。厚手で頑丈そうな革製の外側に、内側は帆布のようなもので裏打ちされている。あまり心地はよくなかったが、何かに包まるのはとても落ち着く。そうしてしばし形を整えると、ちょうど体に嵌った感覚がする。そのまま意識が遠のいていく。
「寝るなー、毛だらけになるじゃん」
まだ寝てはおらん。戻ってきた主人が、鞄をひっくり返して吾輩を追い出した。せっかく出来上がった寝床が台無しになる。一噛みでもしてやろうと振り返ると、そこには爆乳を引っ提げた少女ではなく、巨大な布の化け物がいた。驚いて部屋の隅に逃げ込むと、それは外套を抱えた主人であることが知れた。驚いて損した。
大慌てで部屋の隅に逃げる吾輩に主人も驚いたのか、しばしこちらを見ていたが、すぐに鞄に向き直る。そして、外套をやっややっやと鞄に詰める。今度は満足したらしく、一頻り頷く。このあたりになってくると、吾輩も主人が何を企んでいるか、具合が分かって来た。と思ったが、荷物を再びばらしてしまった。ますます首を傾げるばかりである。
とはいえ、推測だけは立つ。思うに、司祭殿が立ち寄ったことで、旅行への思いが募っているのだろう。吾輩が主人の元に来てしばらく経つが、あれ以来、あの写真を寝る前に見ることがある。それに加え、以前、家宅の机に決定的なものを見ていたのだ。
紙の束、否、数項ほどの薄い冊子があった。これは、異界のパンフレットに違いない。知らぬ文字の筈だったが、不思議な事に、吾輩でも何が書いてあるのかは読める。どうやら、吾輩はあくまで異界の猫である様子。
『ムーンジーを巡る旅。五泊六日』
『美しいオーマーを堪能。八泊九日』
『十二泊十三日の完璧ショルシ遺跡の旅』
これは、異界の観光パンフレットである。驚いた。丁寧な絵に彩られ、この異界の名所について説明が書いてある。合点がいった。主人はこれを眺め、旅行の算段をつけていたのだ。
吾輩に相談がないのはやや遺憾ではあるが、主人は旅行に行くつもりなのだ。
これは楽しみである。吾輩はすでに、異界にいるものの、結局家宅と聖堂の間を行ったり来たりするだけ。これは、第二の生を受けたのに勿体無いとつくづく思う所であった。
いつ、旅行に行くのか。どれほど滞在する気なのか。それから毎日が楽しみであった。
だが、それからいつまで経っても主人は旅行をする気配がなかった。そうして漸く、主人の飽き性を思い出し、ため息をつくのである。
今、部屋の隅に、仕舞われもしなくなった、大きな鞄と外套が放ってある。主人の詐欺は、こうして、吾輩に大きな第二の寝床を提供するところで手打ちとすることにした。今では吾輩の匂いと毛だらけで、旅行など到底無理であろう。ここを、吾輩は別荘と呼んでいる。
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