第11話 月夜の晩

 吾輩の寝床は決まって主人の寝室である。そこらの部屋の隅でもいいが、やはりふかふかの布団が一番である。前世の布団には及ばないが、それでも一番の感触はここを置いて他に無い。初めて引き取られた時もそうだが、主人も吾輩を外に放って寝かせる気はないらしく、こうして寝室に連れて来る。最近は、吾輩の方が体内時計がしっかりしているから、寝る時分になったら寝室の戸を開けるよう、かりかりと爪で掻いて教えてやっている。


 いつもならこれで主人は家のどこからでも現れるのだが、今日は違うようだった。仕方ないので呼びに行ってやる。すると、寝巻の上からでもわかるぐらい、その大きな乳を垂らしてぼーっと、窓の外など眺めていた。何を見ているのか気になって、主人の背中に乗り、肩を登って、頭を踏みつけて外を見た。主人は、む、と不本意そうな声を上げたが、それ以上は何も言わなかった。立場が分かっているようで大変よろしい。


 しかし、主人が何を見ているのか、吾輩にはわからなかった。確かに、月はうっすらと出ていたが、それよりも大きな雲が目立つ。よって、星も大して見えない。ただ、湿気た風がゆっくりと吹いていくのみ。夜目が効くので、森の輪郭が遠くまで続いている事も分かるが、それ以上は分からなかった。故に、主人の気持ちも知れない。


「なんでもないよ。降りて」


 珍しく、吾輩の心を読んだような事を言う。主人が窓を閉めるので、吾輩はさっと跳び下り、部屋の床に脚をついた。


「眠いんでしょ。わたしも。今日は疲れたね。変な奴来たもんね」


 司祭殿の事だろう。吾輩からすれば主人も司祭殿も、『人間』に他ならない。どちらも自分勝手で、他者の事など顧みないからである。


 主人は寝室の戸を開ける。お先に、と吾輩は部屋に入り、布団の上に蹲る。今日は心なしか少し冷える。主人で暖を取るしかない。主人が布団に入るのを待ったが、今日は何故かベッドに腰掛けた。


「あいつ、むかつくよねー。でかくて、見下ろしてくるし最悪」


 そういって、主人は吾輩の頭を撫で始めた。眠いし、早く満足して布団に入ってほしい。暴れると長引くだろうから、渋々受け入れてやった。


「でもまあ、一応、友達、なのかなあ」


 急にしおらしいことを言い始めた。主人にしては珍しい。つい、聞き耳を立ててしまう。その様子がばれたのか、ふと、主人が微笑んだ気がした。


「そうだ、いいものを見せてやろう。わたしとあいつと、そのほか諸々のちょっと恥ずかしい絵を見せてやろう」


 主人は急に体をひねり、ベッド脇のサイドテーブル、その引き出しを開いた。


「じゃーん、これ、写導画っていうんだよ。絵だけど絵じゃないよ、魔法で、その時のその瞬間っていうのをさ、ばしゃ、と一瞬で絵にしちゃうの」


 じゃあそれはもう絵ではないか、という突っ込みはともかくとして、主人が見せつけてきたのは、一枚の紙切れ、否、写真であった。なるほど、異界であれば魔物もいて魔法もある。そして、前世現世関わらず、便利な物があれば、使い方はどちらも同じらしい。即ち、これは魔法で撮った写真なのだろう。なんと、その紙切れには克明に、白黒で複数人の影が写されていた。どこか、景色のいい湖の前だろうか。遠景に山も映るそこで、三人が突っ立っている。


「これがね、詐欺勇者」


 あんまりな紹介で、主人は写真の中の少年を指した。大した鎧もなく、かなり自然体に構えている。一瞬、剣すら下げていないように見えるほどだった。


「で、このでっかいのが剣士」


 背の高いその人型は、甲冑で全身を固め、顔すら知れない。巨大な剣も携えていた。しかし、きちんと背筋を伸ばし、どっしりと構えている。その堂々たる立ち居は、写真越しでもどきりとする。その姿は今日聖堂を訪れたあの司祭殿の姿を彷彿とさせた。吾輩は、なるほど、と理解した。


「これが、魔法使い。くそじじい」


 くそじじいは写真の中央で一番目立っている。杖を地面にかっ、と突き立て、踏ん反り返っている。


「それでね」


 えーっと、と主人の指先が写真を泳いだ。そして、勇者の陰にひっそりといる小さな姿を、主人は見つける。


「これが、聖女」


 写真の聖女殿はかなり縮こまってそこにいた。隠れているようだった。最初は気付かない程だった。写真の聖女殿をじっくり観察した後、つい、吾輩は主人を見上げた。


「これが、嘘吐きだらけの第四十四期義勇魔界行方不明者捜索隊。まあ、本当はもう一人いるんだけどね」


 急に、主人の口から、普段とは想像も付かない、厳つい言葉が飛び出して、眠気も飛んでしまった。魔界、何と言ったか。


「懐かしいなあ。好い思い出なんて一つも無いけどね。わたし、色んな所に行ったんだよ。それこそ、旅だったのかもしれないね」


 またしても驚いた。この生来出不精に見える主人が旅などとは。主人はぎゅっと吾輩に身を寄せた。


「好い思い出は一つも無いけど、それは、あいつらが悪いんだよね、きっと」


 そんなことより、自分を勇者一行の中の一人に数えている主人の神経が知れなかった。もう一度、写真と主人の顔を見比べようと思ったが、さっきより距離が近いので、吾輩には乳しかわからぬ。そんな邪魔な爆乳はこの写真にない。写真の中の聖女殿は、詐欺勇者の身長よりも遥かに小さいし、随分と幼く見える。何年前の写真かは知らぬが、成長とは恐ろしいものである。ちょっとこの乳をつついてやろうかと思ったとき、主人は吾輩を撫でながら、姿勢を変えた。どうやら、吾輩の顔を覗きたかった様子。


「旅って、あなたとなら、違うかな。楽しいかな」


 それはわからない。しかし、異界においての旅、というのは気になる。せっかく異界に来たというのに、吾輩はまだその神髄を知らない。


 主人は吾輩を撫でて止まらない。今は吾輩の様子を見て撫でているためか、そこそこ上手く撫でる。しかし、諄い。フムン、と思案し、吾輩は一言、無意味に、


 みー。


 と泣いてみた。どうだろう。これはもう、主人の解釈に委ねようと思った。

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