第9話 友人
「え、何その生き物」
司祭殿は口をあんぐりと開けて吾輩達を見た。無論、真に驚く理由は、吾輩を家族と宣い、掲げるその精神であろう。本当に家族と思うならば、吾輩に蛙なんぞ食わしたりはしないからだ。
「家族!」
しかして、主人はもう一度そう言い放った。もう勝手にしろ、と吾輩は一笑に付した。
みー。
「今それ、泣いたの?」
「たまに泣くよ。今のは、『その通り』って意味。わたし達は仲良しだからね」
主人は自信たっぷりに言う。
「なんて言ったか分かるの?」
「勿論。家族だからね」
これだから人間はしようがない生き物である。呆れ果ててものも言えぬ。
「その生き物、何? 見た事無いんだけど」
「さあ。知らない」
そういえば、主人は吾輩を拾った時も、見た事が無い、と言い切っていた。そして、名前をネコとした。既に察しの通り、やはりこの異界においては猫という生き物はいないらしい。
「ケヌに似てるけど、そうでもないみたいだし。魔物じゃないの?」
ケヌ?
「確かに森で拾ったけど、魔力は感じない。多分生き物。それに、めっちゃ可愛い」
「それは……わかるけど」
興味深そうに司祭殿は吾輩を覗き見る。吾輩は前世より視線が少々苦手である。思わず顔を逸らした。
「目が水晶玉みたい。手もふわふわ。爪はないの?」
「あるよ。でも何故かいつも隠してる」
好きで隠しているわけでは無い。吾輩の爪、元より猫の爪とはそういう物である。それよりも、いい加減、抱かれ続けて熱い。司祭殿を警戒してか、主人はいつもよりきつく吾輩を抱く。故に、吾輩の体は主人の乳房に大分埋もれているのだ。
「ちょっと貸して」
「やだ。家族だから」
家族ならこの姿勢を止めてほしい。
「意地悪。見せびらかすつもり? だから男できないのよ」
「要らないの。っていうか、わたしは人間全部嫌いです」
言い切った。大したものである。しかして、主人こそ人間の醜悪極まりない所がよく出ているので笑止である。
「あらそう。それより、その家族、そろそろ熱いんじゃない? あんたの胸で潰されちゃう」
よく言った。吾輩は首肯したい気持ちに駆られた。
「別に? 大丈夫だよね」
全然大丈夫ではない。主人は吾輩を覗き込んだ。ええい、面倒である。それでも、主人の心中に迷いが生まれたと見え、腕の緩みに乗じて、吾輩は爆乳を蹴り腕を搔い潜って床に着地した。吾輩を捕まえる事には長けている主人も、こうして不意を突いてしまえば他愛のない。と、思ったが、今度は大きくがっしりとした、司祭殿の手に嵌ってしまった。いつの間にか吾輩の進行方向に割っていた彼は、実にあっさりと吾輩の胴を捕らえた。
「ほら、こっちに来たでしょ。やっぱりつらかったんだから。ねー?」
姿勢に問題があったことは同意する。しかし、司祭殿に駆け寄ったわけではない。逃げ出したかったが、男の腕力に勝てる筈も無く、司祭殿は吾輩を捕まえたまま席に戻り、膝の上に乗せて撫で始めた。もう一度暴れようとしたが、無駄骨だった。あの鍛冶屋の甥に迫る勢いだ。しかも、何故か全身で感じる強者の気配に、体が強張る。
「駄目だって、下手に撫でたら引っ掻かれるよ」
「どこがでしょう」
吾輩は今、司祭殿に撫でに撫でられていた。これがかなり、猫の好い所を撫でる。主人は勿論、鍛冶屋の甥とも違う。ブラシとはまた異なる心地好さが全身に行き渡る。そもそも、主人が吾輩を撫でるときは爆乳越しで何も見えていないことが多い。これは仕方のない事だった。司祭殿の方が我輩の様子を見て的確に撫でるのだ。
「なんか、ごろごろ音が鳴ってる気がするんだけど」
そういえば、吾輩の喉からそんな音がする。だが、腹と一緒で勝手に鳴るから止めようもなかった。
「そうなの? わたしが撫でている時はしないから、怒ってるんだよ」
適当な講釈を主人は述べた。つくづく自分勝手な女である。何か言ってやりたい気もしたが、だんだん意識が遠のいていく。そういえば今日は天気がいい日であったし、朝からどたばたして昼寝をする暇もなかった。そうしている内、欠伸も出てしまう。
「見て! 眠いって! 相当気持ち好いみたい」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
主人の未練がましい情けない言葉を最後に、吾輩の意識は途切れた。ふと、家族とは何だろう、なんて、柄にも合わぬことが、一瞬脳裏を過った。
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