第8話 問答
司祭殿の後ろには、どうやら護衛と思しき、剣を下げた男が二人いた。しかし、不思議なことに司祭殿の方が余程強そうであるのには閉口した。それは身長のこともあるが、何よりその堂々とした立ち居に、吾輩ですら猫背を止めて、ぴん、としてしまいそうになる。なるほど、司祭殿と呼ばれるだけの事はあると感心した。
「下がってよい。しばし、見習いと話す事がある」
司祭殿は落ち着いてそう伝え、人払いをした。護衛の騎士はぴりっ、と背筋を伸ばし、音を立てて踵を揃えてそれに応え、そそくさと聖堂を出ていった。聖堂に沈黙が流れた。
「ではまず、この半年で祝枝を受けた子の数は」
重々しく司祭は言う。主人は床を向いている。視線を合わせず、そのまま壇の傍の棚から紙を取り出し、司祭殿に渡した。
「五名です。元気な男の子四名と女の子一人です。更新が必要な家系はこちらに。また、葬儀は一件。全て、恙無く進行しました」
「結構。見習いにしては上等だ」
司祭殿はぺらぺらと紙をめくって中身を確認した。
「頂いたお気持ち、はこちらにございます」
さらに、主人は箱を手渡した。微かな音から、吾輩にはそれにお金が入っている事を察した。なるほど、なんらかの宗教行事で、赤子に儀式を行って金をせびり、人が亡くなればそれはそれで金を奪う、そういう仕組みか、と吾輩は理解した。宗教の常である。司祭殿はそれを受け取ると、中を開けて確認する。
「確かに。仕事はしっかりとしているようだな」
「勿論です、司祭様」
主人にしては珍しい態度に、吾輩は内心驚いた。こんな態度もできるのかと感心する。
「主は常にわたし達を見守っています。それに恥じぬよう、聖女として努めております」
しかし、評価を改める必要はなさそうだ。適当な掃除に昼寝転寝。こうしていけしゃあしゃあと嘘をつけるようでは、異界の神様も大したことはないと知れた。
「わかりました。これからも励みなさい。他に気になる事は? この町の人々はあまり我らの教義に興味は無いようだが」
「確かに興味を持たれる方は少ないですが、主は常にわたし達を見守っています。いつかきっと、皆様にも伝わると信じております」
「よろしい。他には?」
「ほ、か?」
主人は斜め上の天井をぷらーん、と見上げた。しばし、沈黙が流れた。
「町の富豪からの寄進や寄付は?」業を煮やして司祭殿は問う。
「食べ物ならたくさん貰っています。蛙と痛んだ野菜を主に」
「祭事は?」
「週に一度、集会を開いています」
「その時に写本を売ったりは?」
「売れません。埃を被っています。集会も、何もなければ誰も来ないので、人を呼ぶためにお菓子を配っています。なので、本当は集会なんてやらない方がいいです」
あまりにも堂々とした物言いに、吾輩の方が恐怖する。もしも司祭殿の手に剣などがあれば、主人の首が跳ぶ姿が容易に想像出来た。
「他に祭事は? 町の収穫祭に参加するとか……」
「しません。どうせ泥を投げつけられて終わりですよ」
「塾を開いたりとかはしないのかね」
「親が子供をこんな所に連れて来ないですよ」
司祭殿の拳が石礫の如くきつく結ばれ、震えている。だというのに、主人は能天気に喋るものだから、どちらが恐ろしいのか分からなくなって来た。
「でも、森の管理はしていますよ。だから、町の人とも、それはそれは仲良しです」
嘘八百である。
「もういい。全く」
「エヘヘ」
ふざけた笑い声で主人は答える。そろそろ止めた方がいい、吾輩は他人事ながら足踏みしてしまう。
「それよりさあ、そっちこそ、仕事は順調?」
吾輩は今度こそ本当にぞっとした。こんな強面の対手に向かってどうしたのだろうか? 気になって壇から顔を出す。主人はすでに席に腰掛けだらけきっている。司祭殿はじっと眉間に皺を寄せ、主人を睨んでいる。
「大丈夫大丈夫。二人とも馬車に戻ったよ。足、疲れるだろうからねー」
「そう。なら、もういっか」
吾輩は目を丸くした。急に司祭殿の言葉も軽くなった。そして、にこにこと微笑みながら、聖堂の席にどっかりと座った。
「前よりもしっかり問い詰めるようになったじゃん。ジョブチェンジは大成功かな」
「まあねー。でも毎日大変。わたしの担当の範囲でも、何十人もいるの。それをこうやって回って面倒見るの。最悪」目をぱちくりさせて司祭殿ははあ、と息を吐く。さっきのしかめっ面も一緒に吐き出してどこかに行ったらしい。まるで別人のような柔らかい表情を浮かべていた。
「いいじゃん。夢だったんでしょ。このお仕事」
この投げ掛けに至っては、不思議な事に、主人の憧憬さえ含んでいる気がした。
「そりゃ、そうだったけども。でも疲れるもんは疲れんの。こういう時こそ奇跡、起きてほしいんだけど。なんかもっと手軽に、ばばーん、てやってくれないかな」
司祭殿は手を振り回してお道化て見せた。主人は、ははは、と笑った。
「奇跡なんてあるわけないじゃん。全部見せかけばっかだよ。あんたが、いや、わたし達が一番よく知ってるでしょ」
どうやら、司祭殿と主人は旧知の仲らしい。
「だからこそ、じゃない。わたし達が一番間近で奇跡を、っていうか、わたし達が奇跡を起こしたの。そうでしょ」
「奇跡なんて一つもない。嘘と欺瞞と粉飾じゃない。皆、騙されたの」
主人は不服そうであった。ふと、主人が人間嫌いなのは、もしかしたら過去に何かあるのかもしれない、と感じた。となると、この男が主人の過去をよく知っているに違いないのだ。なんとなく惹かれて、吾輩は耳を文字通り傾けた。
「でも、騙されて好かったでしょう」
「そうかな。どうでも好いや」
「皆、あれで人生が変わったの。わたしも。それで好いじゃない」
「どこかの勇者様は四回離婚して子供の数が七人になっても?」
「いいえ。勇者様は最近、九人目の子宝に恵まれました。六人目の奥様です」
「最ッ低。やっぱあいつ、殺しておくべきだったんじゃない? 皆でなら出来たよ」
主人は舌打ちした。しかし、そんな事は気にならない。勇者、という異界めいた言葉に、吾輩の心臓は高鳴った。
「駄目。これで世界は平和になったんだから」
「そうかなあ。あいつはやっぱり牢屋がお似合いでしょ。向いていないよ」
「そんな事よりあんたも。こんなところで聖女ぶってないで、そのでかい乳で男でも引っ掛けた方がいいんじゃない。化粧もちゃんとしたら、変わるよ。わたしならそうする」
司祭殿の言葉に、主人は大きく溜息をついた。
「急にそういうこというのがあんた、やっぱ男だよ」
そしてやれやれ、と首を振る。
「違う違う。女でも言うでしょ。あんた、友達いないから」
「むかつく。っていうかね、そうそう! わたしね、家族出来た!」
急に元気になって、主人が立ち上がった。家族? 吾輩が思わず人らしく首を傾げていると、目の前に巨乳が迫ってきた。そういえば吾輩の背後は壇であり、逃げ場が封じられている。猫の瞬発力を使う前に、あっさりと捕まってしまう。
「どうだ! これがわたしの家族! 名前はネコ!」
そういって、誇らしげに吾輩を、主人は掲げた。
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