第7話 来客

 吾輩の私物が増えるのは、充実感がある。少し前から緑色の少し深めの皿は吾輩の給餌に使われるようになり、先日の一件で毛だらけになったブラシもまた然り。あの日以来、主人は度々それで吾輩の毛を梳くようになった。相変わらずぞっとはするが、悪い気はしない。


 故に、最近は主人が吾輩のブラシを持ってふらふらしているのを見ると、つい寄ってしまう。主人は元よりブラシを持っているのだから吾輩を梳く気でいる。ウィンウィンというやつである。


「よし、これで完璧。おしゃれさんだね」


 そういって最後、吾輩を撫でまわし、さらにそのまま脇を掴んで運んでいく。珍しく吾輩を聖堂に連れてきた主人は、壇の影で立ち止まる。そして、隠すように吾輩を設置した。


 聖堂には八木式アンテナのようなオブジェの前に壇があり、その壇の前に向かい合うように席が三列並んでいる。そうして、主人は普段、週一回ほどやってきた人々へ説法などしている。その時間はさすがに主人も吾輩を聖堂に入れようとはしないため、異界の教義が何を信仰しているかは今もわからぬ。


「今日はね、お客さん来るんだ。あんまり好きじゃないけど」


 未だ嘗て、主人が好いている人間というのをついぞ見た気がしない。その逆も然りである。吾輩は黙ってその言葉を聞いていた。なるほど、最近吾輩をよくブラシで梳くのはそういう意味があったのか、と理解した。客人に吾輩を見せるにあたって、要らぬ毛だらけではすまぬ、ということだろう。猫がよく毛を散らすのは知っている。壇に跳び乗り、聖堂を見渡すと、窓もドアも閉まっている。どうやら本格的に吾輩を紹介するつもりだった。


 故にか、主人はこの日、珍しく聖堂の掃除に忙しかった。普段の怠け具合が嘘のようであった。壇にいるのに飽きて、吾輩が窓に前脚の肉球を押し付けようものなら、大声で怒鳴り、慌てて窓を拭く始末。


 やがて、掃除するところもなくなったのか、そわそわと席に座ったり立ったり、吾輩を撫でたり撫でなかったり。吾輩も暇を持て余し、主人の爆乳を踏んでも、今日ばかりは何も言わない。


 だが、吾輩の鋭敏な聴覚が、聖堂に近づく不気味な音を捉えたとき、主人も珍しく、機敏に背筋を伸ばした。そして、吾輩をもう一度壇の後ろに置いた。しー、と、唸り、吾輩に静粛を求める。悩んだが、一先ず主人の顔を立ててやることにした。吾輩は檀の後にぴたりと身を張った。が、やはり、どんな人物が現れるのかは気になる。そこで、横から、こっそりと目鼻を出してみた。


「やあ、ご機嫌麗しゅう。聖女見習い、アジトロ・ナナリン」


 聖堂の大きな扉を開けて入って来たのは、ドアの高さすれすれの身長、そして、岩のようなしかめっ面の大男であった。主人は浅黄色のケープを羽織っているが、この男は紺であった。きっと、階級が上がるにつれて暗くなるに違いないと吾輩は思う。


「お久しぶりです、ダリラ・ミガレイ司祭」


 主人は畏まって答える。主人は乳房以外は小柄な少女である。しかし、その大男、司祭殿の大蝦蟇のような態度を前にすると、もっと小さい、まるで池から出たての雨蛙のようだった。

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