第4話 吾輩は

 主人の聖堂に来る客と言えば、子連れか老人ばかりである。しかし、最近になって彼らを観察しているうち、週一回ほどは聖堂で集会をやっていることが知れてきた。


 早朝、二度寝の最中目が覚めた。原因を探ると、聖堂の方面が随分と五月蠅い。祭りでもあったのかと家宅から聖堂へ顔を出すと、主人が何やら壇の前に立って説法をしている様子だった。だが、珍しく扉がぴったりと閉まっていて、窓から覗き見た景色しかわからない。それに、集会と言っても、十人ほどが黙って聖堂で座っているだけである。人望の無さが窺える。一人がうっかり欠伸をしたかと思うと、皆が皆、手に持つ本に本に顔を埋め始める。吾輩もそれに倣って大欠伸をした。


 この聖堂の場所も、近隣の村か町から随分と離れているのは、吾輩も察する所である。少なくとも、土地勘のない吾輩がそちらへ行くのを憚られる距離だ。


 明くる日、聖堂が集会でもないのに騒がしいとあれば、吾輩の興味も湧くというもの。薄ら開いた扉の隙間から、こっそり覗いてやった。すると、ついぞお目にかかったことがない、筋骨隆々の大男が、主人を堂々見下ろしていた。短く刈り込んだ頭に、血走った瞳。魔物めいていた。


「町の奴は皆、困ったことがあったらここに行け、と言っていたが、何が解決するんだ?」低い声で男は言った。


「はい。キャルタの聖堂は全ての人々に等しく、救済を与えます。光の鳥はやがて、この地上の枝に……」


「そういう御託じゃねえんだよ。飯も金もここなら出るんだろうな!」


 男の大声は聖堂の窓ガラスをびりびりと揺らした。吾輩も思わず耳を伏せる。傍若無人である。躾が成っていないと見た。


「ちっ。信心が足らないのはこれだから……」しかして主人も主人だった。舌打ちして何かをごにょごにょと口走る。


「なんか言ったか? おいあんた、キャルタの聖女様だろ?」


「失礼かもしれませんが、町であなたのことはお見かけしたことがありません。最近町に来られたのでしょうか」


「俺は鍛冶屋のロバンだ。最近仕事があるからってここに来た」


「町の鍛冶屋にはムートロさんがいらっしゃいましたが……」


「ムートロは俺の叔父だ」鍛冶屋の甥は鼻息荒く言う。


「キャルタの聖堂は全ての人に開かれています。わたし達は皆等しく、地上の枝から来た隣人です。まずはムートロさんを頼ってはいかがでしょう。家族と手を取り合うことは、枝に運ばれた先の祝福につながります。叔父様の幸せのためにも……」


「その叔父から家を追い出された。お前がなんとかしろ」


「ムートロさんは温厚な人です。一度きちんと話し合えばわかりあえるはず……」


「話し合う? あいつの顎なら殴ったときはずれちまったぜ。人のことをでくの坊呼ばわりするからだ」吾輩は閉口した。何があったかはわからぬが、暴言に暴力とくれば、最低でも両成敗であろう。


「おかげで家を出されて行く宛てもない。テイターに訊いたらここに行けば好い、だとよ」


「はあ。なるほど、君も『蛙』ってわけか」主人は見るからに肩を落とした。


「話し合いこそが、祝福の……」一つ咳払いして主人が言う。


「知るか。役立たず」


 鍛冶屋の甥は主人の肩を押した。乳以外は年相応の主人は、不釣り合いな爆乳を揺らしながら、一歩二歩と後ろに下がった。男は目を細めた。


「だが、いい場所を紹介されたな。ここ、誰も来ないだろう。ド田舎の聖堂じゃ、誰も礼拝には来ないだろうしな。顔は芋臭いし髪も黒いし短いが、よく見ると体は中々愉しめるんじゃないか」


 下賤な視線が主人に注がれる。主にその乳房に、である。主人は体を斜めにし、その身を守るように自身の両肩を抱いた。


「何やってんだ? 聖女様だろ。良く見せろよ」


 男がその泥や土に汚れた、汚く太い手を伸ばす。吾輩は思案した。

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