第4話 謝罪


 引田ひきたは午後の授業には普通に出席していたが、不機嫌さを隠すどころかあからさまに浜野はまのやその周りの女子を睨みつけていたので、教室内には緊張した雰囲気が漂っていた。

 一方で矢島やじまはまるで関係ないと言わんばかりに平然と授業を受けていた。ふざけんな、こんなピリついた空気になってるのはお前のせいなのに、なんでもっと俺たちに配慮しないのか理解できない。普通ならもっと申し訳なさそうにするだろ。

 しかし俺は内心の苛立ちを制御して次の手を考えられる人間だ。冷静な頭で矢島を追い出す算段を考えられる人間だ。今までの事実から考えて、引田が矢島に肩入れしているのは間違いない。俺には理解できない思考回路の人間なわけだから、矢島なんかにも肩入れしてしまうんだろう。

 だったら矢島も引田もこの教室から追い出せばいい。昼休みのことであの二人が仲が良いというのは浜野もわかっただろう。引田が井口を殴ったという事実があれば、浜野を焚きつけるのは簡単だ。



 午後の授業とホームルームが終わり、放課後になった。

 そういや、井口いぐちはどうしてるんだろうか。後でメッセージでも送ってやるか。その辺の気遣いもちゃんとこなせるのが普通の人間であり、矢島たちに欠けているものだと思う。

 とはいえ連絡するのは家に着いてからでいいだろう。早く帰ろう。


 学校から出て、近くの商店街に入る。いつも帰り道に使っている道だが、俺からしてみたらこんなシャッターだらけの商店街なんてさっさと潰れてしまえばいい。こんなものが残ってても価値はない。

 寂れた商店街なんて見たくもないので、スマホのゲームを攻略しながら歩いていた。


「……あれ、灰崎はいざき。今帰りか?」


 突然声をかけられて顔を上げると、そこには顔にガーゼを貼り付けた井口が立っていた。なんだ、思ったより傷は浅そうだ。丁度いいからここで声をかけておくか。


「おう、井口。お前大丈夫か? もう病院行ったんだよな?」

「大したことはねえよ。多少腫れたくらいだ」

「そうか。でも、引田のヤツ許せねえよな。お前は何も悪くないのに、いきなり殴られたんだぜ? アイツ絶対頭おかしいよな」

「……」


 井口を気遣って言葉をかけているのに、なぜかその顔は曇っていた。なんだよコイツ、こんなに恩知らずなヤツだったか?


「まあとにかく、これで引田も矢島もやばいヤツだってお前もわかったろ? アイツら理解できないよな」

「……もういいだろ。俺と引田は和解したんだ。その話は蒸し返すなよ」

「は?」


 そういえば矢島も『引田と井口は和解した』と言っていたような気がする。どうせ表面上は和解したように見せたのだと思ってたが、コイツ本当にこのこと水に流すつもりなのか?


「何言ってるんだよ? あんなわけのわからねえヤツにいきなり殴られてこのまま放っておくのか? それともお前、引田にビビってるのか?」

「いきなり殴られたも何も、先に矢島にあらぬ疑いをかけたのは俺の方だ。それを見過ごせなかった引田は俺を殴った。先生たちにもそう説明したし、引田にも処分は下さないって結論になった。だからもうそれで終わりだ」

「いやいやそれはないだろ。お前だって矢島のことムカつくって言ってたじゃんかよ」

「ムカつくとは言ってねえ。汚らしいヤツだと言った覚えはあるけど、本人にそれを直接言うつもりはねえよ。とにかく俺は矢島にもうちょっかいかけるつもりはねえ」

「なんだよお前、そんなこと言うのか? お前……」


「『理解できない』か?」


 言おうとしたことを先に言われて、思わず口をつぐんでしまった。


「お前がこういう時になに言うかなんてだいたい予想つくんだよ。俺をけしかけて矢島を排除するつもりだったのもお見通しだ。とにかくお前の目論見はもう崩れたんだ。何もしなくたって、高校卒業すりゃ矢島とも引田ともすぐに距離を置けるんだから黙ってろよ」


 なんだコイツ。ふざけんなよ、せっかく俺が気遣って声をかけたのに、なんて言い草だよ。


「心配しなくても、明日は学校に行く。そこで事情も説明するから待ってろ」


 そう言って、井口はさっさと帰ってしまった。




 翌日。

 宣言通り、井口はいつもより早く学校に来ていた。顔に貼られたガーゼを見て、浜野や他の女子たちが心配そうに取り囲んでいる。


「井口くん、大丈夫? 痛まない?」

「なにか困ったことがあったら手伝うからね」


 女子たちに言葉をかけられても、井口は生返事するだけで何か別のことを考えているように見えた。昨日からコイツ、なんかおかしい。

 すると矢島が教室に入ってきて、いつも通り席に座ってスマートフォンを操作し始めた。それを見た井口は、どこか意を決したような顔で矢島に近づいていく。

 おっ、やっぱり矢島のことは許してないのか? だったら応援してやるぞ。


「矢島」

「あ、おはよう、井口くん」


 顔を上げて挨拶する矢島に対し井口は……


「……すまなかった」


 頭を深々と下げて、謝罪の言葉を口にしていた。


「え? 井口くん?」


 浜野が目を丸くしている。かくいう俺も気が付けば口を開けて固まっていた。

 なんで謝ってんの? 井口が、あの矢島になんで謝ってんの? 理解できない。

 だから俺は、言ってしまった。


「おい井口、なんで謝ってるんだよ?」


 当然だ。井口が謝る理由がない。矢島が謝ることがあっても、井口の方が謝ることはないはずだ。

 そんな俺に対し、井口は冷めた顔を向けた。


「なんでもなにも、矢島を証拠もなしに疑ったからに決まってるだろ。わからないのか?」


 そんなことでなんで謝るんだ。相手は矢島だぞ。謝る必要なんてない。

 だが井口はそれ以上俺を見ることなく、再び矢島に向き直った。


「俺はお前がスマホ泥棒だと根拠もなく疑った。だからそれにキレた引田に殴られた。引田と俺は和解したが、お前にはまだ謝ってない。だからこの場で謝る。俺が悪かった」

「あー……うん。ありがとう。でも、もう気にしてないから大丈夫だよ」


 矢島は井口に対して余裕を持った笑顔で対応している。なんだよコイツ、調子のんな。


「もしよかったら、今日は学食で何か奢らせてくれ」

「え、いいの!? じゃ、お願いします」

「ああ」


 なんでだ、なんで井口はこんなことしてるんだ。

 納得いかない。理解できない。できるはずもない。


 だが俺の困惑をよそに、井口と矢島は楽しそうに笑っていた。

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