6. あの日の僕ら2 81~85


-81 病床で-


 ベッドから落ちてから何時間が経っただろうか、そんな事を思いながら守はゆっくりと目を開けた。自分のいた病室とは全く違う色の天井、そして鳴り響く電子音といつの間にか自分に取り付けられた呼吸器。どうやら救急治療室へと運ばれたらしい。


守「今、何時だろう・・・。」


 時計を見ようと体を起こそうとしたが体に力が入らなかった。

 そんな中、守が目覚めた事に担当の看護師が気付いた。


看護師「あ、おはよう。宝田君、やっと気が付いたのね。」

守「おはようございます・・・、今何時ですか?」

看護師「朝の7時だけどどうしたの?」

守「昨日の麻婆豆腐食いそびれたな・・・、って。」

看護師「そんな事を考えてたの、じゃあもう心配いらないわね。」


 守は再び体を起こそうとした、しかし未だに体に力が入らない。


守「看護師さん、動けないんですけど。」

看護師「そりゃそうよ、麻酔が抜けきっていないからね。もう大変な手術だったのよ、毒が全身に回ってたから完全に抜くのに10時間以上かかったのよ。」

守「10時間ですか?!」


 想像以上の大手術になっていたらしい、ただ守は気になる事があった。


守「あの、光江さんは大丈夫なんですか?」

看護師「光江さん?小比類巻さんの事?」

守「はい、昨日ぎっくり腰になったって聞きまして。」

看護師「いえ、昨日も普通に働いてたわよ。ベッド横で倒れていた宝田君を見つけたのも小比類巻さんだし、確か今日ももうすぐ出勤してくると思うけど。」


 看護師は何か大切な事を忘れている気がして仕方がなかった、数秒程考え込んだ後に懐から1通の手紙を取り出して守に手渡した。

 手紙を受け取った守は封筒をひっくり返しながら見てみたが差出人の名前は無かった。


看護師「何?彼女から?」

守「いえ、彼女とは手紙のやり取りはした事が無いんで。」


 看護師のジョークを軽く流した守は封筒の中身を取り出した、中の紙には書かれていたのはたった一言だった。


「宝田 守 お前の事はいつでも殺せる、これは宣告だ。」


 守の横から手紙を覗き見た看護師は顔が蒼ざめていた。


看護師「誰よこれ、怖いじゃない・・・。」

守「自分も全く分からないです。」


 震える看護師の肩に看護師長が手を乗せた、もうすぐ朝礼の時間らしい。


守「師長さん、最後に1つだけ聞いても良いですか?」

看護師長「勿論、どうぞ。」

守「光江さんはいつ自分の事を発見したんですか?」

看護師長「確か・・・、そうそう。貴方の食事を部屋に運んだ時だったと思うわよ、内線で担当の先生が聞いた時には相当焦ってたみたい。」


 当然だ、人が倒れている場面を目の当たりにして冷静を保てる人なんている訳が無い。


看護師長「手術で相当な量の血を吸い出したって聞いたから目覚めるまでまだかかるかと思ってたけど無事に目を覚ましてくれて嬉しいわ、体の方は大丈夫?」

守「今は・・・、何とか。」

看護師長「それにしてもいつの間に侵入して制服まで盗んだんでしょうね、この病院もセキュリティを考え直さないとね。じゃあ、そろそろ行くわね。」


 看護師長がその場を離れてから数分後に担当医がやって来た。


担当医「おはよう、体は大丈夫かい?龍さんから君の事頼まれてるから焦ったよ。」

守「おはようございます、すみません。いつもの看護師さんとは別の人に変わっただけと思って普通に食べたらこんな事に。」

担当医「謝らなくていいよ、それともうすぐ龍さん来るから。」


-82 担当医の正体-


 守の顔色を見て一安心した担当医は念の為に触診と聴診器による診断を行った。


担当医「うん、もう大丈夫だね。麻酔も抜けて来てるから安心してね、もう少ししたら部屋に戻れるからね。」

守「良いん・・・、ですか・・・?」


 守が少し曇った表情をしていたので担当医は少し機転を利かせてみる事にした。


担当医「何だい、部屋に戻りたくないのか?それとも俺の娘と付き合っているってのにお気に入りの看護師と浮気しようってのか?」


 担当医の言葉に驚いた守は、担当医の名札を見た。顔写真の横には確かに「森田」の文字があった。


守「す・・・、すいません。全く気付かずに!!」

担当医「ハハハ・・・、冗談だよ。改めまして真帆と真美の父親である「亮吾(りょうご)」です、宜しくね。」


 守が何処から何処までが冗談なのか分からなくなっている中、亮吾は右手を差し出した。どうやら握手を求めているらしい。


守「動くかな・・・。」


 先程まで体に全く力が入らなかった守は不安になりながらゆっくりと右手に力を入れた、右手に確かな感覚があった事で少し嬉しくなった守は恋人の父親の手をしっかりと握り返した。自分を死の淵から救った手は守にとって温かく、大きい物だった様だ。


守「有難うございます、先生・・・。いや、お義父さん!!」


 涙をこぼす守の前で亮吾は再び笑った。


亮吾「ハハハ、君は気が早いな。俺はそういう奴、嫌いじゃないけどね。さて、行こうか。」


 亮吾はそう言うと数人の看護師と共にベッドごと守を元の病室へと運んだ、窓から差し込む陽の光が見慣れた景色を照らしていた。

 守はリモコンでベッドを起こすと例の宣告の事を思い出して考えた。


守「このままじゃ俺だけじゃなくて真帆にまで危険が及ぶな・・・。」


 不安になっている守の下に龍太郎が手土産を持ってやって来た。


龍太郎「おう、大変だったらしいじゃねぇか。どうした、浮かない顔して。」


 守は宣告の書かれた手紙を龍太郎に見せた。


龍太郎「義弘派閥の奴からか?」

守「うん、多分俺に毒を盛った際に置いて行ったと思うんだけど。」


 龍太郎には1つ、確認しなければならない事が有った。


龍太郎「でもよ、2人共今はムショの中だぜ。どうやってそんな事は出来んだよ。」


 守は頭を掻きながらある事を思い出した。


守「実は昔母ちゃんが言ってたんだけど、義弘派閥は2人以外に何人かいるみたいなんだ。」


 守の言葉に驚愕する龍太郎、実は長年義弘関連の事件を追っていたが義弘派閥はずっと2人だけだと思っていたのだ。


龍太郎「すまんが、詳しく聞かせてくれねぇか?」

守「悪い、俺も母ちゃんも余り知らないんだよ。義弘派閥の情報は結愛でも知らないって言う位だから。」

龍太郎「そうか・・・、悪かったな。」


 頭を下げる龍太郎に病室の出入口の方向から声を掛けた者がいた。


声「あまり娘の恋人を困らせないでくれるか?」


 そう、声の正体は守の命の恩人である亮吾だった。


-83 愛情の度合い-


 守の命の恩人は事件の詳細を尋ねようとする警視総監を引き止めた、この時に至るまで2度も命を奪われかけた守の身を案じたからだ。


亮吾「守君は手術から復帰したばかりなんだぞ、今は安静にしといてやってくれ。」


 亮吾は龍太郎に注意しながらある事に気付いた。


亮吾「さっきから良い香りがするけど何だ?」

龍太郎「おっと、忘れてた。母ちゃんに怒られる所だったぜ。」


 どうやら香りは龍太郎の手土産からの物だった様だ、龍太郎が包みを開けると中には大きな水筒の様な物が入っていた。

 龍太郎は蓋を開けてひっくり返し中身を移すと守に手渡した。


龍太郎「中華粥だ、今はサラサラした物が良いだろうって母ちゃんに渡されたんだよ。」


 湯気の立つ優しいスープを一口飲んだ守は再び涙した。


守「ありがとう、女将さん・・・。龍さん・・・。」


 スープの温かさは守にとってまるで松戸夫婦の心の温かさを表している様だった、その光景にじんと来た亮吾は少し離れた所でもらい泣きしていた。


龍太郎「亮吾、何でお前が泣いてんだよ。気持ち悪いな・・・。」

亮吾「お前が泣かせるんだろうが、一体どれだけの人間を泣かせりゃ気が済むんだよ。」


 担当医が感動の涙を流す中、粥を持って来た中華居酒屋の店主は至って冷静だった。


龍太郎「お前、用があるからここに来たんじゃないのか?単に泣きに来たってんならサボりで逮捕すんぞ。」

亮吾「おいおい待てよ、お前が言ったらいくら冗談でも冗談に聞こえないだろうが。」

龍太郎「兎に角、守はいつ退院出来んだよ。」


 龍太郎に促された亮吾は手元のカルテを確認した、ただ口元から空腹と食欲を我慢しているのが目に見えた。


龍太郎「お前、もしかして腹減ってんのか?」

亮吾「実は・・・、昨日の晩から何も食って無いんだ。看護師と一緒にずっと守君の血液を吸い出していたからな。」


 自分の所為だと思った守は罪悪感から亮吾が徹夜や空腹で倒れてしまうかと心配した、しかしその心配も束の間だった。

 病室の出入口から今度は聞き覚えのある女の子の声がした。


女の子「パパ!!守は被害者なんだよ!!決して悪くないじゃん、責めないであげてよ!!」

亮吾「真帆・・・、悪かったよ。」


 娘に叱責された亮吾は改めて手元のカルテを見た。


真帆「それでパパ、守はいつ退院出来るの?」


 どうやら亮吾は普段、娘の尻に敷かれているらしい。


亮吾「まぁ待てって、経過をよく見なきゃダメだろうが。」

真帆「何、真帆に文句言うの?」


 誰よりも一番に恋人の身を案じていた双子の姉は本気の表情をしていた。


真帆「パパ、真帆の彼氏を死なせたらどうなるか分かるよね。一生パパと口利かないし、親子の縁を切るからね!!」

守「真帆・・・、そこまで言わなくても。先せ、いや亮吾さんが困っているじゃないか。」


 守の一言により真帆の怒りの矛先は彼氏に向けられた。


真帆「何で名前で呼んでんの、お義父さんで良いじゃん!!」

守「ま・・・、まだ早いと言われまして・・・。」

真帆「パパ!!真帆と守の事認めてくれたんじゃないの?!」


 真帆に責められた亮吾の汗の量は尋常ではなかった。


-84 必死な娘との楽しみ-


 亮吾は娘から投げかけられたまさかの台詞にたじろいでいた。


亮吾「い・・・、いや、そう言う訳では・・・。」


 その様子を見逃さなかった守は急いで恋人の父親の肩を持った。


守「認めてくれているみたいだよ、救急治療室で握手もしたから。」


 守の言葉に安心した真帆は大きく深呼吸して落ち着きを取り戻した。


真帆「だったら良いんだけど・・・、何かごめん・・・。」

亮吾「良いんだ、元々パパの守君を責める様な言い方が悪かったからね。」


 親子が談笑している所に警視総監が横から口出しをした。


龍太郎「亮吾、それは良いんだがお前は何しに来たんだ?まさか、昔みたいにサボりに来たんじゃないだろうな。」

亮吾「おっと、俺も用事を忘れてたから龍さんの事言えねぇな。一応守君の様子を見に来たんだけど退院の予定を伝えに来たんだよ。」


 医師の言葉に1番に反応したのは娘だった。


真帆「パパ!!守はすぐ退院出来るの?!」

亮吾「真帆・・・、焦っちゃ駄目だよ。まだ何が起きるか分からないから用心は必要だけどそうだな・・・、5日後には退院出来るんじゃないかな。」


 亮吾が言った退院予定までの期間は真帆が思ったよりも長かったらしい。


真帆「何でそんなにかかるの?」


 娘の質問に冷静に答える父。


亮吾「食事とか元の状態に慣れるまで時間がかかるんだよ、真帆が守君とデートに行きたいって毎日の様に家で言ってたのは覚えているけど守君の体の事もちゃんと考えてあげないとね。分かったかい?」

真帆「うん、真帆待ってる。」

亮吾「良い子だ、後で苺ミルクを買ってあげよう。」


 亮吾にとって真帆は何歳の扱いなんだろうか、ただ真帆にとって問題はそこでは無かったらしい。


真帆「真帆もう子供じゃないもん、大人だもん・・・。」

亮吾「うん、分かっているよ。大学も卒業したしちゃんと免許も取ったもんな。」

真帆「だから苺ミルクじゃなくて缶ビールが良い・・・。」

守「そっちかい!!」


 子供扱いしないで欲しい、もう物を与えたら許すと思わないで欲しいと言うと思っていたらまさかの物品の変更、守は思いっきりツッコミを入れてしまった。


亮吾「ハハハ・・・、そうやってツッコミを入れる事が出来たらもう退院は近いな。」


 守の言動に安心した亮吾、しかし油断は出来ない。


亮吾「でも手術をしてから間もないからいきなり常食は出せないよ、まずはお腹に優しい食事から摂って貰うからね。」

守「はい・・・、分かりました・・・。」

亮吾「どうした?何かあったのかい?」

守「いえ、ただ今夜の献立がトンカツとポテトサラダだったんで。」

亮吾「ポテトサラダはともかく、トンカツは今の君には重いと思うけどね。退院してから思いっきり食べなさい、今度美味しい串カツ屋さんを紹介するから真帆と行くと良い。」

真帆「デートの楽しみが増えたね、守。今はその為に我慢だね。」


 真帆は守の背中を強めに叩いた。


守「痛ってぇ!!先生、今のは良いんですか?!」

亮吾「愛情表現って言う事で良しとしようか。」

龍太郎「お前は相変わらず娘に甘いな・・・。」


 病室は一気に和やかな雰囲気に包まれた、これがいつまでも続くと良いのだが。


-85 離れ離れに-


 穏やかな日々が流れ、退院を翌日に控えた守は光江による検温と血圧測定を受けていた。光江が言うには両方共正常値で、守自身も食事をしっかりと摂れていると言っている。


光江「いよいよ明日だね、どう?ここのご飯不味かったでしょ。」

守「そんな事無いよ、意外とバラエティに富んでて美味しかったよ。」


 そんな2人の元にカルテを片手に持った亮吾がやって来た、担当医はいつも通り触診等を行い守の状態を確認して頷いた。


亮吾「うん、もう大丈夫そうだね。予定通り明日には退院できそうだ。」

守「先生には頭が本当に上がりません、有難うございます。」


 すると亮吾は何かを思い出したかの様に懐で何かを探し始めた。数分後、小さな紙を取り出して守に手渡した。


亮吾「はい、これこの前言った串カツ屋の地図と電話番号だ。今はまだ駄目だけど、もう少し良くなったら真帆と行くと良い。」


 亮吾が守に笑いかける中、廊下の方から大きな足音がした。足音の正体は2人の予想通りだった様だ。


亮吾「こら真帆、いくら早く会いたいからって走っちゃ駄目だろう。」

守「そうだぞ、「病院内ではお静かに」って言われなかったか?」

真帆「ごめんごめん、明日守が退院すると思うと興奮しちゃって。」


 真帆が右手で頭を掻く中、父親は2人にある提案をした。


亮吾「そうだ、今日の昼は2人で食べると良い。ここに真帆の分も持って来て貰える様に特別に言ってみよう。」


 亮吾は内線を取り出して事情を説明した。


亮吾「OKだそうだ、ただお前が持って行けって変な条件を付けられちゃったけど。」


 数時間後、亮吾がもう1人を連れて2人の元に食事を運んで来た。


亮吾「お待たせ、ゆっくりと楽しむと良い。」

守「有難うございます、こちらの方は?」

亮吾「こ・・・、この人は今俺の所で研修している学生だよ。」


 その研修医は決して名乗らず、恋人達をじっと見た。


研修医「良いですね・・・、俺も早く彼女が欲しいですよ。」

亮吾「何を言っているんだ、今は勉学に集中しろ。」


 研修医が亮吾に叱られてそそくさに出て行くと、守達は眼前の常食を食べる事にした。一先ず、横に添えられた牛乳を手に真帆が一言。


真帆「前祝しよう、乾杯!!」


 2人は明日の退院に向けて乾杯して一気に口に流し込むと、突然吐き気と腹痛に襲われ息が出来なくなってしまった。


真帆「ま・・・、もる・・・。」

守「ま・・・、ほ・・・。」


 2人の声はどんどん弱くなり、目も重くなった。そして守が再び目を開けると信じ難い光景が広がっていた、先程までいた狭い病室とは違ってそこは一面広大な草原だった。少し遠い所には高層ビルが数棟並び、もう一方では昔ながらの田園風景が見えた。

守は辺りを見回したが真帆はいない、その代わりに銀髪の男が立っていた。守を起こそうと必死に声を掛けて来ているが何を言っているのか分からなかった。


男性「・・・!!・・・!!」

守「え・・・、何言ってんの?それとここは・・・、あの世?真帆もいない・・・。」


 すると先程まで分からなかった男の言葉が分かる様になった。


男性「おいおい勘弁してくれよ、言葉が分かるなら何で最初から話さないんだ。」

守「え・・・、す・・・、すいません。頭がこんがらがってて・・・。」

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