第69話 すばる(4)

 「何も……かも……」

 のぶは声をれさせて言いました。

 でも、次のことばは、あふれるように、途切れさせることなく言ってしまいます。

 「小さいころはその水素っていうののくさりでつながれているってことも、そこから離れたらもう一人でどこまでも行くしかないってことも……」

 それから、もう一度言います。

 「怖い……」

 のぶ子は、もうすばるを見上げてはいなくて、その空輪くうりんとうのほうを向いたまま、目を伏せていました。

 顔までは伏せないで、前を向いたままがんばっているようです。

 かなえは、すっとそののぶ子に一歩近づくと、左手をその品のいい白いワンピースの後ろに回しました。

 そんなことをしたら恥ずかしいかな、と思っていた気もちは吹き飛び、右手で軽くのぶ子を抱き寄せます。

 「鎖はさ、ほどけばいいんだよ」

 そんなことばが、自分から出てくるとはかなえは思ってもいませんでした。

 でも、できるだけやさしく、それでもしっかりした声で言おうとすると、自然と続きは出てきました。

 「そして、わたしがずっといっしょに行くから。のぶ子はのぶ子で一人で行かなくてもいい。いっしょに行くからさ」

 「だって」

 のぶ子がかなえのほうに向き直りましたので、かなえもまっすぐにのぶ子のほうに体を向けます。

 「このまえ、わたしがいっしょになろうって近づいたら、逃げたじゃない?」

 のぶ子がなじるように言います。

 そんなことがあったでしょうか?

 でも、ふしぎと、かなえはのぶ子が何を言っているのかすぐにわかりました。

 「ああ、この前の昼、庚申こうしんどうで眠ってしまったときだね?」

 のぶ子は答えません。じっとかなえの顔を見上げています。

 その瞳が明るく見えるのは、涙のせいでしょうか、それとも、夜でまわりが暗いので、それだけ瞳が明るく見えるのでしょうか。

 その涙のなかにいくつもの星が浮かんでいるように見えます。

 かなえはくすっと笑いました。

 「あのときはね。その髪の毛がわたしのほっぺにちくちく当たって、くすぐったかったからだよ」

 「じゃあ」

と短くのぶ子は言います。

 「いまだって、くすぐったいよ」

 「だいじょうぶだから」

 すぐ近くにのぶ子の肩を抱きながら、かなえは安心させるように言います。

 「あのときは、まだのぶ子のことそんなにわかってなかったんだ。いまはもうくすぐったがったりしない」

 「ほんとに?」

 答えるかわりに、かなえはのぶ子の肩の後ろから、のぶ子の体を抱き寄せます。

 そう。わかってなかった。あのときは。

 いまは……。

 のぶ子はもたれかかるようにかなえに身をあずけます。

 のぶ子の着ている白くて青いドレスの色がにじみます。

 のぶ子に寄りかかられても、かなえはその体を重いとも感じませんでした。あのはね返った髪のちくちくも、少しくすぐったいと思っただけで、そのくすぐったさもすぐに消えました。

 ただ、のぶ子がつく、軽やかでゆっくりした息だけが、かなえの胸のところに感じられます。ちょっとくすぐったいと言えばくすぐったいですが、またすがすがしくもあったのです。

 青白い、ぼんやりした明かりに、かなえも包まれました。

 のぶ子を抱いていたはずの手で自分の胸をいとおしく抱きしめながら、かなえはゆっくりとまぶたを閉じました。

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