第2話 庚申(2)

 「庚申こうしんかぃ」

 石の並んでいるところを竹ぼうきで掃いていたおじいちゃんはひともとがしを根もとから見上げてゆっくりと答えました。

 「それはな、かなえ、六十日ごとに一日、庚申という特別な日があってな」

 「うん」

 「昔の人たちは、その日の夜は寝ずに過ごしたんだ」

 「寝ずに?」

 かなえは思わずきき返しました。おじいちゃんは大きくうなずきました。

 「そうだ。朝まで寝ずにだ」

 「なんで? なんで寝ないの?」

 かなえなんか、早く寝ないと体に悪いといつも言われて、夜の十一時まで起きていただけで「早く寝なさい」と何度も言われるのに。

 「それはな」

 おじいちゃんは、小さい目でかなえを見下ろし、笑いました。

 「人間の体のなかには、サンシという虫がおって」

 「あ、知ってる!」

 かなえは勢いよく言います。

 「それ、寄生きせいちゅうっていうんでしょ?」

 「そんなんじゃなぃ!」

 かなえはびっくりしました。おじいちゃんがいきなりきつい声で言ったからです。

 「そんなんじゃなぃって! そんな……そんなことを言ったらばちが当たるぞ」

 「はあ……」

 どうして体のなかにいる虫のことを寄生虫と言ったらばちが当たるのでしょう?

 保健の時間にそう教えてもらったのです。

 おじいちゃんは、その説明はしないで、つづけました。

 「なんせな、かなえ、そのサンシという虫はな、いつも、人間が悪いことをしなぃかどうか、体のなかから見張っとるんだぞ。体のなかからだからごまかしはきかん。でな、その庚申という日の夜が来ると、その虫が体から抜け出て、天というとこに行ってな、ほら、お天道てんとう様とか神様とかのいらっしゃる空の上さ。そこで、その人間のやった悪いこと、ぜんぶ神様に報告というのをするんだ。そうするとな、その報告を受けた神様がな、その人が悪いことをしたぶん、その人の命を縮めるんだ。でも、人間が起きておるとそのサンシという虫は体を抜け出せなぃ。虫が抜け出せなぃから、悪いことも神様にばれなぃ、ばれなぃから命も縮まずにすむ。だから、ひと晩中、起きてるんだ。それが庚申をお祭りする由来ゆらいだ」

 「何それ!」

 かなえは急にひやっとして、腕のところがぶるっとふるえました。

 でも、おじいちゃんははっはっと短く笑いました。

 「だから、迷信だよ、迷信」

 「ああ、なんだ。迷信か」

 かなえも笑って大げさに息をつきました。

 「昔はな、楽しみが少なかったし、昔は仕事もいまよりずっときつかったろ? だから、みんな、ふだんは夜になったらいつも早く寝てしまってたんだ」

 「わたしだって早く寝てるよ」

 さあ、どうかな、と思いながら、かなえは胸を張っておじいちゃんに言いました。

 おじいちゃんは、感心だとも、この前は夜の十二時を過ぎても起きていてなかなか寝なかったろうとも言わずに、話をつづけます。

 「でも、六十日に一度というから、おおよそふた月に一度だなぁ。それぐらいは、大人もみんなで集まって、楽しくおしゃべりしながら夜更かししたいと思うもんだよ。そのために、その夜は寝てはいけなぃという一日を作ったんだなぁ。それで、その夜は寝てはいけなぃ理由としてだな、その夜に寝ると、そのサンシという虫が体から抜け出て、悪いことが神様にぜんぶ知られてしまうって話を作ったんだ。人間、六十日、ふた月もあれば、何かは悪いことはしてるもんだからな。かなえだって、一つや二つ、悪いことはしとるだろ?」

 「うーん」

 それは、していると思います。

 夜更かしもしました、朝寝坊で学校に遅れそうになりました。学校で男の子二人を相手に大げんかしました。それも取っ組み合いで最後は相手を廊下に投げつけ合うというすごいけんかをです。学校の授業中に顕微けんびきょう用のガラスを割って、でもだれも気づかなかったみたいなので、黙って捨ててしまいました。妹のおやつのプリンを勝手に食べました。ほかにもいろいろあるでしょう。

 でも、おじいちゃんに向かって「悪いことはいっぱいやった」という気もちにはなれず、かなえは「うーん」のあと、黙ってしまいました。おじいちゃんはまた軽く笑って

「ほら、悪いことはしなかった、とは言えなぃだろ?」

と言います。いや、でも、「した」とも言ってないのに、と、かなえが言う前に、おじいちゃんは

「そんなところだよ」

と言いました。

 「ああ……ああ」

 でも、かなえはわかったわけではありませんでした。

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