庚申待ち

清瀬 六朗

第1話 庚申(1)

 六原ろくはらかなえの家の前には大きな木がありました。

 その木のことをみんなは花山戸はなやまどのひともとがしと呼んでいました。

 大きいといっても、高さは三階建ての学校の校舎より少し高いぐらいです。それでも、ここのまわりにはこんな大きい木はないので、この木はとても目立つのでした。

 ひともと樫は、木の高いところでも低いところでも枝を横にいろんな方向に伸ばしていて、それぞれの枝がいっぱいに葉を茂らせています。

 この木があるだけで、かなえの家の前は木蔭こかげで、夏の暑い日でもひんやりと涼しいと感じるほどです。

 ひともと樫は、遠くから見れば、大きい家が空中に浮いているように見えます。学校もカネマキデパートもない昔はとても目立ったことでしょう。

 それに、このひともと樫は、どんなときもさやさやとささやくような音を立てているのです。

 風が強いときには、その声は大きくなり、葉の大きな茂み全体がざわざわと騒ぎます。風が弱いときには声は小さくなりますが、途絶えることはありません。風が吹いていないときでも、ひともと樫はその葉の茂みのどこかでひそやかに声を立て続けています。木が自分の声を持って何かを話し続けているようでした。

 かなえは小さいときからこの木の声を聞いてきましたから、それをすこしでもふしぎに思ったことはないのでした。

 ひともと樫の根もとには大小さまざまな石が一列に並べて置いてあります。

 その列に並べてあるなかでいちばん小さい石でもかなえの頭よりは大きいですし、大きい石はちょっと前までのかなえの身長と同じくらいの高さがあります。

 小さい石には、何もっていないものもあり、よく読めない漢字を彫ってあるものもあり、「力石ちからいし」と彫ってあるものもあります。

 また、大きい石のなかには石碑せきひになっているものがあり、その碑には「庚申こうしん」と書いてあるようでした。なかでもいちばん大きくて立派な石には「七庚申」という文字が堂々と彫ってありました。

 その石の並んでいるところの先は広い芝生の広場になっています。その広場の隅でひともと樫の隣、かなえの家の斜め前には小さい古ぼけたお堂がありました。

 正面は木の段を何段か上がって入るようになっています。お寺のお堂のように見えますが、ここはお寺ではありませんし、おさいせん箱も何もありません。ふだんからお堂の周りをほうきで掃いたり、大掃除のときにはそのお堂の掃除をしたりするのはかなえの家の役目です。でもかなえの家の一部でもないようです。

 障子しょうじの戸に鍵はかかっていません。おじいちゃんに、どうして鍵をかけないの、ときいたら

「だって、何も盗むものなんかなかになぃだろ?」

と答えてくれました。

 そのとおりです。かなえは小さいころから何度かなかに入ったことがあります。畳が敷いてあるだけで何もありません。入るときには、こんどは何か変わったものがあるかも知れないとすこしはわくわくして入るのですが、なかの様子はいつも同じで、がらんとしていました。ただ、入り口と向かい側の窓との障子から入る外の明かりでぼんやりと明るいだけです。

 そのお堂を、おじいちゃんやおばあちゃんや、お父さんやお母さんは「庚申堂」と呼んでいました。

 「庚申」という石碑があって、「庚申堂」があります。

 でも、その「庚申」って何なのでしょう?

 小さかったころから「こうしん」や「こうしんどう」ということばをきいてきて、「庚申」という漢字が「こうしん」と読む字だと気づいたとき、関係があるんじゃないかとかなえは思いました。それでおじいちゃんに「庚申」って何なのかきいてみました。

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