第46話 ブルーシート
漆原は自身の魔術行使の傍らで、戦況の
——圭介とリン、両名の位置座標を取得……
魔術による知覚を働かせながら。
主な指揮はこの場に棺姫もいないため部下の1人に任せてあるが、状況はよく抑えられている。
被害は出つつあっても。
——敵勢力の結界と思しき仕切りを感知、その干渉と融解を開始
棺姫は今、地下大広間でアリーシャ・ドロステとの戦闘状態に移行。
アレを相手取るならばその持ちうるリソース全てを注ぎ込む必要がある。ここに分身を形成する余裕すら無いだろう。
それに、アレが上に来たなら敵の進行はこの生易しさでは済まなかった。
——敵の結界の融解を進行中、なかなか腕の良い術者……
現状、上への侵攻は6階層で食い止めている。
その侵攻がただ1人の魔術師に任されているのなら、その勢いは長く続くものじゃない。
おそらくどこかで引き下がらせ、あとは後続の部隊に任せる意図か……
——融解が完了、過去事象の召喚に移る
捉えた。情報が頭に流れ込む。
この感覚は……そうか、そうなったか。
——……
棺姫はこのことも織り込み済みか?
自身の母親になるかもしれなかった女性が死ぬことを?
いや、アレはそもそも『
「ふー……」
少し、息を吐いた。
魔術の起動に成功した事実へ胸を撫で下ろす。
何度もやっているが、本来過去や未来の操作は静的現実を根本的には変えられず、ただ局所的にそれを歪めるだけの魔術には相性が悪い……というより扱いがデリケートすぎると言おうか。
それこそ脳みそが2つでも無い限りまともに扱いたくない代物だ。
そして、目の前に影のように現れた2つの存在。
影のように象られ徐々にその姿が鮮明となる。
一方が膝を付き、もう一方が抱えられている。
圭介がリンを抱えている姿が露わになってゆく。
——なんて話そうか
それこそ何年ぶりか、彼との再会は。
その記憶を丁寧に封印し、別の情緒と人格と最低限の記憶で上書きし、その安定のためにしばらく放置して満を持して会った時にはあまりに大人しい性格を見せたので少々面食らったのを覚えている。
そして過去事象の召喚は完了。
武藤圭介と羽二重リン、両名をマンション最上階たる12階のこの部屋へ呼び出した。
そんな彼らは廃工場で行われた戦闘のせいか血でベトベトに汚れている。
リンは虚な目を天井へ向け、すでに血の気が引いており、その目をじっと見つめる圭介は落ち着くことを自身に強制するように目を離さない。
死したリンを抱える圭介。
その2人を中心に鉄臭さが部屋に充満していく。
何を考えているのか、何を思っているのか、想像するしかないが、しかし声をかけようとした矢先、ふと気付いたように彼が目線を上げ周囲をうかがった。
何人かがモニターに目をやり、状況への管制を行う、この暗い部屋を。
そして、最後にこちらへ目を向け
「漆原……お前か」
言い放つ。
表情は無い。
しかし不思議なものだ。
声はまるで違うのに、話し方が同じなだけでまったく同じ声に聞こえてしまう。
いや、人間の記憶などまさにあやふやか。
「その様子だと思い出したみたいだな」
その言葉を無視するように、リンの骸の目を閉じさせ、表情は置き去りに、丁寧に床へ寝かせてからゆっくりと彼は立ち上がる。
乾きかけた血と汗が滴り落ちフローリングの床にシミを作った。
その幽鬼めいた存在はただ黒々としてその場に
ゆっくりと歩んでこちらへと。
血が滴る。
ゆっくりとその薄汚れた手を前に、と認識した瞬間、その手が獣の顎を思わせ加速し喉を潰す勢いで掴んできた。
喉を。首を。
それに、状況の管制の中、こちらを横目で気にしていた何人かが手早く拳銃を抜きその銃口を圭介へ向ける。
彼らは、この状況が今この瞬間に起こっている理由をまるで知らない。
だから、彼が急に気が狂い、常軌を逸したかのように見えるだろう。
だが、決して撃たないよう彼らに手で制し迷いつつもそれを下ろす彼ら。
不安そうにこちらを見つめた。
「元の……作業に、戻れ」
その指示を明確に下す。
そこまで言えば、迷わず作業に戻る。
そうなるよう
対し圭介は、その手の握力を強めることも緩めることもなく、少し考えるような時間、そして、
「ヒツギは?」
「その前に手を下ろせ」
そう言えば彼は唐突に手を離す。
やや持ち上げられたので床に足を付く。
咳き込みはしない。
多分、そうならない程度の加減で掴まれていた。
「ふー……」
少し、息を吐いて、
「地下で敵と交戦中」
「地下?……大広間か」
「その様子だとちゃんと記憶の連続性は保てているみたいだな……」
「そう……それで……いや、理由は大方予想がつく」
そう言って思案するような顔をする。
彼が今後どう行動するかは、はっきりと読めない。
だが、こちらの味方になるように誘導はした。このマンションで生活させることで。
少なくともまたあんな事をやらないようには。
「武器……武器をよこせ、お前の思惑に乗ってやる。それと、なにか大きめの布……いや、ブルーシートを」
「……分かった」
ブルーシートは、リンの骸を野晒しにしないため要求したのだろう。それは事前に指示し、用意していた。
これから先、どこかで必要になるだろうと思い。
真っ先にそれを受け取った圭介——というよりその男を圭介と呼んで良いものか。その顔は少年の物でありながらやつれ果てた老人の風貌にも見えた。
それはさておき、彼はシートを床に敷いてそしてリンの体を乗せて、包む。
冬場とはいえ、弔うなら早い方がいい。
死骸など腐るほど彼は見てきた。
それが硬直し腐ってゆく様も。
俺もそうだ。
「とっとと終わらせてくる」
その一言と共にリンの死体を暖房を効かせてない涼しい部屋へ移す頼みを彼は話す。
そのタイミングで持ち運ばれてきた武装の類。
彼のかつて扱った大刀と脇差し。
「まだ、残ってたんだな」
それらを差すためのベルトも運ばれてきたので腰に回し、刀二本で大小二本差し。
「これはお前の物だからな。手入れも怠っていない」
「そりゃ随分なことで……」
後は脇のホルスターに吊るしたデザートイーグルの弾薬の補充と投擲用ナイフの補充を済ませ、その全ての具合を簡単にチェック。
刀の引き抜く滑らかさから、銃の作動までを軽く確認し、そして、
「ああ、そういえば——」
そう言って彼は様子を眺めたコチラへ歩み寄る。
そして拳を握って顔面を打ちつけてきた。
軽く。
奴の拳が傷付かず、かつコチラの顔面に跡の残らない程度に。
戦況の指示、管制を進めていたこの部屋の数人のうち1人2人が目を向けたが、既に作業に戻るよう指示したため干渉はしない。
鼻から血が出てきた。唇が切れ、口が血で満たされる。
そして、血を横に吐き出し、目の前の存在を見据えた。
怒るでもなく、侮蔑を浮かべるでもなく、普段通りの目で。
それをしばらく見つめ返してから、奴は部屋を後にした。
◆◆◆◆
「撃て撃て撃て撃てっ!」
廊下を疾走し突き進むチャミュエル・カーリーは前方で叫ぶように響く銃声の中、撃ち続ける彼らのその叫びを聞いた。
最早剥製の群れを常の盾とする必要は無く、銃撃には前面に大きく口を開いて対象。
壁や天井など静止物に作り出した口ではない。
——かつて、アダム・スミスに魔術の講義を受けたのを思い出す
あの時は分からなかったけど、今なら分かる。
宙空に魔術を走らせる感覚を。
それが浮遊し、共に前へと突き進み全てを飲み込んで無敵の盾となる。
そんな運用をして、結果として飲み込んでしまったのが、数えることさらに4人だったか。
存外他愛の無いことだなと思いながら、やってのけた。
そして、不意に背後に出現した存在を気取る。いや、気取ると言うよりはインカムを通しコルバンからの速やかな指示があったので気付いた。
彼はこの状況を背後に行進する剥製達のうち先頭の数体を通し見続けている。
よって剥製とそれより前に出たチャミュエルとの間に出現した存在は丸見えで、その速やかな指示と共に彼女はノールックで背後へ手を向ける。
その手を起点に宙空に描き出された口。
ただ、視界で捉えてないため、その手から徐々に広がるように螺旋構造の線を引くように口を形成し、廊下を隙間無く埋め尽くすつもりで瞬時に形成、そして、振り向いた瞬間には何もない。
食ってしまったのだろう。
そう思ったのは床に食べ残しの足の切れ端が落ちていたから。
それもたった今、床に形成した口で食べてしまう。
「ふはっ」
ああ、自由だ。何も不自由はない。
お腹の中が満たされていく。
生み出した口の胃袋が満たされるたびに自身にも得難い満足がゾワゾワ立ち昇ってくる。
幸せだ。
そう思って突き進む。
突き進んで、
——チャミュエル。撤退だ
突如コルバンからそんな指示が下される。
「え、なんで」
——目の前の刀を差した奴とは戦うな
刀をさした奴?——誰だそれはと思いながら目の先に形成した口を避けて屈むように少し様子を見た。
廊下の奥、築かれた土嚢壁の向こうの敵の群れ。
先ほどワープを使ってきた女と話をする男。
それが確か未来予知をする『
それが、向かってくる。
土嚢壁を乗り越え、歩いてくる。
——早く。ギブリールの転送を使っても……
「まだ足りないかな」
——言う事を聞け!
「まだ食べ足りないって感じだもの……」
インカムの向こう。
すこし、息を噛むような音。
——……くそっ、分かった。そこまで言うならやってみろ。いいか?あくまで撤退を念頭に置け……一応奴の性質について推察だが伝えておく
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