第1話 喫茶店での会話


——新宿 歌舞伎町にて


 そこは夜間も営業している喫茶店。

 時刻は夜の10時半をまわり、この時間帯ともなればカウンター席を数人の風俗嬢が埋めるのみで静かなもの。

 時折彼女たちのスマホの通知音が鳴り響き、その他に目立つ空気の振動は無い——いや、この時は少し違っていた。


 僕の目の前に今、女の子が座っている。


 天井から暖色のライトが木目の床とテーブルと共に彼女を照らす、ここは窓際、1番奥まったテーブル席。

 僕と彼女がここに向き合い座ってから既に15分が経っていた。


「私、人の精神とか人格って幽霊みたいなものだと思うんだよねー」


 おもむろに彼女が口を開く。

 お互い店に入ってすぐに注文は終え、目の前でやけに装飾性の高いパフェが、彼女の手で摘ままれたさじで、クルクルかき混ぜられている。

 手慰みてなぐさみに原型を残さない勢いだ。


 僕から見た彼女は17歳ほどか。

 明らかに成人ではないけど、すでに大人びた風貌を備えている。


 そして伸ばした髪は艶やかなライムグリーンに染められて派手。

 加えて首に巻かれた黒いチョーカーに妙なこだわりを感じた。

 そんな彼女の切り出した話に僕は


「なるほど、続けて」


 と返す。

 こう返したけど、理解したわけじゃない。

 ただ相手を理解しようと努めてる風に見せた。

 これはこの商売で日銭を稼ぐ上で大事なことだ。


 そして、彼女は数秒自身の紫の爪を擦り合わせ、思考を交えながら言葉を紡ぐ。


「あー……なんて言ったらいいか分からないけど、他人の思考ってその人の動きとか言葉を聞いて、どうやらあるらしい。あるかもしれないって程度のものじゃない?」


 そしてパフェを口に運ぶ。

 気怠げな所作。

 冬に食べるには冷たすぎたようで、続けて口に運ぶのを躊躇ってるらしい。

 ちなみに僕は温かいブレンドコーヒーを頼んだ。


「だから、そういうのって有ると信じれば有って無いと信じれば無くて——」


「——だから幽霊に似てるって?」


 会話を先回りする。


「そう。哲学的ゾンビ?みたいな。だから、他人に思いやりを持つとか、意味ないのかなー……と思ったり……」


「……結局他人の心ってのは不可侵で理解できないものだとは僕も思うよ」


 中身の無い会話、ではある。


 普段は歌舞伎町の某映画館前トー横にたむろする、自分と同じような家出少年、家出少女、有象無象の大人を相手にと称し悩みを聞いて日銭を稼ぐ。

 その布石として相手に理解を示す——様に見せる。


 この手の客はまず信用を築かねば、なにも話が進まない。お金を払ってもくれない。

 ただ、今回に限れば少し事情は違っていた。

 彼女の方から声をかけてきたのだ。

 要約すると「噂でアナタのこと聞いたんだけど、占いしてよ」という旨の話を聞かされたからここまで来た。


 どうやら僕の知名度も上がってきたらしい——とその時は感じた。

 それに占いと言ってるのも嘘ではないし、少なくともなんらかの話を付けて、後払いで報酬をもらう方針のせいか、今のところクレームは0件。


 だからだろう。

 多分、油断した。

 正直言ってこの時の僕は少し調子に乗っていた。


 そんなことは梅雨知らず話は進んでいく。


「じゃあ、あまり引き伸ばすのもアレだし。早速やってあげようか。占い」


「ああ、うん」


 それに、目の前の彼女の顔付きが結構好みだった事、報酬を払い渋る客が多い中、すでに支払ってもらったこと。この2点が油断を後押しした。


 こんな上手い話、怪しいと考えるのが普通。


「それじゃあ、手の平を見せてくれるかな?」


 しかし、この時は気づいていなかったので普段通り進めた。

 そして、占い——と称した行動で、僕は相手の手相を見るふりをする。

 本当はそんなことする必要はない。

 ただ素肌に触れるだけで良い。

 でも演出は大事だ。


 そして差し出された手。

 一切の手荒れの無い綺麗な手に触れる。

 紫の爪がやや冷たく感じられた。


——そして、見る


 見ているのだ。

 触れた相手が今後1時間以内に見る景色を。


 この力がなぜ自分に備わったのかは分からない。

 ただ、家出した後にたまたま人の手に触れた時に見えたのが全ての発端だ。

 実は元からそんな才能が自分にあって急に目覚めたのか、覚えてないけど誰かからもらったのか、それは判然としなかった。

 でも役に立つのは確か。


——自分の視線で未来が見れないことを除けば


 それだけは無理だった。

 

 そして、目の前の彼女の顔と同時に視界にチラつくのは彼女の視界による彼女の景色。


 1時間、という時の長さを見た後で、実際に経過しているのは30秒。

 分割すると1秒毎に2分先まで予知する。

 それより先は見れないけど、1時間いっぱい丸々見た上で、それを足がかりにその先まで見えているようにハッタリを言う。


 それがいつもの手。


 でもこの時は、触れた手をすぐに、咄嗟に離し中断してしまった。


——景色が途切れる


 ある物を見た。

 そして失態に気付いた。

 何も見てないフリをすればまだ良かった。

 あくまで隠し通すなら、違和感を見せるべきじゃなかった。

 ただ、手を離したから気取られた。


 彼女は僕のその様子を見て相変わらずの気怠げな声でこう言った。


「ああ、本物なんだ……」

 

 そうやって目付きを変える。

 年相応の覇気の無い顔から何か値踏みをする様な目に。


 だから彼女はややブカブカなダウンジャケットの袖口から細長い何かを見せる。

 わざと僕だけに分かるようチラつかせた。

 それはネットショッピングで簡単に買えるバタフライナイフ。


 そして、僕がこの時見た彼女の視点での未来の景色は、ほんの数分後、そのバタフライナイフで僕自身が斬り付けられる光景。


◆◆◆◆


——この喫茶店の会話から8時間前


「え……?私がやるの?」


 ライムグリーンの髪をカシカシ掻きながら、目の前で面倒な頼みごとを持ってきた男に視線をくれる。


 パリッとした黒スーツ。

 きちんと定期的にクリーニング出してるんだろうなぁって感じの清潔そのものの装い。

 ただ、ネクタイまで黒なそれは葬式帰りにしか見えない。

 そして髭が濃いからやや歳食って見えるけど、多分全部剃ったら20代半ばに見えるんだろうなぁって見た目。

 この男は面倒な頼み事を毎度持ってくるけど、ぼちぼちこっちも面倒ごと押し付けてるからギブアンドテイク。


 性格的にはあまり好きじゃ無いけど、そういうこと考えたら付き合える人間の数は著しく減ってしまう。

 だから我慢。


「正確には違う。資料の通り、その少年はコチラ側になって、まだ日が浅い」


 そうやって言われてから、すでに手渡された角2サイズの茶封筒から何枚か資料を取り出す。


 まずは写真で、何処にでもいるような顔。

 そこそこ近づいて撮ったのか、表情までクッキリ見える。

 日本人らしい黒髪に、悪くは無い顔立ち。

 特徴が皆目無いと言っても良い。

 街を歩いて、ウィンドブレーカーを上に着ている。


「……日が浅い?それじゃ下手したら……まだまともに使えないでしょうし」


「だから、リン。お前には刺激を与えてもらう」


「刺激?」


 路地裏で話してるからか、すぐ近くの壁から生えた換気扇がうるさい。

 その向こうが中華料理屋なんだろうなってスパイシーな香りが路上を満たしていた。

 それにやや不快を感じるけど、場所を移すのは面倒で、だからそのまま話を続ける。


「そう、刺激だ。少年にはわれわれと同じ特徴がありながら、不可解な点が多い」


「っていうと?」


「すでに能力を使いこなしているらしい」


「冗談でしょ。え?私たちと同じじゃない、たとえば魔術師とかの可能性は?」


「それもない。彼の持ってる力は同種の物と判定できた。特徴も確認した。確実にこちら側。だから、ボスも測りかねてる」


「なにを?」


「我々にとって有益か、有害かを」


「はーん……それで私に当て馬になれってわけですか」


「不満か?」


 髪をいじりながら少し考える。


「別に不満ってわけじゃないです。ただ、少し可哀想だなって思っただけです」


「武闘派のお前が?」


 言外に「何度も請け負ってきたお前が?」と言ってるのが少しイラッとくる。


「武闘派って……人聞き悪いなぁ、たまたまそーゆー仕事こなすの多かっただけで私自身は平和主義者ですよ。ラブアンドピース。平和最高」


 戯けてたわけて感情を誤魔化す。

 戯けて言ったけど、自分ではわりと本気でそう思ってる。

 だって人を殺すと返り血で汚れるし、そういうのは最低限にしておきたい。

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