第21話 飾り

「私はこの国の事情はよく知らないのですが、彼はこの国の『うえがた』というのではなかったでしょうか?」

 稀梢がテレビに視線を向けた。

「現公のご子息だな。三人兄弟の一番上。三十歳くらいじゃなかったかな。もういい歳だが、次期大公に決まったという話は聞こえてこない。いろいろ、面倒な御仁らしい」

「……ああ……好ましからざる人物ペルソナ・ノン・グラータということですね」

「どちらかというと時代錯誤アナックラニザムスだな。皇国の再興とか、議会によらない親政とか大プロイセンの復活とか……なんとか。戦前ならべつにあれでもよかったんだろうが、いまの公室は議会の承認した予算で運営されてる。いろいろ思うところはあったとしても大統領、首相、プロイセン議会、世界の王室とぶんわきまえて上手くやってる父君にしてみれば、息子の放言は頭の痛いことこのうえないだろうな」

 六十五年前、プロイセン公国の公室は、当時の政権与党、国民社会主義拡大プロイセン党が議会を停止し、独裁体制を築くのに一役買った。

 そして五十年前、国民社会主義拡大プロイセン党が少数民族を弾圧し、西方諸国を相手取った戦争を行い敗戦したとき、ともに裁かれた。

 公室解体こそ免れたものの、皇帝位は空位としてプロイセン皇室は神聖ローマ帝国時代の公位に戻る、とした。神聖ローマ帝国はすでに存在しないのでおかしな話だったが、当時、西方諸国は敗戦国も戦勝国も自国の復興に忙しく、他国の『君主位』が多少理屈に合わないことになど構ってはいられなかったので、なし崩しに承認されてしまって現在に至っている。

 公室の直轄領はすべて国有となり、財布は議会に握られることとなった。

 贅沢など夢のまた夢、古い城の雨漏りの修繕費ですら議会に拒否される事態に、当時の公族たちは自分たちが無用の長物、『飾り物』の地位に堕したと絶望したかも知れない。

 ただし、近年のプロイセン公国の経済成長はめざましく、歳入も潤沢にあるため、敗戦当初ほど公室の支出についてやかましく言われてはいない。公室が年度末に議会に提出する『新年度公室予算』について、駄目出しが出ることもすくなくなった。

 もちろん敗戦時に公位を継いだ前公、そして現公の細心の公室運営も功を奏している。『飾り物』である立場を受け入れて、できることのすべてを行い、自分たちが『飾り物』として有能であるのを示し続けている。

 おかげで現在、国民のあいだのプロイセン公室人気は悪くない。あのテレビにあった公子の豪華クルーザーなども税金で買ってもらえるわけだが、かつて曾祖父の代には大型旅客船を御座船として占有し、世界を巡っていたことを思えば、その零落は身に染みるかも知れない。

 じつはエルンストは昔、現公に会ったことがある。会ったと言っても五十年以上前で、当時の彼は五歳くらいだった。

 生意気盛り。その歳にして自分が皇帝の孫だということをよく分かっていて、まわりの貴族たちに悪戯し放題だった。他国の王族の集う外交の場で「僕が世界を支配してみんなを跪かせる」などと放言し、近侍の者が泡を吹いて倒れたこともある。

 その彼が、齢六十をまえに笑みを絶やさず国内外の関係者と「上手くやっている」のを見るにつけ、エルンストなどは「逆境が人を育てるのは本当だな」と思っていたものだ。

「プロイセン公室のご長男が黒幕ということで、いろいろ繋がりましたね。肝心なところが分からないのが腹立たしいばかりですが」


『ひるどき諸州漫遊! 次回はバイエルン地方の地元の人だけが知っている穴場をご紹介! もちろん来週も豪華ゲストをお迎えして放送します。お楽しみに!』


 リポーターの笑顔で終わった番組に、何度目かの溜息を吐きながら稀梢はテレビのスイッチをオフにした。

「肝心なこと?」

「レクセアさんがいまどこに監禁されてるかということです。彼女みたいに卜占の技に長けていればいいんですが、私はそもそも書記官で、卜占の記録は取っても、卜占をやる係じゃなかったんですよ。……ま、卜占のやり方を知ってても、たぶん役には立たなかったでしょうが。あれはだいたい、八百長でしたし」

「レッキの占いは特別だ。凡百の占い師なぞ束になってかかっても彼女には及ばない」

 エルンストはできるならばいますぐにでも駆け出したかった。

 あの鼻持ちならない馬鹿息子の首根っこをひっつかんで「レッキを返せ」と怒鳴りつけたかった。

 そして彼女を取り戻したなら、およそ人が想像しうる酸鼻を超える酸鼻でもって殺してやりたかった。

 だが、いまの彼にはそのどれもが不可能だ。

 歯がゆいばかりだが、いっそ、頭は冴える――

 窓辺に飾られているしかない私だし、どれだけ望んだとしてもそれしかできないが。その境遇に肩を落とすばかりというのも矜恃にかかわる。

「そもそも、私には落とす肩もないしな」

 エルンストがおおきく息を吐いた。

鳳殿ヘル・ホウ、我々にだって標準的思考能力くらいはある。『急がば回れEile mit Weile』。基本に立ち戻って考えて見ようじゃないか」

「至言ですね」

 稀梢もまた憂鬱な表情を改めてエルンストを見た。

 その時だ。

「エニー! シシィ! レッキ! いたら返事して!」

 玄関のほうから少女の声がした。メリナだ。

 稀梢が向かえに出ると、

「父さまと母さまが掠われた!」

 メリナが稀梢に抱きついてきた。彼女の足元には猫のディーナが付き添っている。

 今日の今日まで「メリナを護衛すること」を忠実に守っていたのだ。

「あと、ごめん。タクシー代、払って!」

 玄関から外を見ると、事情を知らないタクシーの運転手が、早くお勘定を、とばかりに手を振っている。

 むろん、稀梢に異存はなかった。



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