第9話 つぎはぎ

「追えたのは門のところまで。あとで探してみましたが、屋敷のなかにエニーさんはいませんでした。おそらくは一緒に。メリナさんのリュックの中にいたんでしょう」

 昼休みの時間になるのとほぼ同時に、稀梢はレクセアの診療所に駆け込んだ。

 胸のあたりに流れて服を派手に汚していた血を、雨具代わりにリュックに詰めて持ち歩いていた薄手のパーカーを羽織って隠している。夏の終わりとはいえまだ暑いさなかだ。雨でもないのにパーカーを羽織っているのは少々、奇妙だが血だらけの胸を晒しているよりはましだろう。

 手当しようとしたレクセアを「放っておいてもすぐに治ります」と制した。

 そのうえで、旧繁邸の門前で旼鳥の孫であるメリナと出会ったこと、三人で旧繁邸に忍び込んだこと、自分はしばらく庭にいて、悲鳴を聞いて屋敷に飛び込んだものの、すでにメリナは男二人組に捕まっていたこと、ぐったりしたメリナを拘束している男二人組を守衛が素通りさせ、稀梢を捕まえて二人組の逃走を助けたことなどをかいつまんで話す。

「二重の門が両方、施錠されていなかった時点でおかしいと気づくべきでした。自分たちとは別の侵入者がいて、守衛はそいつらの仲間なんだと」

 レクセアは診療室で、稀梢の話を聞きながら、硬い表情のまま何事かを考えている。

 看護師は食事に出ているらしく、診療所にいるのはレクセアだけだった。

 ことの顛末を聞き終わるとレクセアは席を立ち、受付に回ってどこかに電話を掛けた。

 しばらくして戻ってくると「午後の診療は応援を呼びました」と稀梢に言った。

「二十分もすれば午後の診療を代わってくれる医師が来ます」

 なにを思うのか決然とした表情で、レクセアはそれ以上はなにも言わなかった。


 レクセアの電話でやってきた年配の医師に淡々と引き継ぎをして、稀梢とレクセアは屋敷に戻ってきた。

 代わりの医師は、彼女の医院に登録はしているもののなかば引退している医師で、今日のようにレクセアの都合が付かなくなったときだけ診療を手伝ってくれるという。

 レクセアの予定より早い帰宅はともかく、お土産に約束していた猫缶がなかったことからディーナは不機嫌だったが、もちろんレクセアも稀梢もそんなことにかかずらってはいられない。

「その娘さん、何故連れ去られたかは……」

「分かりません」

 いろいろと可能性を考えているが分からないことばかりだ。あの守衛たちは最初、屋敷を訪れようとしていたメリナを追い出そうとしていた。

 だから『彼女の略取を最初から狙っていた』はずはない。

「こちらの邪魔をした守衛をひとり拘束して聴きだそうとしたのですが、もうひとりに至近距離から銃を撃たれました。撃たれたくらいでは死にませんが、運悪く鎖骨にあたって骨が砕けたもので、守衛も取り逃がしてしました。分かることと言えば、守衛が仲間だったということは、プロイセン公家が噛んでいる可能性もある、ということくらいでしょうか」

 守衛の雇い主はプロイセン公室である、そこからの推測だが、直接雇用ではなく、間に入った警備会社に問題があれば、プロイセン公室はなんの関係もない可能性もある。

 つまりは、この線から分かることはほとんどない、ということだ。

 最初から誘拐を狙っていなかったとすれば、なにか偶発事故で彼女の身柄を拘束する必要があったのか。 

 それとも……

「……レクセアさん、『旧繁邸には繁王朝の財宝が隠されている』という話を聞いたことがありますか?」

 稀梢にとっては、ナンセンスな話だ。なぜなら彼は繁旼鳥が祖国をわれるそのときに立ち会っている。だが、その経緯を知らない人々にとってはどうだろう?

 この噂は、どことなく真実の響きがしないだろうか?

「噂は、根強くあります。常識で考えればあり得ませんけど、五十年まえの戦争の時、彼が何百人もの迫害された人を匿い、スイスへの逃亡を助けた話など、『どこにそんな財力があったのか』と面白おかしく取り上げるテレビ番組などもあって、信じている人は……います」

 安穏とは言えなかった繁旼鳥の生涯を、なにも知らない人々の娯楽として消費されるなど、稀梢にとっては腹立たしい話だった。

 ――しかし。

 なにか、繋がりそうな気がする。まだ情報が足りないせいで、パッチワークの描く模様は見えてこないけれども。

 男たちの特徴はどうだったろうか。

 中肉中背、おそらく白色人種。髪の色は明るい茶色、金髪がひとり。顔の下半分は黒いマスクで覆われていた。

 拘束しようとした男の目の色は覚えている。濃い青だった。プロイセン公国ではそれなりにいる、あまり際だった特徴ではない。

 白い開衿のシャツと黒のパンツもさしたる特徴ではない。

 だが『あの四人のなかには有色人種はいなかった』という情報は得られる。

 ――むろん、プロイセン公国の人口の大半が、現代においても白人だ。だが、誘拐犯の四人が全員白人である……これには意味はないだろうか――?

 レクセアはだれを非難することもなく、居間の暖炉脇に設えた小机からカードを取り出してきた。

 カードと言うよりは、五㎝くらいの長さの葉だ。その数、六十一枚。

 レクセアはその葉の一枚、一枚に、

『エニー』『メリナ』『鳳』『レクセア』『守衛』『旼鳥』『旧繁邸』『過去』『未来』『陰謀』『石』『森』『海』『大地』『空』『東』『西』『南』『北』『水』『火』……

 ひとつひとつ文字を書いていく。

 西方では占いに七十八枚の絵や数字の入ったカードを使うことがあるという。

 レクセアの使うものは、ただの葉だ。

「鳳さん、鎖骨の傷にこの葉を一枚ずつ押しつけていってくださいますか?」

「ええ」

 躊躇いなく稀梢はパーカーを脱ぎ、シャツのボタンを外して傷を晒した。

 血はほとんど止まりかけていたが、まだ骨が砕けたままなのだろう、左腕がほとんど動いていない。

 レクセアと稀梢は、傷口に葉を一枚ずつ押しつけた。

 傷口から滲み出る血を六十一枚、すべてに塗りつけていく。

 レクセアは葉を両の手のひらで掬うように持ち、テーブルのうえに紙吹雪を散らすように落とした。

「これはわたしの故郷に伝わる占いで、コカの葉に文字を刻みます。それぞれの魔女ともっとも相性のいい素数を使い、犠牲の血を捧げて知りたいことを『闇にうずくまって囁く獣ナナワツィン』に尋ねます」

 コカの葉を輸入することはできない。コカインの原料として厳しく取り締まられている。おそらくは昨日見たあの温室で育てているのだろう。

 コカの栽培もまたこの国では違法だが、彼女はそれを麻薬の生成に使っているわけではないから、足が付きにくいに違いない。

 レクセアは床に落ちた葉は無視し、テーブルの上に落ちた葉だけをまとめて重ねると、一番上の葉を開いた。

 葉の文字は『過去』。

 その葉を中心に、レクセアは次々と葉を置き、縦に、横に、斜めに繋げて行く。

 言葉をぎにした不思議な文様ができあがった。

 そして稀梢は不意に気がついた。この文様は、身体を顕しているのではあるまいか。そう思って眺めれば、足や、手、頭、性器などの部位に見える場所がある。

 ――ならば、大切なのは心臓と首の部位だろう。おそらく最初に置いた葉をへそとして、心臓と首の部位を起点に読み解く占いだ。

 もちろん、心臓と首の位置はわかりやすい。

 心臓の場所にはメリナ、首の場所にはエニー。

 このふたりが臍の部位……『過去』で繋がる。メリナの隣には右『噂』で左は『財宝』、エニーの葉の上には『湖』が並んでいる。

 レクセアは息を詰めるようにして、その文字の並びを見つめていたが、

「ナナワツィンの囁きが届きました。行きましょう」

 レクセアはそう言って、葉を集め、火の入っていない暖炉の脇にあるちいさい炉にその葉をべて燃やした。

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