第6話 眠り

「あなたなに?!」

 問答無用で引っ張ってこられて肩を押されながら強引に公園のベンチに座らされたことが業腹だったのだろう、少女が稀梢に喰ってかかる。

「通りすがりの観光客と」

 と、稀梢が真顔で答えた。

「あと生首のエルンスト氏だ」

 小脇に抱えていた首を両手で抱え直し、少女の眼前に捧げ持つ。

「こんにちは、お嬢さんフロイライン

 その瞬間、レクセアの幻術が解けた。

 おそらく少女には帽子のように見えていたものが、急に形を変えたように見えたことだろう。

「え? な、うそ、しゃべ……」

 ベンチから浮かし気味だった腰が、急にちからを失う。

 少女はへなへなとへたり込んだ。


 口をぱくぱくさせている少女に「ちょっと待ってね」と言い置いて、稀梢は朝早くから店を開けていたアイスクリームショップで一人分のアイスを買う。

「カップですか、コーンですか」と聞かれて、彼女の手が震えていたらコーンは持ちにくいなと「カップで」と注文し、特盛りで、と付け加える。

 観光地でもない住宅街の公園で、有人の店など開けていて商売になるのかと、稀梢は他人事ながら心配するが、近年、よく見かけるチェーン店というやつなら、『採算は合わなくても広告効果はある』ということかもしれない。

 観光地価格と言うべきか、高級住宅街的に高級感を出しているのか、それなりの値段はした。

「なにがお好みか分からなかったから、『ヴァルヌス&ショコラーデくるみとチョコ』にしたけど、よかったかな?」

 稀梢が微笑みかけると、ありがとう、と少女は礼を言って受け取った。

 生首を見た直後に、その首を抱えていた相手からアイスクリームを受け取るのは、なかなか豪胆な気もするが、おそらくあまりのことに現実感がないのだろう。

 エルンストは息苦しいだろうに、文句も言わずに稀梢の小脇に抱えられている。

「私は、君のおじいさんの知り合いなんだ」

 少女は受け取ったものの、アイスクリームには視線を遣らず、稀梢の脇に抱えられたものを見詰めている。そのまなざしには当然のことながら怯えと、意外なことに興味が宿っている。

「それ、ホンモノなの?」

「『ソレ』とは失礼だぞ、お嬢さん」

 もごもごしながらエルンストが非難の声をあげた。

「ご、ごめんなさい。えと……エルンストさん? さ……触っても大丈夫?」

 稀梢は感心した。予想外の反応だ。礼儀正しく、大胆で、なおかつ用心深い。旼鳥の血族ならくあらん、そんな気がする。いや、血のせいにするのは失礼か。この少女の資質の良さと、旼鳥の教育がよほど行き届いていたのだろう。

「触りたい、か。……初対面でそこまで親密な仲になるほど、私のことをやすい相手だと思うなら見くびられたものだと思うが、お嬢さんの勇気に免じて特別に許可しよう。ところで鳳殿、そろそろ私を小脇に抱えるのはやめてくれないか? 非常のことだ、やむを得ないとおとなしくしていたが、しゃべりにくいし視界が狭くなって私はとても不愉快だ」

 もごもごとエルンストが稀梢にも文句をつける。

 稀梢は「それはそれは」と、エルンストを両手に持ち直す。

 少女にとって過度の刺激にならないよう、エルンストの顔を稀梢のほうに向けて、膝に置いた。

 これだとエルンストは稀梢の胸のあたりを見詰めることになって、やはり不愉快だろうがショック効果は一回に限る。

「本人もこう言ってるから、触ってもいいよ。でも、先にアイスクリームを食べた方が良いね」

 溶け出し始めたアイスクリームに注意を向けるよう促して、稀梢はにこりと笑った。


「ば……ばれないの?」

 公園は混雑はしていなかったが、遊びに来ているこども連れの家族はちらほらいる。だが、だれも少女たち三人組のことを気に留めているようすがない。

 エルンストは少女が深呼吸し、落ち着いた頃合いを見計らって、再度『対面』することとなった。

 特盛りアイスクリームをこの年代のこどもにしかできない芸当……「ぱくぱく」の勢いで瞬く間に食べ終えて、少女はエルンストの髪を撫でる。

 最初は恐る恐る……エルンストがおとなしくしているのを見極めてからはやや大胆に。

「君が私の姿を最初に見たとき、彼は生首には見えなかったはずだ。帽子のようなものに見えていたんじゃないかな」

 稀梢の言うことに、少女は頷く。

「黒っぽい……帽子を脇に挟んでいるように見えてた」

「そうみせていたのは私の術じゃないけれど、いまは私がちょっとした術を掛けていてね。……見えてはいるけれど、気にならなくなる。招かれなかったけれど忍び込みたい宮殿とか、宴席に紛れ込みたいときに便利なんだよ」

 もしそんなことができるなら、偉い人の家に忍び込んで暗殺するのとか、得意そう……と、少女は思った。その気持ちが顔に出ていたのだろう、稀梢は

「まあ、さっきの幻術とおなじで、なにかのきっかけ……声とか、匂いとかで注目されるとそこで術は解除される。でも、人間は『見えていない』と触れても気のせいだと思いがちだから、触感まではなんとか誤魔化せるね。熱かったり冷たかったりするとやっぱり駄目だけど」

 と、微笑む。

「感覚の一部を本人に気づかれないように眠らせているようなものだ。ほら、自分では眠っているつもりはなくても眠っているときがあるだろう? 声を掛けられたり、昼ご飯の匂いを嗅いではじめて意識が遠のいていたことがわかるような」

「あるよ。社会の授業の時なんかいっつもそう。起きてたつもりなのに先生に当てられて、なんの質問で当てられたのか、全然頭に入ってなくて、怒られるんだよ」

 悪びれもなく少女は答えた。

 旼鳥も苦労したろうな、稀梢は今は亡き『主人』に同情した。

「で、お嬢さんフロイラインの名はなんと言うのだね? 君には特別に親しくなる権利を与えたのだから、名前くらいは教えて欲しい。私はエルンスト・リンデンベルク。エニーと呼んでくれたまえ」

 なぜだか得意げにエルンストは名告った。

「わたしはメリナ・ハン・オードル。メリナって呼んで。ハン、は本当はミドルネームにつける名前じゃないけど、おじいさまのことを忘れないように、って、母さまがつけたんだ」

「私は鳳稀梢ホウシィシャォ。名前は呼びにくいだろうから鳳さんヘル・ホウとでも、ちょっと面はゆいけど鳳大人ホウターレンとでも、好きなように呼んでほしいな」

 自己紹介の合間にもメリナはエルンストが気になって仕方がないようだった。

 両手で、そろりとエルンストの両の頬を挟んで持ち上げる。

「ホウシ……シャ……あ~……シシィって呼んだら駄目かな?」

「お好きにどうぞ。ずいぶん可愛い呼び名だ。たしか、繁旼鳥が生まれる二十年くらいまえ、このあたりの国の皇妃にそんな愛称の人がいたんじゃなかったかな」

「そうなの?」

「ああ、あのハプスブルク皇妃だろう? ……たしか、湖で殺された。あのころは私にも身体があったからな。いまほど情報に疎くなかった。あの事件は確か新聞で読んだ」

「へえ……ふたりとも物知りなんだね」

 メリナの受け答えはずいぶん気のないものだ。

 彼女の関心はもっぱらエルンストのすっきりとした鼻梁に注がれていて、いまや彼を自分の腿のうえに置き、脇鼻をさすっている。

 エルンストはされるがままになっていたが、さすがに鬱陶しくなったのだろう、中指が口元に降りてきた瞬間を捉えて、ぱくりと咥えた。

「きゃっ」

 メリナが驚いて声をあげた。

 公園にいたほかの家族連れの視線が集まる。

 稀梢は慌ててエルンストを抱え、メリナの手を牽いてその場を離れた。

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