第5話 旅

 翌日は日曜で、頭数にして三人で街に出ることになった。

 ディーナは留守番を仰せつかる。不満そうに、なごなご鳴いていたが、「お土産に鶏ささみ入り猫缶を買ってくるね」というレクセアのひとことで妥協したようだ。

 町の北のはずれまでは巡回バスで三十分、自家用車で直行すれば十五分程度だ。昨日は巡回バスで帰ってきたが、今日はレクセアの運転する車で向かう。

 フォルクスワーゲン・ビートル。昨日、町中でもよく見かけた車種だ。

 レクセアは内科が専門の家庭医で、診療所は火曜と土曜を休診にしている。日曜は予約診療のみ。原則は午前のみだけれど、予約が多いときは午後も開けるという。

 今日は午前中に加えて午後三時から五時までは予約が入っているそうだ。

「昨日は気分転換に買いものに出て、ホテルのツヴェッチゲンクーヘンプラムケーキを買って自宅でお茶をしようと思っていたのに。旅行客にあんな酷い対応するホテルだなんて、思わなかった」

 レクセアは昨日のことを思い出したのだろう、憤慨していたが、車を運転していると気分が持ち直してきたらしくフロントガラス越しに見える風景や、美味しかった食べ物などを話の種に、エルンストと他愛ない話をし始めた。

 旧繁邸までは車で十五分。レクセアが通勤の時に駐める駐車場が近いので、さきに旧繁邸の見えるところまで送ってくれる。

 レクセアの診療所は町の北側の商業地域にあるのだが、古い町なので道幅が狭く、渋滞しがちなため車は町外れの駐車場に駐めてそこから一駅、地下鉄で移動するのだという。

「エニーと一緒に出るときは、車なんです。でもあまり外に連れ出せなくて」

 と、レクセアが言った。

 レクセアは幻術が使えるのだそうだ。ただし、得意な術ではないので、遠目に目に留めた人の認識を惑わしてその姿をぬいぐるみかなにかに見せかけることくらいはできるが、公共交通機関で近づかれ、まじまじと見られたり触られたりするとごまかしきれない。

 稀梢は助手席に乗っていた。エルンストは後部座席でベビーシートにきちんとシートベルトをして『座って』いる。

 対向車線の車の運転手がもしこちらの乗客に気を留めることがあったなら、後部座席にはベビーシートにクマのぬいぐるみでも乗せているように見えるのだろうな、と稀梢は思った。


 かっきり十五分で目的地に着いた。

 街の北側の端にあたるところ、それなりにおおきな一角が背の高さを越える鉄板のフェンスで囲われている。

 亡命君主とはいえ元皇帝の住まいにしては風情がない……稀梢はついそう口に出してしまったが、レクセアによればフェンスが設置されたのは旼鳥が亡くなってからだという。

 葬儀が終わったあと、旼鳥と一緒に住んでいた親族を追い出し、フェンスで囲ってしまったのだそうだ。

 屋敷の周囲は閑静な住宅街だった。それもどちらかというと高級、の形容詞が付く。

 それもそのはずで旼鳥の住んでいた屋敷は、かつてハプスブルクだかバイエルンだかプロイセンだかの貴族の狩猟用の屋敷だったとのこと。

 たしかに黒森が近いから、絶好の狩り場だったろう。

 現在は花木を植えた公園なども見え、なおかつ地下鉄一駅で繁華街にもアクセスできる。立地としては申し分ない。

 出勤するレクセアと分かれ、教えて貰ったとおり、角をひとつ曲がった道の突き当たりに門があった。

 やはり金属製の物々しいばかりで雅趣の感じられない門だ。

 遠目に見て、守衛がふたり立っていた。

 立っているだけでなく、守衛たちよりすこし背の低い、後ろ姿から見ても若く見える人物と、なにか言い合いをしているようだ。

「観光客かな」

 稀梢が独りごちた。自分のように見物しようとやってきたら、一般公開されていないので腹を立てているとか。

 稀梢の祖国でも旼鳥は人気がある。

 人気がある、と言っても帝室再興などという大げさな話ではなく、懐古趣味的な意味での人気だ。本人の了承を得たとも思えない、可愛い七歳の少年が、大人の悪意に翻弄されながら王朝の終焉を決断する……悲劇の味付けたっぷりのドラマなども製作されて好評を博していた。

 ――これを政府が放置していると言うことは、繁王朝は『無害な過去』になったということだ。

 稀梢はその潤色たっぷりのドラマを観ながら、多少の感傷に浸ったものだが……


「しかし、年端もいかんこどもになんて態度だ。あ、また小突いた!」

 稀梢の腕のなかで、エルンストがぷんすか憤慨していた。

「私だって五十年前までは相当、酷いこともしてきたものだが、こどもには最低限、礼儀をもっていたぞ」

 ――血の量もすくないし、味に深みもないから両親を美味しくいただいたあとはちゃんと孤児院のまえに置いてくる配慮はした。

 それはそれでなかなか酷い処遇だと思うが、稀梢もあまり人のことを言えた義理でもない。

「カイジューみたいですね」

「なんだそれは?」

「私の故郷よりまだ東の島国の映画なんですよ。町を破壊して暴れ回るおおきな化け物が出てくるんですが、なぜかそいつが『こどもの味方』ってことになってるんです」

「酷いな」

 エルンストの感想は、映画の筋立てに関するものか、そのカイジューと自分を同列に扱ったことに対するものか。

 眉根を寄せ、口をへの字にしている。

「まあ、その映画は結構面白いんですけど」

 エルンストは稀梢が腕に抱えて連れてきている。レクセアは「車で待っていて」と言ったのだが「せっかくの旅なのだから街を満喫したい」とエルンストは抗弁した。

 旅とは大げさな、と思うけれど、生首のエルンストにとっては外に出ることも稀だろうから、たしかに旅なのだろう。

 稀梢にしてみても、迷惑と言うほどのこともない。

 エルンストにはいまもレクセアの幻術が掛かっている。たぶんぱっと見た限りでは、稀梢は帽子かなにかを腕に抱えているように見えるはずだ。

 仮にレクセアの幻術が解けたとしても、稀梢は稀梢で対処の方法を持っている。


 門の前まで来ると、十二、三歳の娘が守衛と言い争っていた。

「わたしのおじいさまの家だったんだから、ちょっと入れてくれたっていいじゃない! 三ヶ月前までここで生活してたんだから!」

「ここはプロイセン公室の所有で、繁家に『繁旼鳥氏が生存中に限る』という取り決めて貸していただけだ。聞き分けのないことを言うんじゃない」

 少女は一見して、東方人とも西方人ともつかない顔立ちをしていた。憤りで上気したそばかすの浮いた頬はほんのりと朱に染まり、見開かれた瞳は黒い宝石のようだ。

 艶のある黒髪は短くカットされていて、質のよい髪だから長くして結えばさぞかし美しかろうに、と稀梢などは勿体ないと思うものの、それは「古い感性」というものだろう。

 稀梢はエルンストを小脇に抱えるようにして、空いた片手で少女の肩を叩いた。

 守衛は観光客が野次馬に来たとでも思ったのだろう、去ってくれ、とばかりに顎をしゃくる。

「ここはひとまず退いて」

 突然現れた見ず知らずの東方人に驚いたのだろう、目を見開く少女の手を取って、稀梢は少女を公園のほうへ引っ張っていった。


 

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