第4話 温室
エルンストの、あるいはレクセアのと言うべきか……屋敷の脇には温室があった。一泊どころか、この街に滞在中は屋敷に宿泊しても良い、ということで、稀梢は屋敷を案内して貰っている。
日はもうずいぶん傾いている。
車で北の町外れまで十五分、町の北側にある主要商業施設まで二十五分、近いとは言えなくても『人里離れている』わけではないのに、屋敷を一歩踏み出すと、ひとけのない鬱蒼とした森が覆い被さるように広がっている。
闇の迫るなか、森は昼間とは別の命を得たかのようなざわめきに満ちあふれていて、屋敷は森という大海にぽつんと浮かぶ孤島のようだった。
その森を横目に温室に入ると、なかは熱帯雨林だった。
蒸し暑く、稀梢が見たこともない珍妙なかたちの草木に満ちあふれていた。
極彩色の花々なら、稀梢の故郷の花々だって負けてはいないが、形が不思議なのだ。
「母が新大陸から渡ってきたので。ここは低地の気候を再現していますが、むこうの温室は、高山の気候を再現しています。むこうは温室と言うより、暑くなりすぎないように温度と湿度を管理しているのですが」
と、レクセアが言った。腕にはエルンストを抱えており、足元にはディーナがまとわりついている。
自分の定位置をエルンストに取られて、ディーナは不満そうだ。
「この温室はお母様が?」
「いえ、この屋敷に住み始めたときには、すでに母は亡くなっておりましたから、わたしが。母の仕事を受け継いだので、植物が必要だったんです。どの草花も仕事に必要で増やしていく必要があるのですが、受粉に必要な虫や動物がここにはいない種については人工授粉する必要もあってなかなか大変です」
「失礼ですが、お仕事は? いえ、お医者様をされているのは分かっているんですが」
稀梢の国には、こちらで言うところの『華方』という医学がある。稀梢の国では当然、それが標準医学だから、単に医術、医師と呼ぶのでわざわざ『華方医術』などとは言わない。逆に西方の医術を、華夏連邦内では『西方』と称する。
近年、『華方』は世界的にその有用性が認められはじめてはいるが、西方ではまだ認知度は低く、西方諸国では医師資格が得られないのはもちろんのこと処方薬としても採用されているものもすくない。人間の身体の捉え方が違い、西方医術で認識される「効力」や「薬効の機序」が華方のそれとやや異なるため、国家的な承認が難しいのだ。それと同じで、たとえ効果が高くとも新大陸の医術ではこちらの国家資格は取れないだろう。
「もちろん開業医の仕事は、こちらの医術を学んで取った資格です。それとは別に――占い師、呪術師、祈祷師、魔女……なんと表現すればいいのか……母の家系は新大陸の南側にあるテパネカ王国で、王の儀式に必要な生贄を、神の求める清浄な状態に保つために働いていたのです。生贄は人間でした。つねに最上の贄を用意するために、さまざまな薬品と外科的な手術に長じていました」
「祭司……神官のようなものでしょうか」
「そうですね。儀式の遂行自体は男の仕事だったようですが。この国ではその祭祀自体ありませんから、わたしは生贄の世話などしたことはありませんし、テパネカ王国もいまでは『近代化』の影響で、儀式に人間を使わなくなったと聞いています。本来の目的でなくとも役に立つことはありますし、必要としてくれる人もいる『医術』です。女しか使えないとか、特殊な資質がいるとかで、本国では継承する人は減っているそうです。でも失うには惜しい気がして」
――なるほど、『西方』や『華方』のように学べば身につくというわけではない、『医術』か。
稀梢は納得した。そしてその医術によってエルンストは生首のまま生かされているのだろう。
新大陸で高山気候と熱帯気候が併存している場所というなら南側だ。南側の王国は、今を遡ること五百年前に旧大陸の侵略者と戦い、滅亡こそ免れたものの王国は高山に追いやられた。稀梢はそう歴史の教科書で学んでいた。
旧大陸からは侵略者を介して
旧大陸の侵略者たちは新大陸諸国にとどめを刺せないままに半世紀、手をこまねいているうちに、新大陸諸国は同盟を組んで体制を立て直した。
旧大陸のなかでも植民地獲得に乗り遅れがちだった国々の嫉妬も利用し、旧大陸の一部の国と金や銀の鉱山採掘の権益を餌に秘密裏に協定を結んで近代兵器を導入し、再度侵略を始めた旧大陸の国々に徹底抗戦。
熱帯地域の大半を失ったものの、独立を守った。
稀梢の祖国もまた、天然痘との付き合いこそ何千年にもわたるが、爛膚病の侵入の際には多くの死者を出した。この病気のせいで軍隊の男たちがバタバタと倒れ、当時、北から侵入してきた騎馬民族の国と華夏の諸国との戦乱が自然消滅してしまったくらいだ。
幸いにしてその二百年後、つまりは今から三百年前にはどちらの病気にも予防医療が編み出され、このふたつの疫病で亡くなる人々は減少した。
そしてついに三十年前には世界連合の主導のもと、大量生産されたワクチンによる掃討作戦が展開され、いまではどちらの疫病も根絶された。
レクセアの話はどのくらい以前のことか、曖昧にぼかした話し方だったが、母親が王宮の祭祀にかかわっていたというなら、旧大陸の人々が新大陸に侵入する以前……つまり五百年以上まえのことである可能性が高い。
王国は存在していても、人口が激減し、国土が縮小した状態でこれまで通りに祭祀が行われていたとは考えにくいからだ。
レクセアの見た目は三十歳程度に見えたが、エルンストは従姉との出会いを、三百二十年前と言っていた……ならば彼女もまた、エルンストや稀梢のような『異族』なのだろう。
「鳳殿は故国でどんな仕事を?」
レクセアの腕から声がした。エルンストはなかなか会話に参加できず、退屈そうだ。
「八十年まえまでは書記のようなことをしていました。繁王朝の行ったことを書き記したんです。繁王朝が倒れてからは、とくに、なにも。ああ、趣味で木工細工なんかはよく作りますよ。仕事をしなくなって長いのに、手持ち無沙汰だといまでも気がそぞろになる。なにもしない、というのがどうにもいたたまれなくて。貧乏性なことです」
「私を見習うと良い。生まれてこのかた働いたことなどないし、いまとなっては手持ち無沙汰もなにも、手、そのものがない」
妙に自慢げに生首が笑う。
「禅宗の開祖、
稀梢がほんのりと微笑んだ。
レクセアが愛おしげにエルンストの髪を撫でる。
「我々、お互いに訳ありですし、
稀梢の提案に「やぶさかではない」と、得意顔でエルンストが応えた。
レクセアも頷く。
なーお、とディーナが足元で鳴いた。
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