お布団の中は暖かい
早朝、夏であればすでに明るいであろうこの時間も冬だからまだ夜だ。だから僕は冬のことが好き。
休憩と称して潜り込んだ布団の中から出られないまま世界への理不尽さを無意味にもこねくり回している。
未来というものが無料じゃないって商品説明受けませんでしたよ、ってクレームを受け付けてくれる窓口は何処にあるのだろう。
生きているだけでえらい、なんて言葉はあちらこちらに浮かんでいるけれど、どれだけ綺麗な言葉を捏ねくり回したって結局結果がなければ何も意味はないし、それだけで不努力の証明の全てであるし、優秀でないことは許されないし、期待に応えられなければ怒られるし、失望されるし、不合格の烙印を押されるというのが現実というもの本当の姿だろうに。
大事なのは自分がどう思って何をしたいかとか散々色々な大人は言われてきたけれど、そんなこと言ったて生きていけるわけじゃないし、時間は待ってくれないし、いつまでも子供づらしていれるほどとっくにもう子供なんかではない。というよりもう大人だ。
大人であるからして自らのいのちには責任を持たないということはこれ以上なくよく知っているけれど望んで得たものでも無いのは事実で、けれどそんなものいらないって投げ出すのも無責任だし。
兎に角努力しないことは悪と見られるこの世界で、なのに悪に落ちることはあんまりにも簡単すぎるのはどうかと思う。難易度設定を間違えているのに生まれて生きている以上このゲームを攻略することを強制されるしやっぱり人生というものはクソゲーだなと思う。
だけどやっぱり好きなものは相変わらず好きだしご飯は美味しいし、やりたいことは尽きないしならやるべき事は明白じゃんってそれはもうその通りでぐうの音も出ないとは正しくこの通りだなと自分で浮かべた正論に打ち負かされている。
人というのは弱い生き物だから正論というものを防波堤として砦として必要としているくせして、守るために自ら構えたそれで殴られるのって何?ギャグ?って思う 。本当に人というのは変な生き物だ、変としか言いようがない。
でも僕ってばこんな変な生き物として二十数年生きてるらしくて、でも過去に生きてきたた僕が今と同一か問われれば違うような気がする。そもそもあの時の僕の定義と今のそれとは全くもって違うものなんだから。
人は同じ川には二度踏み入ることはできないなんてことを言うくせに時間の変化に伴う自己の分離を問わないのは理屈違いなような気がする。でもこれには答えがないことも堂々巡りになってしまうことも、人間の耐えうる複雑さには限度があるから仕方の無いことだとも理解はできる。
理解と納得が分離しているのに両立しているというこの性質はあまりにも不合理で、だけどその気持ち悪さは案外好きな僕もいるわけだからやっぱり変ないきものだ…………と思うしかない。
複雑さには耐えられないくせに不確定性を美と捉える感性は在り方としてきっと間違っていて、だから一秒すぎていく事に命は削れているんだろうなと実感する。
無意味と無価値を味わえる自分の感性は大好きなんだけど結局のところただの無駄でしかないしそんな生産性のないことを好むのはやはり悪なのか!?と投げ出したくなるもそう結論づけるのはやはり間違っているようで。当然だけど世界に存在する間違いの数は正解よりも圧倒的に多くて、正解なんて選びようがないのに間違いを選ぶと損をするということを考えるとふつふつと怒りが湧き上がる気がする。
ふつふつと怒りが、なんて言い方は初めてした。いつか使ってみたいと思っていたんだ。
だからといって怒りを向ける先なんてないだなんておかしくない?おかしいと思うけど結局行き着く結論なんて努力するしかないだけで、やはり人生という設問はおかしい。だから前提条件と求める回答をもう少しはっきりしてくれないかなと思う。僕は別段頭がいいわけじゃないんだからさ。
はぁ、それはそうとしてお布団の中は暖かい。きっとこれが世界の真理。
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