第16話 囚われの姫君

「嫌だったら‼︎」


 思いっきり腕を振るって、メリアリーヌはメイドが持ってきた白いドレスを勢いよく床に投げ捨てた。メイドは明らかにムッとした顔をしたが、屋敷の主人がいる手前、何も言わず楚々とドレスを拾い上げ、彼女の後ろに控え直した。


「絶対、わたし、そんなもの着ないからね!」


「──メリアリーヌ。いい加減にしなさい」


 癇癪を起こすメリアリーヌの前で、屋敷の主であるフィオラーレ伯爵──メリアリーヌの父は微動だにしないまま静かに告げた。


「どうしてお前はそう、教えた通りにできないんだ。ようやくお前のような女でももらってくれるという方が現れたんだ。粗相がないよう、身支度くらいしないといけないだろう」


「ぜんっぜん有り難くないわよ! わたしは結婚なんかしたくないの! 知らない人と結婚するなんて絶対嫌! それならまだつまらないダンスのレッスンを受けてた方がマシよ!」


 言い切ったメリアリーヌの瞳は、連日泣き通したせいで真っ赤になってしまっていた。

 婚儀のために用意されたドレスも高価な宝石も床に投げ散らかすメリアリーヌに、メイド達がひそひそと小声で耳打ちをし合っているのが視界の端に映る。その声を聞くことすらも、もう、メリアリーヌには耐えられなかった。


(大体なんで、こんなに急に婚約の話が出てくるのよ。おかしいじゃない。だって、ついこの間までわたしのこと、みんなして気持ち悪がっていたじゃない!)


 何一つ理解が出来なくて、いい加減自分を異端だと罵る声が煩くて、メリアリーヌはめちゃくちゃな感情のまま肩で荒く息をついていた。


 あの夜。

〝杖〟も魔法〈スペル〉を書いた紙も見られてしまったメリアリーヌは、そのまま無理矢理自室に閉じ込められてしまっていた。扉が開くのは食事の時くらいで、メイドも限られた者しかやってはこなかった。

 それなのに扉の外からは屋敷の者達の数えきれない声が聞こえてくるのだ。

「悪いものに取り憑かれている」「呪いにかかっている」「悪い魔法をかけられている」「異端」「魔法使いに毒された」と──


(わたしは悪く言われてもいい。けど、〈スペル〉を、彼を悪く言われるのだけは絶対に嫌だ……!)


 悪意の中で、耳を塞ぐこともできず──メリアリーヌはこの数日間、ただ彼を想って過ごしていた。

 部屋の外から「悪い魔法使いにたぶらかされたに違いない」と聞こえてくるたびに、メリアリーヌはいっそ、三階のこの部屋の窓から飛び降りようかというくらい、衝動的な感情に駆られていた。


(ヴィー…………酷いことをされていないといいけれど)


 自分に文字〈スペル〉を教えてくれた人。

 自由に生きたいメリアリーヌを初めて否定しないでいてくれた人。

 屋敷の中にいるだけでは持ち得なかった夢を与えてくれた人。

 哀れむでも蔑むでもなく、やわらかに微笑みかけてくれた人。

 そんな人だから、いつか、彼にも心から笑顔になって欲しいと思った。静かに笑むのではなくて、彼の心にも春の日差しが溶け込めばいいと。そのために優しい言葉をたくさん習いたいと思ったのに。


 ──けれどそんな切なる願いは、ある日無情にも砕かれてしまう。


「お嬢様、悪い魔法使いは追い払っておきましたからね。もう安心ですよ」


 晴れやかな笑顔でそう言った、使用人の男の言葉によって。

 呆然としている間に、父と母に呼ばれ、その場で唐突すぎる婚約の話を告げられた。まったく何の交流もない、けれど名前だけは勉強嫌いのメリアリーヌでも知っているような、北の大きな領土を治める貴族の名前だった。


「なんでも、偉い魔法使い様からお告げがあったそうなのだ。お前と婚姻を結べば双方の家の発展に繋がると。──よかったな、メリアリーヌ。お前のような娘が領主様と結婚できるなんて、夢のような話だぞ」


 父が、心底嬉しそうに言った。


「本当にねぇ。ダンスもできない、勉学の才もない。マリアやミレーヌと比べて淑やかさも教養もない。私は一生あなたがこの屋敷に残されるのではないかと、本当に心配をしていたのよ」


 母が、心底安堵したように言った。


「本当によかったなあ、メリアリーヌ。急ではあるが数日後には北に向けて出発をしなさい。なんでも魔法使い様のお告げによると、急ぎお前が北の地に発たないと、よくないことが起こるというのだ。急ぎ婚礼衣装を仕立てないといけないな」


「……魔法使いに、お告げなんてできないわよ」


 ぽつりと言い返したメリアリーヌに、母は額に手を当て、大袈裟なくらい大きなため息を吐いた。


「メリアリーヌ……可哀想に。きっとお前は時間をかけて良くない魔法をかけられたのね。──だから魔法使いにまじないをさせるなんて嫌だったんですよ、私は。早くに目が覚めてくれたからよかったものの、あのままこの娘が魔法使いに呪われていたらどうするつもりだったんです。フィオラーレ家の繁栄に関わることですよ」


「その魔法使いによってメリアリーヌに価値が生まれたのだから、いいではないか。確かに我が家系から魔法使いが生まれただなんて、外には決して知られてはいけないことだが………………メリアリーヌ。絶対にイベルン家では魔法の話なんかするんじゃないぞ。悪い夢を見たのだと思って、魔法のことは」


 ──忘れなさい──


 呪いのような言葉をぐるぐると思い返しながら、メリアリーヌは灯り一つ入れていない、真っ暗な部屋の中から、遥か彼方に見える星月を見上げていた。


(お父様もお母様も、誰もわたしのことを心配してはいない。厄介者がようやくこの家から出て行くと、安心して嬉しがっているだけなんだわ)


 そうわかっていても、仮面のような嘘くさい笑顔を見せつけられるのは、どうしても気分が悪くなるものだった。けれど、それは、メリアリーヌだって同じなのだ。

 傷つくことを恐れて、屋敷から与えられるすべてに背を向けて、馬鹿なふりをして笑顔の仮面で心を閉ざした。見下されても平気だった。笑顔の仮面を貼り付けておけば、なんとだって自分の心は誤魔化すことが出来たから。

 知らないものが知りたくて、自由を求めて。自分だけならばどうなってもいいと考えて、笑顔で心を偽って、屋敷を抜け出して──けれどその結果がこれだ。


「ヴィー…………わたしのせいで、」


 怪我をしてしまったのだろうか。

 酷い言葉を言われたのだろうか。

 晴れやかな使用人の笑顔があまりにも残酷で、メリアリーヌは静かに涙を落とした。

 羽ペンを奪われても、魔法を扱うことを罵られても、部屋に閉じ込められても、婚儀の話を持ちかけられても、何をされても耐えられたのに──彼を傷つけたのが自分なのだと知った瞬間、悲しくて苦しくて、涙が出てきて止まらなかった。


(わたしが彼と出会わなければ。わたしが彼に魔法を教えてと言わなければ。わたしが、あの人に会いたいと思いさえしなければ……)


 悔いても仕方のない感情に涙をぱたぱたと落として。

 けれど、メリアリーヌはすぐに顔を上げた。


(──違う。違うわ)


 窓の外から吹き来た夜風が、ひんやりと涙の跡を乾かしていく。まだ冷たい夜風は、けれど確かに春の香りと月の優しい光をはらんで、メリアリーヌの心にやわらかく訴えかけてくれていた。

 彼と過ごした短い時間。そこに悲しみだけしか生まれなかったなんて、そんなことは決してない。

 彼と出会って、生まれた感情は──春の日差しの中で重ねた日々は、会話は、ぬくもりは──想いは。


「……綴らなきゃ」


 ぐい、と涙を拭うと、メリアリーヌは机の引き出しをがさがさと漁り始めた。〈魔法の杖〉である羽ペンは奪われてしまった。それでも綴らなければならないと思った。

 溢れる気持ち、伝えたい感情──届けたい想い。魔法を紡いで、文字にして。

 部屋にあったのは唯一、太く書きづらい木炭の塊だった。数字の勉強をする際、木板に書くためのもの。これでは到底美しい文字は書けないだろう。


(それでも)


 メリアリーヌは絨毯の下に隠していた、白い紙──彼から与えられた筆記具の最後の一枚を引き抜くと、青い月光の中、木炭を紙の上に滑らせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る