第8話 〝世界の大特異点〟

「スペルトリガーとして仕事をするということは、人間から忌み嫌われるということなんだ。……きみはそんなことないって、言うんだろうけどさ」


 狭くて暗い木の洞の中。

 少し弱まってきた雨足を見ながら、二人は肩を寄せ合ったまま語り合っていた。


「さっきも言ったけど、スペルトリガーは普通……恐れられるものなんだ。いつも黒い服を着ていて、魔法という未知の力を使うと思われていて。ぼくらは誰かが病気になれば平癒を祈る札を作っているけれど、薬を作れるなら毒も作れると思うのが人間というものなんだよな」


「……みんな、ヴィー達が悪いことに力を使うって、そう思ってるの?」


「みんなかどうかは、わからない。でも、そう思う人が例えたったの一人だけいたのだとしたら、それ以外の人は〝そう思わない〟んじゃない。〝そうかもしれない〟って思うんだ」


 それに、と付け足して、ヴィタは思い出し笑いをしながら、今まで聞いた眉唾物の噂話を指折数え、メリアリーヌに語り聞かせてやった。


「スペルトリガーにちょっかいを出したら呪われる、とか。スペルトリガーはみんなが受けるべきだった穢れをその身に蓄えているから、近寄ると病気になる、とか。──そうそう、魔法に触れると腹を壊す、とかね」


 メリアリーヌに以前『スペルに触れると腹を壊すぞ』と自分からその眉唾物の迷信を語ったことを思い出してくすくすと笑うヴィタに、「そんなの酷い!」とメリアリーヌが弾けんばかりの勢いで憤った。ヴィタはそんな彼女に微笑んで、彼女の、殴りつける対象を見つけられず震えるばかりの拳をそっと上からやわらかく抑えた。


「──いいんだ。そうあるべくして、あるんだから。ぼくらスペルトリガーという存在は」


「そんなわけないじゃない! なんで言われっぱなしにしているの? わたしだったら悔しくて、腹が立って、その場で言い返してやるわ。わたしがそんなことしてる証拠はどこにあるのよって! だってみんな、自分から望んで魔法をかけてもらってるのに、黒色を纏ってるからって……いろんな噂があるからって……魔法使いは嫌だ、なんて……あんまりにもわがままじゃない!」


 ぷんすか怒る彼女に、ヴィタは小さく笑ってやりながら、その胸の内ではいつも感じていた、人々からの刺さるような視線を、感情を思い出していた。

 時には「怪我が早く治るように」、時には「願いが叶うように」。強い願いと大きな金を持つ人間に頼まれる度に、ヴィタは彼らが望む通りの〈スペル〉を土に、紙に、板に綴って渡してきた。

 それを人々は感謝の言葉と共に受け取ってくれたが──それでもいつも感じていた。

 異物を見る時の、人間達の虚ろな瞳。恐怖と畏怖とそれ以上の嫌悪感が混じる眼差し。どうしてここにいるのかと、まるで責めてくるような視線。時には街の子供から無言で石を投げられることもあったし、その子供の親から「お詫びはしますからどうか命だけは」なんて怯えながら土下座をされることもあった。だからヴィタはむしろ、メリアリーヌの反応の方が珍しくて、興味深くて、聞いているだけで胸がむずむずと落ち着かなくなってくるようだった。


「そんな悲しい言葉をかけられるのは、全部……ヴィーが、黒い服を着ているせいなの…………?」


 彼女にしては控えめな質問の仕方だった。伺うようなエメラルドの瞳に一つ瞬いて──ヴィタはようやく、彼女が自分の機嫌を伺っているのだと思い至った。どうやら彼女なりに、ヴィタが昼間〝普通〟がなんたるか、強く語ったことを重く受け止めているらしいのだ。


「……さっきはごめん。あんな言い方をして。きみが普通ではないとか、……例え普通ではないとして、それが悪いとか、とにかく、きみを責めたくて口にした言葉ではなかったんだ」


 どう言ったら良いだろうかと──暗い夢と、過去から追い打ちのようにかけられる底冷えするような言葉とに胸を痛めながら──ヴィタは、慎重に言葉を選びながら口を開いた。


「ぼくたちスペルトリガーには、使命があるんだ。〈スペル〉を使って人々の願いを綴る──それも仕事だけど、それよりもっと、大切な」


「しめ、い?」


「ああ…………、絶対にやらなきゃいけないこと、という意味だ」


 首を傾げるメリアリーヌを見て、ヴィタは切なげに笑った。

 そう。そうなのだ。彼女の反応は、彼女が無知だからではない。これが普通なのだ。この一度終わった世界では──文字〈スペル〉の記憶が欠けてしまった、この世界では。


「メリアリーヌ。きみも、この世界が一度滅んだことは知っているよね。お屋敷でも習った?」


「もちろんよ。この星では三度の大きな争いがあって、三度目の争いで世界は火に焼かれ水に飲まれて、生き残ったわたし達のご先祖様は、世界の始まりから居た黒の一族……魔法使いと契約をして、そこでようやく、もう一度この世界で生きていくことを許されたの」


 メリアリーヌの言葉に一つ頷いて、ヴィタはさあさあと鳴る雨音へと暗い眼差しを向けた。


「その話は、半分本当で、半分作り話なんだ。ぼくらは──その嘘が暴かれないように世界を監視するのが役目。魔法と呼ばれるこの〈スペル〉……失われた文字という文化を守りながら──二度と世界が壊れることがないよう、世界に戦争が起こらないよう。争いの種が生まれないように、この足で歩いて、偽りを綴って、過去の記憶に蓋をして……それが万が一にも綻ばないよう世界を監視しているんだ」


「争いの、種……? それって一体──」


 なに、と呟きかけたメリアリーヌの唇が、わずかに震えて、止まった。

 ひたとメリアリーヌを見つめるヴィタの視線が、思いの外真剣なものだったからだ。


「メリアリーヌ。きみが──きみの存在こそが、その争いの種なのだと言ったら、どうする」


 さあさあと、静かな雨音だけが、しばし世界のすべてを埋め尽くした。

 メリアリーヌは驚いたように何度も何度も瞬きをして、それから随分と時間が経った頃、ゆっくりと唇をもう一度開いた。


「戦争、というのは、とっても悪くてこわいことって意味の言葉だったわよね」


 ヴィタが無言で頷く。そして、足元に転がっていた木の杖を冷えた手で静かに握りしめた。


「わたしが、どうして、そんな恐ろしいことの種になるの?」


「好奇心だ」


「こうきしん?」


「知らないものを知ろうとすること」


 長い木の杖が天然の壁に当たって、少しだけ鈍い音を響かせる。一体何をしようとしているのかと、不思議そうにぼんやりと見あげてくるメリアリーヌには無言で背を向けて、ヴィタは洞の中から、まだ雨の降り止まない世界へと歩み出た。


「人類は〈スペル〉を──いや。文字を失って、文明も失った。無知になり、発展することを忘れ、子供のような簡単な言葉だけで最低限の意思疎通をし、文字を魔法と呼ばれても違和感さえ覚えなくなるまでに衰退した。……だけどね、だから世界はもう争いが起こらずに済むんだよ。この現状を、平和を維持するために、ぼくらスペルトリガーは〝世界の監視者〟として歩いている。なのに」


 木の杖の尖った先端が、洞の中にいるメリアリーヌの白い額にすっと当てられた。目を丸くしているメリアリーヌに、ヴィタはぐっと唇を噛み締めてから、硬い声で言葉を紡いだ。


「きみは魔法を恐れず、魔法使いを嫌わず、黒を厭わなかった。きみのような存在は──いつかその自由な視点で何かを見つけてしまうかもしれない。ぼく達が必死に隠して守ってきたもの。争いに繋がる恐ろしいもの」


 それはヴィタがスペルトリガーとして覚えさせられた台詞であり、彼女への弁明でもあった。


「秘密を知った人間はまた〝同じ〟過ちを犯すかもしれない。知恵も、好奇心も、必要はない。平和を守るためには。だからぼくらはきみのような存在を〝大特異点〟と呼んでいる。そして」


 ヴィタは浅く震えるようにして息を吸うと、杖を強く握り込み、毅然とした態度で言い切った。


「〝大特異点〟は──スペルトリガーの手で始末、しなきゃ、ならない」

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