第4話 はじめての魔法

 かつてこの星には三度の大きな争いが起こった。

 三度目の大きな戦が起こった時、世界は火に溺れ、水に飲まれ、生き残った人々だけが荒れた大地にもう一度足をつけた。

 彼らは何も無くなった、一度終わった世界で、もう一度生きていくことを決めた。

 絶対なる力を持つ、創世から生きる黒の種族──魔法使いと契りを交わし、魔法の力を借りながら生きていくことを。




「今から五百年前──大災厄と呼ばれた大きな世界の終わりの日。それ以降、ぼくらはきみら人間に求められて魔法使いとなった。祈りを聞き、〈スペル〉を綴り、まじない師の真似事をしながら、きみ達の影として寄り添っている。だからね、」


 そう言って、少年はぱさりと目深に被っていたフードを初めて自らの手で取り去った。

 濡羽色の髪と、同じ色の瞳が、春の日差しの下に露わになる。じっとこちらを凝視してくるメリアリーヌに、少年は苦笑して小首を傾げた。


「怖いだろう、黒髪に黒い瞳なんて。あんまり見ていて気持ちのいいものではないから、いつもこうして隠しているんだ」


 黒色。

 それは不吉の象徴。

 怪しい色。

 死を招く色。

 それを身に纏うスペルトリガーは、それ故に魔法使いと呼ばれ、畏れ、恐れられている。

 しかし例えスペルトリガーでなくたって、少年は生まれた時から髪と瞳に死の色を宿していた。


「──だからね。あんまりぼくには関わらない方がいいんだよ、メリアリーヌ嬢。そうでなくても、きっと屋敷の人達は、きみがここへ来ていることを知ったら、何がなんでも止める。スペルトリガーと話をしてるなんて知られたら、ひどく怒られてしまうよ」


 それに、と少年は思うのだった。

 この、春の香りのする花の少女を自らの〝仕事〟の対象と考えたくはなかった。〈スペル〉を綴るのとはまた別の、隠された、スペルトリガーのもう一つの〝仕事〟。

 彼女と話していると、心地よくて、心が浮ついて、うっかり色々なことを話してしまう。

 けれどきっと、彼女の性質と自分の立場を考えれば、それは良くないことなのだろうと少年は思った。スペルトリガーとして──世界の未来を考えて──これ以上近しくなる前に、彼女とは距離を取るべきだと思ったのだ。


「スペルトリガーの中でもこんな色の髪と目を持つ人はいない。ぼくは、特段異質なんだよ。万が一屋敷の人に話しているところを見られたら」


「──どうして?」


 やや食い気味に答えられ、感傷に耽りながら言葉を紡いでいた少年は、驚いて口を閉ざし、次いで質問の意味がわからず無言で顔を上げた。エメラルドの瞳が、まっすぐに、近すぎるほどの距離で少年の瞳を見つめている──


「あなたの瞳、夜の空の色をしてる。とっても綺麗だと思うわ、あなたの──あ、そうだわ。あなた、名前は?」


「え?」


「名前よ。自己紹介しないと……あなたってだけじゃ、これからお話する時、呼びづらいじゃない」


 今しがた関わらない方がいいと言ったばかりなのに、そんな言葉は聞いていなかったかのような台詞。思わず呆れ笑って、少年は長く口にしていなかった自分の名前を久方ぶりに舌に乗せた。


「ヴィタ」


「……ヴィタ?」


「そう。……好きな名前じゃないから、本当はあんまり名乗りたくないんだよ」


 メリアリーヌの好奇心旺盛な瞳が、無言のまま「どうして?」と問いかけて来ている。


「名前の意味は、それこそ、〈スペル〉の種類によって違うんだ。ある国の言葉では平和を意味する言葉だけれど、ある国では戦争を意味する嫌な言葉なんだ」


「せんそう……?」


「……うん、きみは知らなくていい、すごく恐ろしくて嫌な意味の、言葉なんだよ」


 切なげに笑うヴィタを見て、メリアリーヌはしばらく唇に人差し指を当て考え込んでいたが、突然ぱんっ! と両の手を合わせると、名案だとばかりに大きく頷いた。


「それならわたし、あなたのことをヴィーって呼んでいい?」


「いいけど……急になんで……?」


「ふふっ……ヴィタって言葉に、あなたが納得できない嫌な意味が含まれているのならね、」


 そう、言葉を区切って。

 メリアリーヌは春の中、おひさま色のやわらかな金髪を風に広げて、ふんわりと微笑んだのだった。


「ヴィーというこの愛称にはね、とびきり素敵な意味を持たせるのよ。そうね……ヴィーという言葉は、優しくてステキな人という意味にしてみてはどうかしら!」



 そうして。

 緑が、微笑んで。

 黒が、目を見張って。

 ようやく初めて互いの視線が交錯する。

 そして、はじまる、春の日。ここから色づく、魔法の物語。

 花の名を持つ少女と、孤独な魔法使いの、不思議で優しい、物語。

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