第4話 トシアキ

月で二人が仲良く話していたその時より、少し前。都会の中心地から外れた場所にあるとある大きな家では、壮年の男が二人話していた。

「やあ、久しぶり。元気かい?」

「...これを見てそう思うか、カズ。今は深夜だというのになぜ俺を訪ねる」

「相変わらずだな。僕は君の才能を買っているのに」

カズ、佐藤一敏は、相変わらずの人当たりの良い笑顔で俺のうちに入ってきた。

「相変わらずはこっちの台詞だ。気味の悪い笑顔しやがって」

「君こそ。相変わらずおしゃれに興味がないのかな?髭くらい剃りなよ」

「用があるなら手短に言え。言っとくが、金には困ってねえぞ」

「まっさか。天下の作曲家"トシアキ"に、そんなことを聞きには来ていないよ」

「"元"作曲家だ」

「まあまあそう怒るなって。僕、新しい仕事が来たんだ。見てくれ、いま巷で噂の、本物の宇宙人のヤツさ!地球万博メインテーマの作曲プロデューサーに僕が抜擢されたんだよ!」

「地球万博?珍妙なイベント名だな」

「...それまさか、本気でいってる!?かぁーーっ!相変わらず君は世辞に疎い!今時この言葉を知らないやつなんて動物園の猿とカピバラくらいさ。もっと世間を見渡そうよ?」

こいつ自身に人を煽っているつもりは微塵も無いのだろう。だからこそ、余計に腹立たしい。宇宙人?地球万博?馬鹿馬鹿しいにも程がある。

「宇宙人だと?そういう企画か?自慢したいだけならさっさと帰れ。第一企画の趣旨を俺に漏らすなんて、そっちも守秘義務があるだろう」

「だーかーら、話は最後まで聴いてよ。君は外部に情報を漏らすようなやつじゃないからこうして喋っている。そう、僕はね、君の意見を聞きにきたんだ。ピアノの魔術師と呼ばれた君の」

「それはお前が勝手にそういっているだけだろう?さっきも言ったが、俺はもう...」

「はいはい、元、ね。僕はまだ君の心には作曲に対する炎が宿っていると思って来たんだ。焼き増しの言い訳なんて聞きたくないね」

「とにかく帰った帰った、俺はもう作曲をする気は無い。お前だって一流の作曲家なら、自分の曲くらい自分で書ききれ。わかったら、今すぐここから出ていけ」

「つれないなあ。こうなったら君は聞かない。引くとするよ。最後に1つ忠告しておくとするのなら、今回の宇宙人のことは耳に入れておいた方がいい。世辞に疎すぎるのも考えものだよ」

カズはヒラヒラと手を降って、さらりと帰っていった。

「はぁ」

俺はもとより、世間の動向などに興味はない。そんなものを追いかけたところで、面白い曲など書けるものか。頑固を承知で、俺はずっとこの業界を駆け抜けてきた。妥協して妥協して、それでもなお生活に喘ぐやつらが居るなかで俺は遥かに恵まれている。ほしい音あれば、自由自在に人を動かし、機材を購入し、求めるままの音楽を作っていた時期もあった。しかし、ある日突然プツリと糸が切れたように俺は曲を作れなくなってしまったのだ。つくづく、贅沢な悩みだと思う。自棄になり、ピアノ以外のすべての機材を売り払ったことが、今さら後悔となってのしかかってくるようだ。生活の基準は戻せないもので、湯水のように流れていった金は戻ってこず、気付けば、カズや、他の著名なアーティストの下らない曲ばかりが世間に蔓延している。金ならある、というのは、ただの強がりだ。誰があんなやつに、金など借りるものか。

「宇宙人、ねぇ」

それが本当なら、曲の1つや2つや三つや四つ、すぐにでも書けそうなものだ。だがそんな夢物語など、あるはずもない。突然降りかかってきた偶然1つでなんとかなるほど、この世界も業界も甘くはない。

「...」

端末を開き、書いて溜めておいた無数のメモに目を通す。メロディの案、途切れ途切れの歌詞の走り書きに、新しく使いたいテクニックについての注意点、などなど。蓄積を消すことは意味の無いこと。そう思って几帳面に整理し残しておいたが、今はすべてが滑稽に思える。

「俺は、もう"元"作曲家だ。こんなものがあったところで、一銭にもなりはしない」

すべてを消し去るか?いや。そこまでするのは端からみればただ、自暴自棄になった愚か者だ。失う必要の無いものまで、自ら捨てる必要はない。だが。

「俺にはもう、叶えたい夢はない。それすなはち、書きたい曲が無いということ...」

ファイル、削除してしまおうか。そう思ったその、瞬間だった。どんどんどんどんどん。扉から音がする。

「...カズか。まだ帰っていないのか」

そう思って、インターホンのモニターを覗くが、そこには先程から降りだしていた大雨だけが映っている。

「悪戯か?こんな時に...ん?」

どんどんどんどんどん。どん。

「音の位置が低いな。リズムも独特だ」

どん、どん。叩く音が、徐々に減衰する。この辺りには私の家以外、ものと言ったものはない。趣味の園芸用の小さな畑、そこから先は遠くの都会地まで果てなく続く森だけがある。だからいまの私を訪ねてくるのは、よほどの酔狂なやつだけ。そう、カズのような。その筈だ。

「お引き取り願おう。これ以上悪戯をするのであれば警察を呼ぶ」

どん、どん。まるで私の言葉の意味を理解していないようだ。先程から、私の言葉の意味による心の揺れを感じない。誰だ?まだ、私の知らないリズムを持っているものがいるとは。

「まさか...まさかな」

この時ばかりは好奇心が、恐怖や義憤などといったものを感情を軽く踏み越えた。私の心が、歌っている。その心の弾みを、そのまま足にのせる。私は気づけば警戒心を無くし、扉を開けていた。なるほど、これならインターホンに映らないわけだ。

「宇宙人、なのか」

ぼろきれを纏った、みどりの鱗でできた表皮。体に対してまだ大きい黄色い瞳は惑星間を越え、雨に震える小さな生き物をまだ少年期から青年期だと認識させてくれる。全身ずぶ濡れのその姿はどことなく、カッパを連想させる。だがよく見ると、カッパと違う点がいくつもある。まず頭に皿は無く、かわりに人間の子供のような茶髪。そして、

「ん?」

右手と左手で、ぼろきれを握っている。そしてよく見ると、ぼろきれの中が、モゾモゾと動いていた。

「お前は...腕が、三本あるのか」

宇宙人の子供はそわそわしながら、口をパクパクさせてなにかを訴えようとする。

「...外は寒い。なかに入りなさい」

トシアキは、彼に中にお入り、と手招きのジェスチャーをして、家の中に入れた。

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