11 贈与

 鳥の焼けるいい匂いが、暖かく部屋中に満ちている。

 そっとストーブの扉を開けたクロードは中の七面鳥に滲み出てきた脂をかけた。ついでにナイフの先で肉の分厚い部分を刺すと、後ろでルネが吹き出すのが聞こえた。


「クロード、そんなにぐさぐさ刺してたら、焼ける頃には穴だらけだぞ」

「んん……」


 ルネの言う通り、まだ生焼けの七面鳥はすでにクロードのせいでいくつもの刺し傷を負っていた。

 扉を閉めて振り向くと、オーナメントを持ったルネが柔らかくクロードを見下ろしている。隣には小さなモミの木。どちらもルネが持ってきたものだ。


「ツリーを飾るなんて、何年ぶりかな」


 椅子ごと移動したクロードはルネからオーナメントを受け取り、モミの木に引っ掛けた。木製の小さな雪だるまは年季が入っていて、自分のものではないのにクロードは懐かしさを感じた。

「俺もだ」とルネが笑う。


「このオーナメントは君が子供の頃使っていたものかい、ルネ」

「ああ、倉庫の奥に残ってたんだ」


 雪だるまの隣に、赤服の老人が吊るされる。


「家族のものなんて全部処分したと思ってたけど、探せば残ってるもんだな」

「あ……」


 ルネのしみじみとした言葉に、クロードは空っぽだったルネの兄の部屋を思い出した。クロードの顔を見て察したのか、ルネの眉毛が下がる。


「兄の私物を全部捨てたのも、俺だよ。見ると思い出しちまうから……同じ家に住んでて、残された梨の世話してたら意味ないのに、馬鹿だよな」

「いや……」


 自嘲されても、それが本当に馬鹿なことなのかどうか経験のないクロードには分からなかった。言葉を濁すと、「すまん」とルネはツリーに向き直り、今度は天使を吊るした。


「ありがとう、クロード。今日一緒にいてくれて」

「こちらこそ。感謝してるよ、ルネ」


 人の家に呼ばれるのは楽しいものだが、どこか遠慮がつきまとうものだ。ゆったりと落ち着いた気持ちで降誕祭を迎えられるのは久しぶり……いや、はじめてかもしれなかった。

 飾り付けを終え、奮発したチョコレートやオリーブをつまみつつ梨のシードルを二人でちびちびとやっているうちに、七面鳥が焼き上がった。


「やっとだな」

「誰かさんのせいで満身創痍じゃないか」

「いいんだよ、どうせ切り分けるんだから」


 肉汁でソースを作るルネを横目で見ながら、傷だらけの七面鳥にナイフを入れる。ふわりとした湯気が広がった。

 肉を切り分け、中に詰めていた栗や一緒に焼いていた野菜とともに皿に取り分ける。そこにルネが煮詰めたソースをかけて完成だ。


「乾杯しよう、ルネ」

「さっきしたろ」

「うん」


 言いながらクロードはルネのグラスにもシードルを注いだ。目の前にルネがいることが夢のようで、自分の想像ではないと確かめたかったのだ。

 目を覚ましたら自分はまだあの崖の下にいて、隣には冷たくなったルネがいるのではないか。あるいは今自分は冷たい部屋の中で凍え死にそうになっていて、最期のひと時の夢を見ているのではないか。そう感じて怖くなるほど現実味がなく、クロードの心はふわふわとしていた。


 乾杯、とグラスを持ち上げてクロードを見つめたルネの目は、いつか梨の花に向けていたのと同じような優しさを内包しているように見えた。

 今日だけはすべてを忘れて楽しもう。ルネが目の前にいるのだから。クロードはグラスの中身を飲み干した。


「ルネ……生きててくれて、ありがとう」

「大袈裟だな、クロードは。あれくらいで死ぬわけないだろう」


 二人で食べる降誕祭のディナーは、クロードが今までに食べたどんな料理よりも美味しかった。

 パリパリに焼けた七面鳥、その旨味をたっぷり吸った栗と付け合せの野菜。柔らかな肉は噛みしめるほどに肉汁が溢れてきて、部位ごとに違った味わいがあるので飽きることもない。

 お腹が一杯になり、満足したクロードがルネを眺めていると、不意にルネが「うん」と小さくうなずいて立ち上がった。


「ルネ?」


 クロードの声には答えず玄関から出たルネは、すぐに戻ってきた。

 その手には見慣れた……いや、見慣れたものより新しい木箱と三脚が下がっている。ルネの肩にかかった大きな袋にも、クロードには見覚えがあった。


「ルネ…?」

「受け取ってくれ」


 ルネは木箱と三脚をクロードの膝の上に優しく置いた。肩からかけていた大きな袋は、椅子の背にかけられる。


「俺、画材のことなんて分からないから……全部画材屋に見繕ってもらったんだけど、もし違ったり、足りなかったりしたらごめん」

「いや、ルネ……」


 クロードは呆然と膝の上を見下ろし、それから自分の前に屈み込むルネを見上げた。

 嬉しさより、驚きと戸惑いのほうが大きい。

 慣れ親しんだものだからこそ、それがどれだけ高価なものなのか分かってしまう。ありがとう、とは受け取れなかった。

 ルネの大きな手がクロードの手を取り、箱の上に置いた。上から、包み込むように握られる。


「描いてくれ、クロード」

 クロードの前に跪いたルネは、懇願するようだった。

「あれから君、ずっと家に閉じこもってぼうっとしてるだけじゃないか……見ていられないんだ」


 クロードは何も言えず、床の木目を見た。

 ルネの親切が、クロードに対する哀れみではなく純粋な好意から来ていることには気付いていた。だが、ここまでとは思っていなかったのだ。


「ルネには……関係ないだろう」

「そうだな。でも心配させてくれ」


 重すぎる贈り物に手を引っ込めようとするが、上から握るルネの手の力は強く、クロードの腕はびくともしない。

 恐る恐る見上げたルネは、泣きそうな表情をしていた。


「好きなんだ、クロード。君の絵も……君も」

「……」

(ルネが、僕の……なんだって?)


 突然のことに何を言われたものやら理解できなかったクロードは、ルネの顔をじっと眺めた。

 二人とも黙ったまま見つめあう中、ぱちぱちと火の粉の爆ぜる音が痛いほど響く。

 先に目を逸らしたのはルネの方だった。口角を引きつらせ、何かに耐えるように一度目をつぶってから立ち上がる。


「余計なお世話だったかな。……いらなかったら、捨ててくれて構わないから」

 玄関の扉が閉まる音に、クロードははっとした。杖を取り、右足で跳ねるように玄関に向かう。


「ルネ! 待ってくれ!」


 開けた玄関の向こうから、びゅうと雪が吹き付けてきた。首をすくめ、手を額にかざしながら目を凝らす。

 白い雪の降りしきる夜道に、ルネの大きな背中はもう見えなかった。

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