12 外出

 どんよりと空を覆う雲が、その向こうにあるだろう太陽の光を遮っていた。

 大晦日も昼近くに起きたクロードは、寝室の隅に置きっぱなしになっている瓶を見た。山羊チーズに合うと以前ルネが褒めていた銘柄の白ワインだ。リビングの方に置いておくと温まってしまうのとルネに丸見えになってしまうのとで寝室に置いておいたのだが、そのせいで渡しそびれてしまった。


(ルネ……)


 降誕祭の夜、ルネは確かに「クロードが好きだ」と言っていた。

 それがどういう意味での「好き」なのか、今までのルネの言動とあの晩の表情からして、クロードには一つしか考えられなかった。

 ベッドに立てかけていた杖を手に取り、支えにして立ち上がる。食堂兼居間に向かうと、ルネのオーナメントが飾られたままのツリーと、その下に置かれた木箱がクロードを出迎えた。


 今日こそ確かめなくては、とクロードは思った。ルネに渡されたまま、中身を確認するのが怖くてそのままにしてしまっていたのだ。早くしないと年が明けてしまう。

 とりあえず先に朝食を、と日和りそうになる精神を叱咤し、木箱の横に座り込む。

 勇気を出して、留め金に手をかける。

 木箱の中身は、新品であること以外はクロードが揃えていた道具と全く同じだった。

 筆の本数と大きさ、ペインティングナイフの形状、溶き油の種類と会社。


 絵の具の色、特に数の多かった緑と白の絵の具まで全部同じであることを確かめたとき、クロードの心がじわりと温かくなった。

 それは、クロードがこれまでの恋愛で感じてきたような、苦しく、切なく、それでも誰かを手に入れたいと希求するような感覚とは違っていた。

 もっと柔らかく、暖かく、例えて言うなら冬の暖炉や春の日に野原で寝転ぶような、そんな安らぎのある満ち足りた気持ち。

 いつの間にかそこにあるのが当たり前になっていて、だから今まで気づけなかったのだ。

 三脚も、スケッチブックも、クロードが使っていたものと全く同じだった。


(ああ、そうか)


 クロードは、ルネの兄の部屋を思い出した。

 がらんどうで、誰の痕跡も残っていない、大きな部屋。

 ルネは、自分の手で大切なものを失くしてしまう悲しみを知っていたのだ。それなのにクロードは、「ルネには関係ない」だなんて、ひどい言葉をぶつけてしまった。


 ルネに会いたい。話したい。


 いてもたってもいられなくなったクロードは、食事もそこそこに着替えて家の外に飛び出した。いつの間にか家の前は綺麗に雪かきがされており、それだけではなくオリーブの木が冬囲いの装いまでしている。

 滑らないように気を付けて杖をつきながら、さく、さく、と村の入り口に向かって歩く。白く雪で化粧した梨畑と村は確かにいつもとは様子が違っていて、クロードの心は子供のように弾んだ。この気持ちを絵にして残しておきたい、という衝動に駆られる。

 だが、ひとまずは我慢だ。

 クロードが宿屋についた時、ちょうどおかみさんは店の前の雪かきをしているところだった。


「クロードさん、しばらくぶりじゃないの」

「久しぶり。ええと、ご無沙汰してたところ悪いんだけれど……山羊の……チーズを、分けてもらえないかな?」


 秋以来、ルネと夕食を食べに来ることもなくなっていた。ちょっとした居心地の悪さを感じながらクロードは頭を下げると、はっは、とおかみさんは豪快に笑ってスコップを雪に突き刺した。


「いいよ。そろそろ来る頃だと思って取っておいたからね。白の辛口だろ? ほかにも合うチーズ用意するから待ってな。オイル漬けの牡蠣もあるから持っていくといい」

「あの、そんな……」


 クロードが恐縮していると、ばちんと大きな音を立てておかみさんはクロードの背中を叩いた。「いっ」と悲鳴を上げ、転びそうになるのを何とか堪える。


「仲直りにはね、美味しいものが一番なんだよ。美味いもん食って幸せな気持ちになったら、些細なことなんてどうでも良くなるんだから。そんでまた、二人でうちに食べに来るようになれば言うことなしさ!」

「いや」


 概ね正解である。恥ずかしさのあまり反射的に訂正しそうになったが、結局クロードは苦笑して背中をさするだけにした。


「そうだな……ありがとう」

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