冬【剪定】

10 初雪

 初雪の後に出てきた太陽は、いつもより白くあたりを輝かせていた。



 椅子に腰かけ、コートを着込んだクロードは窓から隣の梨畑に積もった雪を眺めていた。室内にいるというのに、吐く息は白い。薪が切れてしまっているからだ。

 クロードに薪が割れないわけではない。時間はかかるものの、楔を薪の割れ目に差し込み、ハンマーで叩く方法ならクロードにだって薪割りはできた。ただその気が起きなかったのだ。

 何をするのも億劫だった。髭を剃るのも、食事をとるのも。


 どうにかしなくてはいけない、という気持ちはあった。細々と続けていた挿絵の仕事も雑誌の廃刊と共になくなってしまっていたし、何か生計となるものを探さなくてはいけない。

 だが、絵以外に自分に何ができるのかクロードは分からなかった。読み書きや計算にはひどく時間がかかったし、かといって肉体労働も無理だ。特殊な技能を持ち合わせているわけでもない。

 漠然とした焦りを抱えながら、「でも、この雪では外に出られないから」と言い訳し、ここ数日クロードはちらちらと降る雪を眺めて過ごしていた。


(まだ、雪が積もっているから)


 外に出なくていい理由をこじつけていると、不意に玄関が軽くノックされた。

 息を殺して扉を見る。無精髭が伸びた寝起きのままの姿で、誰にも会いたくなかった。どこかへ行ってしまえ、と念じながら玄関を睨みつける。だが、その願いもむなしく「おーい、クロード?」という言葉とともに玄関は開かれた。


「お、いるんじゃないかクロード。返事しろよな」

「ルネ……」


 ルネに怪我をさせてしまってからというもの、クロードはルネと顔を合わせづらくなっていた。特にこんな顔でなど会いたくない。結局彼の誕生日も祝えずじまいだった。

恥ずかしくて俯いていると、そのまま部屋に入ってきたルネは「寒っ」と白い息に驚いたような顔をした。


「クロード、なんでストーブもつけずに……あっ、薪か!」


 はっと目を見開いたルネは、クロードが声をかける暇もなく家の外へと出て行った。少しして、ソリの音が戻ってくる。もう一度玄関が開き、薪を両手いっぱいに抱えたルネが部屋に入ってきた。


「言ってくれれば薪割りくらいいつでもやるのに。こんな寒いとこいたら凍えちまうだろ」

「……別に、薪割りくらい僕にだってできる」

「でも大変だろ。現に間に合ってないし」


 手早く焚き付けを組み、ルネの手がマッチを擦った。ぱちぱちと火の粉が爆ぜる音と共に、炎がだんだんと大きくなっていく。


「雪が降ったからどうしてるかなと思ったけど、見に来てよかったよ」


 ストーブの扉を閉め、床に座って振り向いたルネの目は優しく炎を反射していた。その頭の毛は一部歪に刈られていて、クロードは自分の罪を見せつけられている気がした。


「後で玄関の雪かきもしておくから」

「いいよ、別に……外になんて、出ないから」

「クロード……」


 首を振ると、ルネは困ったような顔をした。


「外、雪積もってるぞ? 梨の木にも……見に行かなくていいのか? 行きたい所があるなら連れていくけど」

「大丈夫。気持ちだけ受け取っておくよ」


 秋までのクロードだったら、きっとこの雪に嬉々として村中を見て回りたがっただろう。そして、溶けていく初雪を絵に残そうと躍起になっていたに違いない。

 ストーブは暖かい空気を放っていたが、冷え切った部屋内はなかなか温まらない。のぞき窓の奥で揺れる炎を眺めていると、ルネがクロードの向かいにあった椅子を引く音がした。自分を気づかわしげに覗く視線を感じ、クロードはますます一生懸命に炎を眺める。


「なあ、もう……絵、描かないのか?」


 ルネからの直接的な質問に、クロードはすぐには答えられなかった。焚き付けが燃え尽き、その上にあった大きな薪がごとりと音を立てて落ちてから、やっと「うん」と頷く。


「もう、道具も……ないし、ね」


 笑いながら言い訳をする。本当に絵を描きたかったら、紙とペンさえあればいいのだ。

 向かいにいるルネを見上げると、彼は苦しそうに顔を歪めていた。クロードが決めたことなのだから、彼が何かを気にする必要はないのに、と思う。


「……ごめん、俺のせいで」

「いや、僕が君の言葉を聞いていなかったのがいけなかったんだ。それに、どうせもう潮時だったんだよ、ルネ。踏ん切りがついてよかった」

「でも……クロード……」

「いいんだ、ルネ。あのとき、君が助かるなら、もう絵なんて描けなくて構わないと思ったんだから」

「……そう、か」


 険しい顔をしたルネは、何かを言いたげな顔をしたまま口を閉じた。手を組んで机の上に置き、そのまま考え込むように見下ろしている。

 ごつごつとした手が乗る机を見て、クロードはせっかくルネが来てくれたのにお茶すら出していなかったことにようやく気づいた。


「ああごめん、気が利かなくて。今お茶を淹れるよ」


 ストーブの上にケトルを置き、お湯が湧くのを待っている間に梨のコンポートを出す。ルネからもらった梨を食べきってしまうのが惜しくて、保存用に作っておいたものだ。

 ティーポットにお湯を注ぐと、ふわりと華やかな香りが広がる。首都のアパルトマンにいたときはコーヒーばかり飲んでいたが、梨の蕩けるような香りと甘さには紅茶のほうがよく合うと、ルネを見ていて気づいたのだ。

 ありがとう、とカップを受け取ったルネはコートを脱ぎ、コンポートを一口食べてから紅茶に口をつけた。

 クロードもコートを脱ぎ、椅子にかけた。自分の作ったコンポートがルネの中に消え、こくりと大きな喉仏が動く様子を見る。ずっと下を向いていたその頭が、ふっと上がった。


「なあクロード」

「え、あ、な……何?」


 意を決したように真正面から見つめられ、クロードはたじたじとなった。ルネを見つめていたことに気づかれたようで、恥ずかしかったのだ。


「来週、降誕祭だけど……クロード、君、ここにいる……よな?」

「いる、けど」


 よくわからないままクロードは目をぱちぱちとさせた。もうそんな時期になるのか、と意外な気がする。

 年末にある降誕祭には、家族で揃って食事をし、教会に行くのが習わしだ。だがクロードはここ以外に行く家を持たないし、兄や母のことを思い出すようでめっきり教会にも寄り付かなくなっていた。

 最近は画家仲間の実家に呼ばれて過ごしていたが、今年はここに越してきてしまったのでそのお誘いもない。


「なら、一緒に過ごさないか?」

「いいな、それ」


 一人で静かに過ごすのもいいが、それではあまり普段と変わらない。ルネとご馳走を楽しみながら特別な夜を過ごすというのは、とてもいい案のように思えた。

 今度は僕がご馳走するよ、とクロードが言うと、ルネは花が咲くように笑った。

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